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「タイトル、拒絶」この世界、いつになっても変わらぬ社会の澱み。SEXの実務にタイトルはない。

なかなか秀逸なタイトルである。タイトルは映画の最後に出るが、映画自体のタイトルを拒絶しているように感じる。40年前、私がロマンポルノを見ていた頃はこの手のネタは舞台としてはよくあった。しかし、その頃、デリヘルという中途半端なものが風俗としてあったかというと、それほどの数は存在しなかったはず。しかし、当局が風営法の中で営業許可を出すようになり、反社会組織も、そうでない組織も、色々にこの商売を広げている。昨今のAV女優が湯水のように出てくるのも、こういうところでスカウトされているものも多いのだと思う。生きるためとはいえ、いつの時代になっても、本番があるなしにかかわらずSEX を売る商売は広がり、このコロナ禍の不景気モードには、需要と供給のバランスも崩れているのだと思える。

主役と言える、伊藤沙莉の街の中での愚痴から始まり、彼女がデリヘリでの最初の客から逃げるところに続く。結局、SEXを売り物にできない彼女はスタッフとしてデリヘルに勤める。その事務所の中での女たちの感情や生活や臭いが、立ち込める映画である。男も3人出てくるが、全てダメな男だ。ただ、その上になるオーナー役のでんでんは、こういういかがわしい悪い役が似合う。「冷たい熱帯魚」以来、久々に彼のこういう顔をみた気がする。

この題材、昨年、テレビドラマ「フルーツ宅配便」でも描かれていたが、こちらの話は地方都市の話だったし、話のトーンもこの映画ほどハードではなかった。そして、こちらが男からの傍観だったのに対しこの映画は女からの傍観。そこは、かなりこの職業への見方の違いを感じさせる。

伊藤は、自分が、うさぎになれないたぬきだという。そして、最後の方では、この職業に従事している女たちをアンドロイドだというようになる。売春という愛のないSEXや、それに近いことをするということは、まともな人間ではできないということである。だが、人が生きるためにこの職業は亡くなることがない矛盾。それを、さまざまに壊れた女たちの感情的な芝居で見せていく。

デリヘリという職業の周辺、そこに勤める男女の感情を98分の映像の中で明確に描いていると言える。それぞれの女たちには、それなりの理由があり、この時点で、袋小路にいることはよくわかる。その背景はお金だけのことではない。そこに入りきれない伊藤は、この中では、とてもまともな人間なのだが、あまりにも極端な女たちの立ち振る舞いに、自分がたぬきにもなれていない人生に惑うオチ。

働く女たちの中では、エキセントリックな演技を見せる佐津川愛美、ひとり、暗く何かをノートに書き込んでいる、行平あい佳が印象に残る。この職業の中に実際にいそうである感じが良い。ひとり熟女の片岡礼子は、もう少し濃い人生観がほしい感じがした。

どちらにしても、薄暗い、何かSEXの澱んだ香りがする空間を映像に収め、その感情を画にした、山田佳奈監督の手腕はなかなかのもの。次回作に期待である。そして、伊藤沙莉は、その声もあり実に印象的にこの映画の中にいる。その不安定さの演技はこれもなかなかのものである。さらに、現代の片隅を凝視するような映画を彼女の主演で見てみたい。

日本には、今、多分、こちら側の困窮しているアンドロイド的な人がどんどん増えている気がするのだ。そして、需要と供給のバランスが崩れる中で、人の心もどんどん劣化していくような…。この映画には救いがない。でも、それを凝視しているうちに私たちが感じるものがあるなら、これは傑作なのかもしれない。タイトルなんていらない人生の澱みの中に今の日本が見えてくる。


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