「his」複雑な現代の恋模様。いろいろ受け入れれば大したことではない。

同時期に2本の映画を公開して、どちらの映画にも力があるというのは、今泉力哉監督が作り手として、一つの旬を迎えているということだろう。先週の「mellow」に続き、この「his」を観させていただき、とにかく、映画という装置の中で人の微妙な気持ちを心地よく画に出来る人だと感じた。

新宿武蔵野館、サービスデーとはいえ、平日の昼の回でほぼ満員。ネットでの評価の高さなどがこういう雰囲気を作っているのだろう。作品はそれに答えるだけの完成度を持っている。

ゲイの一度別れた恋人が再開する話。一人はバイなので子供を作ってつれてきている。ただいま離婚調停中という、現代的なシチュエーション。山奥の煩わしくない村に自分を隠して生きてきた男と、これもまた普通の夫婦という中で主夫をこなしてきた男、そして昔の男がやはり一番と訪ねてくる。

これを書いている私は、昔からその趣向はないし、そういう人物は苦手なので、そういう題材も積極的には観ないし、観てもやはり違和感があることが多かった。しかし、この映画、男とか女とかを超越したところにあり、「愛とは何か」まで考えさせられるものに仕上がっている。

今泉監督の画造りは、無駄のない美しさを保ち、彼らの抱擁するシーンにはそれなりの力がある。村で彼らを見守る人々の目も優しい。村の人々にバレるのは、我が子にキスしているところを見られるところからなのだが、そういう形であることも、この映画の愛らしさなのかもしれない。

「mellow」でもそうだが、監督の子供の撮り方も実に自然で生き生きとしている。子供の素の感じを、何の気負いもなく撮れる人だからこそ、恋愛の空気などという面倒臭いものを、見事に絵に表現できるのだろう。

そこに絡んでくる妻役の松本若菜も、いつもドラマに出てくる彼女よりは二割増くらいで存在感がある。離婚調停のシーン自体は紋切り型だが、弁護士の演技がリアルなそれに近く、複雑な夫婦の気持ち本質とは乖離しているように描いているのもまた上手い。恋愛事情を法廷で裁くなど所詮絵空事だというように観客に強く提示している。

主役の宮沢氷魚、藤原季節は、思いが沈み、そして浮かび上がる様を二人でうまく表現しあっている。その姿が良いとか悪いとか、変だとか正しいではなく、抑えられない思い、自分の必要な拠り所が二人の中に見えるのである。

監督は、そんな画にならないものを画にしている。それは、映画という装置だからできる技である。リアルな世界とは違う時間の流れる世界がそこにある。観客の私にしたら全て他人事である。そう、私はこの映画の中で出演者の誰にもシンクロはしていない。そういう趣向がない以上無理である。強いていえば、鈴木慶一演じる猟師の立場だろう。彼の存在感がいい。そんな彼が死に、村の人たちに受け入れられるという流れも綺麗だ。そこで根岸季江がいう「もうこの歳になったら男も女もどうでもいいものね」という言葉は軽いようで深い。人間はまず人としているのが大事だということだ。

ラスト、子供を引き取った妻と、恋人の二人が広場で戯れるシーンが超ロングで捉えられる。そう、世界が広い中で、一人ひとりはちっちゃいものだという印象のシーンだった。

現代を生きるには、いろいろ大変だ。でも、この映画のように一人ひとりが自分を押し付けずに、時に激しく時に許しながら生きるのが正解だと思う。

監督の優しい眼差しは、私に「いろいろと面倒臭いけどシンプルに考えれば?」と言っているようである。

とにかく今泉監督、映画を量産している感じであるが、ワンシーンワンシーン丁寧に紡いでいるような愛おしい映画群が出来上がってきている。そう言う映画たちだからこそ、観る方も真剣に観てしまう。そんな映画があることが私は嬉しい。次の「街の上で」の公開が本当に楽しみである。

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