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「流浪の月」静かに重く、映像に乗せて、愛の本質の匂いを感じさせる秀作

今年見た、日本映画の中では、一番手応えがあった。そう、こういうのが映画っていうんだよっと、最初から、ずーっと感じながらラストまで150分、堪能したと言っていい。こういう時間を過ごせるから、映画館で映画を見ることをやめられないとも言える。

主演の3人の演技が、今までの彼らの演技を大きく飛び越えるように出色であった。もちろん、それは、監督脚本、李相日、撮影監督、ホン・ギョンピョというスタッフによる力がかなり大きいと思う。観客は、最初からズーッと演ずる役者たちの深い心の中に入っていって、出られなくなる感じがたまらない。そして、自分の心にある「愛とは何か」みたいなものを揺さぶってくる。そう、映画特有の波動に震撼させられたと言っていい。

この3人、警察に捕まったり、聴取されたりするが、誰も悪い人はいない。犯罪といえば、横浜流星のDVの暴力くらいだろう。確かに幼児誘拐という事象はあったにせよ、加害者も被害者もそういう意識はなかったということ。そして、その時間だけが、彼らにとって優しく忘れられない日々だったということなのだろう。

だが、世の中の倫理はそれを論じることはなく、誘拐犯だ、ロリコンだと松坂桃李演じる「文」を責め立てる。そういうマスコミやネット、そして警察の人間の心を理解しないような暴力というものも、この映画のテーマであろう。そして、子供を広瀬に預けて帰ってこない趣里もまた、現代の子供より、自分優先を考える罪深い親たちの偶像である。趣里も、こういう汚れ役みたいなものをうまくこなすようになったと思った。

そして、この映画はやはり、更紗を演じる「広瀬すず」に驚かされる。まさに、この作品で日本映画史に残る女優になったと言っていいだろう。そして、全編、どちらかといえば暗い表情の演技なのだが、「こんなに美しかったか?」と叫びたくなるほどだった。途中、DVにあって、傷つくシーンもあったが、それもまた、それで美しく見えるから、まさに彼女のメタモルフォーゼを見ている感じ。ラストの彼女の松坂桃李に対する愛情を明確にするためにだろうが、二度の横浜とのSEXシーンもある。ここも、表情で見事に男女の距離感みたいなものを見せているし、広瀬すずって、こんなに演技の引き出しがあったのか!と本当に驚かされた。

そこに呼応する、女と繋がれない松坂。その無口で存在感のない演技により、彼の内面の優しさみたいなものも表現しきっている。二人の子役と対峙するシーンで、彼の性格は明確にわかり、それが、ここで皆が言う「ロリコン」とは、全く違うものなのもわかる。あくまでも、無垢なものにしか対応できないみたいなものなのだろう。

そう、その二人の不思議な感性に対し、横浜流星は、DVを平気でやるような異常さはあるものの、こう言う人は多くいるという感じ。広瀬に逃げられ傷つきダメになった彼の演技がたまらなく良かった。彼もまた、この映画で新しい演技者としての何かを掴んだのではないか?

そう言う意味では、松坂の今の女を演じる多部未華子は、役として少しかわいそうな感じ。最後は、結局、二人に内在する優しさみたいなものは全く理解せずに去っていくわけだから…。

そして、ラスト、疲れ果てた中で、松坂が、自分が女と繋がれないことを叫びながら荒れるシーン。そんな彼を抱きしめる広瀬。その抱き合う二人の中に、観客は「愛」を感じるわけで、その後、エピローグのように、二人が流浪の月として生きていくことが語られる。なかなか美しく、先が見えないラスト。こう言う映画を私は愛する。

この原作を私は読んでいないが、多分、文章として提示されたものを映像としてブローアップした出来なのではないかと考える。現代は、この映画の中の人物たちのように、正直に生きていても、後ろから小突かれて、うまく生きることができない人が多いのだと思う。マスコミやインターネットは、自分と少し違ったものは、容赦なく叩くわけである。日常に会話しても、そう言う人が増えているような触感がある。マイノリティーだLGBTだと叫ばれても、まだまだ救われない人はいっぱいいるのだ。「優しさ」という感情をうまく使えない人も多すぎる。幸福であっても、それを幸福と思えない人も多い。だから、自分より下とか、ダメだとか感じると、それを徹底的に葬ろうとする。子供のいじめ問題は、本質的には大人のいじめ体質によるところが大きいと私は思っている。

そんな悲しい時代に、放り込まれたこの映画、多くの人に見ていただき、いろんな意見を聞かせていただきたいと思う。

一言、秀作でした。



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