見出し画像

「ミステリと言う勿れ(第6話)」DVからの放火というエグい内容に、乾いてる菅田将暉がよく似合う

病院を退院したのに、病院をうろちょろする菅田将暉演じる整君。彼の前に現れる、門脇麦は、何か知っているようで、よくわからないままに今回も整の周辺に現れる。そして、いつもパジャマなのは、病室を抜け出しているから。病院というのはある意味「負」の空気が集まる場所でもある。そう考えるとお医者さんという仕事は大変だと思うが、まあ、そんなことはどうでもいい。だが、このドラマにあまりお医者さんは出てこない。それは、お医者さんの話ではないからだろう。

だから、病人と整を繋ぐものとして「自省録」とかいう哲学本が出てくる。そう、負のパワーの巣窟である病院で哲学書を読むというところに、なんかミステリアスなことを感じるからだろう。今回はそんなミステリアスな中から岡山天音と早乙女太一という二人が、整に寄り添ってくる。というか、整君が勝手に事件に近づいてくるようなオーラがあるのだろう。そして、放火犯が彼らで、放火された家にはDVが存在するというのが浮かんでくるが、そんなことがわかるまでの今回。警察が同じものを追っているのに、あまりシンクロしてこないのは、ちょっと寂しい。そう、この回は多分、来週に続く承前感がすごくあり、整、自らが体現することを視聴者に体現するような流れ。まあ、もやもやして次週を観る流れですね。

しかし、門脇麦は、この事件にどう関わっているのか?ただ、そこに整を関係させたいだけなのか?ガロ君との関係を疑う整だが、その本質的なものが見えてこない。この辺、ドラマ的にはイマイチ、難しい流れにしてるが、脚本家はわざとそんな感じにつなげているのだろう。相沢友子が、ただ話を伸ばしているとは考えにくい。

そう、できる脚本家だから、まあ、書きたいようの書いている感じがすごくする。原作を読んでないからよくはわからないが、どう流れを自分流にして、どうまとめ上げるか?というゲームみたいなことをしているのはわかるのだが、もう一つ焦ったい。多分、ドラマにするのに難しい題材だということなのだろう。

結構、最初からエグい題材の中に、冷静な整という男を放り込むことで、現在の時代的な無秩序さみたいなものを描いていっているのはわかるのだが、ドラマとしてはもう一つパンチが足りない気がするのですよね。ここから、あと4、5回で整に現在のあり方の、何を解説させるのか?そこんとこは楽しみなのですが、もう一つ面倒臭い人ばかりが集まる感じについていけない人もいるのだろうなと思うと共に、自分の感想も書き出すとカオスになってくここまででした。

あっ!アンリ・ルソーの「ヘビ使いの女」が出てきたのは個人的にうれしかったです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?