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「ストレイ・ドッグ」ニコール・キッドマンの演技に引き込まれるも、辛いだけの映画だ。

この日本語の題名は「野良犬」ということだが、アメリカでの原題は「DESTROYER」つまり「破壊者」。観終わった後の印象は、後者が強い。主役のニコール・キッドマンは、やさぐれてはいるが、刑事であるわけで野良犬ではない。私は、観る前にこの題名から、復讐劇なのかと思っていた。だが、どちらかというと、自分の過去の精算という部分の方が大きいのだろう。

最初に出てくる殺人現場のシーンが最後にループする。それも、人生の精算はうまくいかない的に感じられる。復讐劇と考えれば、それは自分への復讐か?

ニコール・キッドマンは今年で53歳。今年の初めに見た「スキャンダル」でも存在感の大きいことを示していた。この映画は2018年作品だから、51歳でのアクション映画ということだろう。そう考えれば圧巻である。そして、美しい顔の彼女と、やさぐれたシミの多い乾いた顔の彼女が出てくる。多分、醜い方がメイキャップが大変なのだろうとは思う。こういうメイクで汚れ役をやるような美女は日本ではなかなか出てこない(新藤兼人がいて、醜い役もこなした乙羽信子などはその類だが、最近では見ない)観ている方は、その顔で現代と16年前を区別して見ていくしかない。それが結構忙しい。そして、男たちの顔ではそれが判断が難しく、結構、悩みながらの鑑賞になった。映画のテイストだけが殴りかけてくる感じだった。

そういう意味も含め、この映画はキッドマンの演技を見せる映画なのだろう。そういう部分で見れば、それなりに見所はあるのだが、もう一つ自分に対する闘争にしても抑揚や高揚感が不足しているように感じた。最後に自分の娘をなんとか救おうとする感じも、アクション映画というよりは、一人の女の哲学を見せるような映画なのだ。だから、素直に楽しめないところがある。ラスト瞳孔が開ききったようなキッドマンの眼の中に何を観るのか、人それぞれに違うところはある。

そして、これ最近では珍しくなった銀行強盗の映画である。札に色がつくように仕込まれていたというのは、ある意味今風なのだろうが、こういう銀行ギャングはもう古臭いですな。銀行自体にはそんなに現金がない時代に、割が悪い悪事ということなので、映画もここでも古臭く感じました。今は、銀行のプログラムの中に入り込んで金が盗める時代。銀行強盗映画は作るのなかなか難しいですよね。もはや、この分野も時代劇である。

結局、見所は枯れたキッドマンがどのように過去を精算しようとして、結末はいかにというところなのだが、結果的にはその辺りにあまりシンクロできないままに、映画がループしているのがわかって、「そうなのか」という感じだった。主人公同様に作り手の迷いも感じる作品だった。


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