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「インフォーマ(第9話)」仕組まれた桐谷健太VS森田剛

利権を持った人間は、もはや利権を持つ前の人間とは違う人間だという構図をドラマとしてよく見ることがある。立場が変われば、社会の見え方も変わるし、自分を客観視できなくなる。そんな男が石橋蓮司であり、彼が目をかけた二人の男、桐谷健太と森田剛が合まみれるということは、全て石橋が仕組んだゲームのようなものだったようだ。

社会のためという論理で、森田に三人の男を殺させたわけだが、その殺した論理も特になかったようだ。目障りだから消したということだろう。そして、それをすることによって、桐谷が動き出すことが石橋にはわかっていた。ドラマの筋書きとしては、そんなところか?

子供時代の桐谷と森田の姿が、フラッシュバックのように何回か出てくる。彼らは小さい時に出会っていて、そのことに対し気づいていなかった。そういうのは、昔の不良物ドラマにはよくあったような話だ。特にやくざ映画にはよくそういう相関が使われていた気もする。それを引用してつかyっていたのが梶原一騎でもある。そう、このドラマも梶原的なストーリー展開の影響みたいなものも感じる。

そして、反社ドラマで使われたような世界観を残す社会は、今は政治家くらいのものだ。こういう、しがらみみたいな糸の絡みあうような世界を描くなら、今は政治のそれしか無いのかもしれない。そして、政治家が思いっきり過激な殺人ゲームを行っているとさせれば、そこにリアル感も生まれてくる。

そんな意味ない絡み合いを記事にしようと体張っているのがポンコツ1号であり、彼は記者というアイデンティティー以外にはここにいる意味がない。でも、桐谷についていくのは、桐谷が何者なのか?という答えを見つけたいからだろう。そう、ここで蠢く男たちは、何か回答を見つけようとしているのだ。それが何かはわからないが、それを求めることがアイデンティティーになっている。ネットの記者にそんなものがあるか?というのが現実だが、そんな軽い輩に覚悟みたいなものができてくるのが、このドラマでもあるのだろう。

そして、そんな無意味さに気づいたというのか、森田剛は石橋蓮司を葬る。ここからは、もう、桐谷と森田がどう対峙し、二人が違う道を進んだ時間をどう消化して、お互いのアイデンティテーをどこに感じるのか?というところだろう。

ドラマとしては、桐谷と森田が、何かを求めているような表情のテイストだけでここまで十分に濃厚なものを見せていただいた気はする。二人の行く末、そして記者としての佐野が最後に取材するものはなんなのか?見守ろう。


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