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「チィファの手紙」中国で撮られた岩井映画。同じ題材を違う国で撮るという贅沢。

私的にはあまりしっくりこなかった岩井俊二監督の映画「ラストレター」。同じ題材を同じ監督が中国で撮ったのが、この映画だ。説明を読むと、撮られたのはこちらが先らしい。感想としては、映画としての重厚感はこちらにある感じがした。

岩井俊二監督だからできる、同じ題材を2度撮るという贅沢。国の環境に合わせながらも、ほぼ同じ話が展開される。こういうのは、どちらを先に観るのかでずいぶん印象は違うだろうなと思う。私的には、先に「ラストレター」を見たことで、よかったのか?悪かったのか?それもよくわからなかった。

今回は、展開される話をほぼ知っている中での鑑賞という形。これは、これで落ち着いた鑑賞にならない。そして、どうしても最初から、「ラストレター」と比較しながら、映画を追ってしまうという失礼な感じになってしまうなと思った。

ということで、比較論。まず導入部は、この映画の方がしっくりいく感じではあったが、やはり、死んだ姉の同窓会に出席するというのは唐突な導入部だ。そして、やはりここでもスマフォを壊してドラマが始まる。他に手はなかったのか?ただ、スマフォを壊して、夫がアップルシールが貼られた糸電話を送るのは面白かった。

あと、「ラストレター」でも出てきた、大きな犬が出てくる。これも、必要性がよくわからなかったものだが、この映画内では、人の心の間を引っ張るような形でこの犬が使われている。なんで、後で撮った方にこういう使い方が出来なかったのか?

大きな違いは、日本版が「夏の映画」なのに対して「冬の映画」になっているところだろう。空の色が違う。画面のトーンが違う分、人に行き交う気持ちも少し違うように見える。中国の空は、日本人から見たら、少し濁っている感じ。とはいえ、人に行き交う気持ちはあまり変わらないのだが、この環境の違いによるテイストの違いは、やはり違う映画として成立させている。

役者たちは、中国の方が新鮮で、気持ちがシンクロできる気がした。多分、福山雅治や広瀬すずでは、距離感を感じてしまうのと、他を演じているイメージもあるせいなのかもしれない。

この映画、あくまでも最初から男中心に話が進んでいるようにしてあるのも全体の触感を変えている。男を演じるチン・ハオは、風貌が、サッカーの中山雅史のようなイメージで、親しみやすいのもあるが、彼が同窓会に向かうというシーンがあり、彼が手紙が本人から来ていないということを呟くところもある。彼の心情の中でドラマが動くところが多いのは、男である私にはわかりやすかった。

総じて、中国の役者の方がうまく動いている感じはした。死んでしまった昔の恋人役のダン・アンシーも、とても透き通った感じを作って印象的。この映画を見た後振り返ると、日本のキャストたちがどうもしっくりしていない感じがした。

日本版では、重要なアイテムである「本」に対してサインするシーンが3回出てくるが、こちらでは1回。中国にはあまりこういう行為自体がしっくりこないからだろうか?日本版では、このシーンが微笑ましく印象に残ったので、不思議に思った。

後、解説を読むとわかるのだが、一人っ子政策の中国の中で兄弟がいるのはおかしいということで、弟の存在が変えられている。だから、その弟の「死に対する思い」みたいなものも嵌め込まれ、そして、違うラストが用意されていた。私的には、中国版の方が好きかもしれない。

まあ、この話自体、悪い話ではないが、個人的にはあまり好きな話ではない。「ラストレター」を見たときにも書いたが、何か、取ってつけたような展開だからだ。だが、中国の地で撮られた岩井俊二の映画には、ちょっと新しいものを感じた。様々な国の環境で撮ることで、岩井俊二はもっと化ける可能性があるような気もした。これからももっとアグレッシブにグローバルに映画に向かって欲しい監督である。


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