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「最高の教師 1年後、私は生徒に■された(第6話)」人として、「好き」と照れずに言える高校生が増えれば、世の中は明るくなるだろう・・。

実際は、命とは亡くならないものだとは思う。そう、芦田愛菜は次のやり直しはオオアリクイかもしれないし、シロアリかもしれない。でも、命は確実に永遠に彷徨い続ける。「ブラッシュアップライフ」を見る前から、私はそういうことを信じている。だから、この回のラストの芦田愛菜の死の姿を見せられても、それほど衝撃的ではなかった。彼女の二度目の人生は、一度目より幸せであり、その実感があったにも関わらず、未来が見えないと言って、一度目と同じ日に死んでいくという流れも、私的には納得する感じで見ていた。そう、明日を想像できなくなったら、それは死が近いと言うことなのだ。死者に聞いてみることはできないが、それは間違っていないと思う。

しかし、表現していることは、昔の青春ドラマとあまり変わらないのに、全体的に重い感覚が押し付けられてくるようなドラマだ。もう少し、同じ題材を明るく描くこともできると思うのだが、なぜにこのような描き方なのか?昨今のこういうドラマの流れは、それこそ現実に影響を及ぼしていると思う。もちろん、逆だという意見もわかる。しかし、先に書いたように、私は必然と思うが、ある意味、このドラマの中心的キーパーソンの芦田がここでいなくなるのは、少し残念ではある。消滅するというフラグにあまりメッセージを感じないからだ。

今回は、先週、當間あみが芦田に「好きかもしれない」と言うところから繋がる。そして、當間はそこから休んでしまい、芦田は困ってしまう。芦田は、今回、自分は二度目の人生だと松岡茉優に明言するが、それは、二度目の人生にある程度の覚悟もあったからだろう。それは、松岡の姿が前の人生とは違っていたというのも大きい。そんな中で、當間が前の人生から芦田を気にしていたこともわかる。

そんな、高校生のわだかまりみたいなものを、理解して二人が話す機会を与える松岡みたいな先生はまずいないだろう。その部分は教科とは違うし、こういう部分は「金八先生」的なおせっかいだ。私はそれをいい先生とも思わない。教科の中で少しづつそういうことを教えていくなら別だが・・。というか、今の教師という職業の中で、生徒におせっかいしてる余裕はないと思う。だから、松岡は殺されたと言うことなのかもしれないが・・。

それはともかく、芦田と當間の会話劇は、なかなか興味深かったし、若い二人の役者の対峙するシーンとしては、歴史的に語られるようなものになっていたと思う。昨今は同性が「好き」というと、すぐにLGBTの方向に持っていく方もいるが、ある意味、尊敬の念での好きもあるだろう。それでも、確かにここで言われるように、「好き」と他人に言うのには勇気がいる。高校生なら尚更だ。大人になっても、勢いでそう言ってしまったために、結婚で辛い目にあってる人もいるしね。「好き」という感情はコントロールしにくいのだ。今回はこのシーンを見ただけで私は満足だった。

そして、芦田が死ぬまでに、加藤清志史郎が心ない謝罪をしたりもする。ここで芦田が、ちゃんと目を見て話したかった的なことを言うが、考えれば、私も学生時代は、あまりクラスメートの目を見て話すことなどなかったような気がする。そう、そういう逃げの生き方の中では、「生きた青春」はなかなか見つからないですよね。だから、いまだに私は青春の落とし物を見つけているような感じなのかもしれない。

そんなことはどうでもいいことだが、芦田を突き落としたのは誰?よくわからなかった。そして、それがドラマをここからどういう複雑な世界に導くのか?まだまだドス黒い感じでドラマは続くのだろうが、まあ、そのテイストは好きではないが、色々考えさせられる話にはなっている・・。

あと、今回、使われた「無自覚に人を傷つける世界」と言う言葉が脳裏に残った。「いじめ」という軽い言葉を論理的に言えばそういうことだ。言葉を変えて報道するだけでも、世の中は変わるのではないかとも思う。そう、「無自覚な言葉」に人生で何度苦しめられたかな?とも思った今回の視聴後の私の気持ちである。言葉は「言霊」。本当に軽く扱うものではない。

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