見出し画像

「何曜日に生まれたの(第2話)」飯豊まりえが、いろんな意味でヒロイン的に覚醒する話なんですよね?多分・・。

主題歌が「Bus Stop」なのには意味があったのね。飯豊まりえは電車に乗れないのでバスを使って登校していた。この辺りも先の何かの伏線的なネタなのか?高校の時の事故のトラウマもそうだが、いろんな人間の隠れた部分が再度浮かび上がってくることで新しいドラマが紡ぎ出される感じはなかなかミステリアス!

だいたい、このドラマの視聴者は溝端純平や陣内孝則、シシド・カフカと共に、飯豊まりえの日常を盗聴しているような感じの位置であり、それが、ある意味えげつないと思うかどうかは微妙なところで寸止めしてある感じ。この辺り、野島伸司はやはりうまいのだ。ドラマでここまでやっていいから、やってしまえができる。

そして、そんな盗聴、盗撮されているような飯豊の芝居がなかなか秀逸である。引きこもり10年という、ある意味社会性がなく、子供の部分が残っているところがうまくできている。陣内が溝端と喧嘩をしてしまい、それならフィギュアを返せを溝端が言ったときに、飯豊がする地団駄は、ドラマの中ではなかなか見られないような仕草。そういう部分が可愛くも見えるアンバランスさを飯豊は実にうまく表現している。

そして、先週の井上裕貴に続いて、バイク事故を起こした当事者であるYUの登場。一人ずつ、過去の記憶が現実になって戻ってきてカラーになる。飯豊の頭の中がこんなだという表現だとは思うが、実際、最近の若い人は過去がモノクロではないのではないか?と考える私がいた。

そう、昔は、映画もテレビもモノクロからカラーになった。だから、私は子供の頃、夢もモノクロで見ていたと思う。でも、最近、モノクロで夢を見ることはほぼない。ということは、この過去がモノクロという表現は、若い人たちには新しいのかも?そして、引きこもりの飯豊にしたら、そのトラウマができたところで記憶がモノクロに変わったみたいな感じだったのかもしれない。そう考えたら、この色がついてくる演出はアリなわけで、クールな感じがするのは、昔の同じ演出とは違うということ?と思ったりもするのだ・・・。

とにかくも、溝端の作るストーリーは、昔の仲間が彼女のところに集まってくることで成立し始める。ここから、中の出演者も視聴者も思いもよらない方向に連れて行かれるのはわかりきってる感じだが、とにかく、このまま飯豊の行動、そして集まる何かを私たちは盗聴し続けなければならない状況になってしまったわけである。

しかし、溝端は何故にこの話を受けたのかという謎は最後の方までわからないのでしょうな。

クレジット、そしてラストクレジットは雨の中だが、ドラマ内ではまだ雨のシーンはないよね。そんな雨の中、赤いチェックの傘で飯豊に近づいてくるのは誰なのかしら・・・。?

で、ラストのプライベートビデオのような告白の縦型動画。野島さん、いろいろ新しいものを突っ込みたくて仕方ない感じだが、それが自然にできるのはやはり才能ですね。

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?