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「季節のない街(第6話)」シメサバにあたって、死んでいく子供の話は辛いですよね・・。

ホームレスの人は、豪邸に住む夢など見るのだろうか?それができるなら、引き寄せの法則を考えれば、時間はかかっても、その陽の当たる場所に行けるはずである。だが、実際は、その日暮らしに慣れてしまうと、そのルーティンの中から出られないというのが実態だ。空き缶拾いしながら豪邸に住む夢を見ることは難しいのだ。

そして、仮設住宅の街では、カフェができる計画が進んでいる。仲野太賀は、皆に喜んでもらえるカフェを作ることができるのか?そのカフェを作ることに対し、前回出てきた、不動産屋の藤井隆が絡んでるらしい。大丈夫か?そして、カフェの名前は「スタシオン」に決まる。この街には濱田岳の電車が走っているが、駅がないからだという。そう、久しぶりに濵田が電車を運転してる画が出てきた。安心した。日常というのは、狂っている人もそこに存在してることで安心できるものだ。だから、自分の価値観に合わないような人でも、存在することで、今を確認できたりするのがこの世の中だったりする。そんなことを考えてると、この世の中が自分の脳が作ったバーチャル空間であるという理論も納得はできる。

で、今回はホームレスの悲しい話である。街の人たちは、野良猫に餌を与えるようにホームレスの子にも親切にする。確かに恥ずかしいが、こういうのが理想なのである。食えない子供がいたら、子供食堂など作るのは間違っている。そっと裏で彼らに食い物をめぐめばいいのだ。オモライさんでは、乞食と一緒だから、ただの食堂を作るなど、それこそ偽善者のやることだ。それは、政治ではない。野良猫は飼い猫になった段階で弱くなる。まあ、この問題は、そんなことを論ずる以前に、国民が最低限の生活ができない状況ができてることが問題なわけで、そこを徹底的に論議すべきであると思う。

で、ホームレスの子は街を歩き、ご馳走を恵んでもらう。鯛焼きにカレーをかけて食べるのは美味しいのだろうか?ちょっと味見してみたくなった。それよりも今回の話の終点は、シメサバに火を通すのは間違っているのか?というところだ。確かにお父さんの又吉直樹が言うように、シメサバは腐らないように酢と塩で締めてあるわけである。だが、昔から、シメサバで当たる人は多い。つまり、この料理には欠陥があるのだ。それを野良猫も知っているというように描くこのドラマはなかなかすごい。

そして、二人は腹痛を起こし、子供は朽ちていく。すごい悲しい話だが、その死に際の妄想で、プールのある豪邸が出てくる。そんな豪邸を夢見ながら死んでいったのなら、次の世に彼は、そんな家に生まれるのかもしれない。とにかく、ご冥福をお祈りしながら、今回はドラマを見終わりました。

本当に、このドラマは哲学である。

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