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「不適切にもほどがある!(第4話)」SNSの中で重い人って確かにいるよね

えっ!古田新太が阿部サダヲの息子って、面倒臭いドラマだなwだいたい、阿部に息子がいたのか?純子の弟?いや、純子の夫ということか!すると、仲里依紗は孫!だから、タイムパラドックスが起きる?

というか、4回目で阿部サダヲがスマホをやっと自分のものにできるという流れ。そして、すぐに携帯ショップの女の子と仲良くなったりする人は、携帯黎明期にはよくいましたよね、確かに。でも、この子が後でカラオケに付き合ってるのは何故なの?

そして、SNSにのめり込むというよりは、LINEにのめり込む阿部。そのやり方の重さに皆が呆れる話。確かに、LINEができた時、既読は便利だなとは思ったが、ある意味、やり取りが重い人が出てくるのは確かで、最近は、既読しないで放っておくことも多い私であります。携帯見てませんというふうにアリバイを作るということね。

そんなシーンから、昭和の教室に。授業中にメモ書き飛ばすのは、SNSのヒントだったのかもしれませんね。そう、メモ書きと授業中の早弁はセットだったんだよ。でも、本当、あの頃にこんな世の中になるなんて予想していた同級生はいなかったから、やはりタイムマシンはできないのかな?

でも、こういうの見ると、現代の私たちはSNSに慣れてしまったというか、上手い具合にそのシステムに組み込まれ、個人情報を取られているんだよと思うことも多いし、自分が対話したデータがAIのデータになって、俺のクローンができてんじゃないかと思ったりもして、もうどうでもいいけど。

俺のといえば、「俺のチアリーダー」という題名がいけないというが、よく考えたら、この題名で、男のチアリーダーの話だと思う昭和の男はいないだろう。つまり、ジェンダーを考えるあまり、ここでも訳がわからなくなっている。

そして、話はインティマシー・コーディネーターのトリンドル玲奈が出てくることにより、やたらややっこしくなる。ドラマのチョメチョメのシーンで、デコルテ出すなとかくろぶしまでとか、38年前オッパイ出せ出せとか言っていたものがこんなになってしまったのだ。、本当にこんなことやってるから色々面白くならないのは事実でしょうな。ただ、インティマシー・コーディネーターという職業は、だからこそ私は重要だと思っています。原作者が亡くなったというこの間の話も、ドラマの制作にそれに似たコーディネーターがいれば良かったわけで、そういう仕事、多分できますよ!

そして、みんなでカラオケして昭和の歌をディスるシーン。昭和歌謡はほとんど流してはいけないものだと嘆きながらも、昭和のシーンに繋いでいくシーン展開、すげー格好良かったのですが、脚本、どう書いてあるのか、すごく気になりました。そして、磯村勇斗がブリーフ一枚で自分の愚か者を叱り、キヨシ役の坂元愛登にエールを投げるシーン。青春でした。

でも、坂元は、「風と木の詩」を愛読している三宅弘城の若かりし頃とキスをしようとしていたりするわけで、タイムパラドックスがなかったら、彼らはどうなっていたかという話も、もはや面倒臭すぎる。

とにかくも、まだ4回目なのに、情報量が多すぎて頭の中が昭和に行ったり、現実に戻されたり、まあ、確かにこのドラマ、来週も見てねと言われたら「承知しました」と答えるしかない!

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