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「夜明けまでバス停で」作り手のメッセージを的確に伝える現代に投げられる爆弾映画

2昔前は、日本国の中で、こういう映画がたくさんできていた気がする。今は何をビビっているのか、私にはよくわからない。先日は足立正生監督が安倍首相狙撃犯の映画を撮り、その上映に反対する輩に靡いて上映中止をする映画館がでたりしていたが、バカじゃないのか?と私は思った。映画の表現で政治を現実を描くことは自由だ。それを見たくないものは見なければいい。もちろん、天国の映画だと言って地獄を見せられたら、それはいけないだろうとは思う。安倍暗殺事件は、詳報がほとんど出ないままに、ママゴトみたいな国葬を行って、安倍晋三は神であった的な括りで自民党はまとめたいわけで、そういう意味で、観たものにいらない妄想をさせる映画は邪魔な輩が多いということだろう。そんな輩は映画というコンテンツに何の興味もない奴ばかりだ。そんなものに、映画産業は屈してはいけない!本当に、とんでもない時代である。

そのとんでもない時代を真っ向から描いた映画がこの映画だ。なんか、題名から見ると、ラブロマンス的に見えるが、実際はコロナ禍で起こった「女性ホームレス殺人事件」という実話をもとに、コロナ禍での悲惨な現実と、その当事者が復讐するという、わかりやすいメッセージ映画だ。安倍晋三信者は、なぜにこの映画を上映中止にしないのだろうか?この映画は明らかに現政権を批判してるし、その怒りが明確になっっている。つまり、映画の上映中止を叫ぶ輩は、映画自体には何も興味もないし、観る気もない。そう、統一教会の問題もあり、彼らはもはや劣勢にある。そんな中で、文化である映画に文句をいうくらいしかできないのだ。そして、この映画を観たとしたら、彼らは「誰がこんな映画作っていいと言った」というくらいのことを言うだろう。そのくらい、久々にパッションを強く感じた映画だ。高橋伴明監督、恐れ入りましたと言うところである。

と言うことで、これ以降は、ネタバレになります。観る予定のある方はご注意を!

ラスト、クレジットに挟まる、建物の爆破映像。時代は、そう言うことが起こる寸前であると言えると思う。そう、クレジット前の主演の板谷由夏が大西礼芳に「爆弾作らない?」と笑顔で問う一言は、現実に路上で「ワクチン反対」みたいなことを言っている人に出会うより、すごいインパクトがある。そう、こんな日本、爆弾で吹っ飛ばしてリセットしたいのが多くの人の思いであるような気がする。

まず、主演、板谷由夏はよくこの役を引き受けたと思う。ある意味、それほど個性のない女優だからこそ、このホームレスになる女性の役は見ていて身につまされる。実際に、こう言うふうにホームレスでバス停で寝ていた人がいたという事実も衝撃的だが、頭がいい人、まじめな人が、とても生きにくい現実を彼女は体現しながら、映画の中でもがいてる感は観ていて苦しく思えた。

その周辺の、居酒屋仲間のルビー・モレノや片岡礼子。そして、その店長の大西礼芳。アクセサリー教室の場所を貸してる、筒井真理子など、冒頭から出てくる脇役たちがなかなか板谷のまじめさを見せるのにうまく動いている。クソオーナーの三浦貴大も、ある意味、成り切った演技。そう、板谷のいる現実がまず、じっくりと描かれることでこの映画は、本筋に入る前に「日本の劣化」を十分描ききっている。こんな世界は、私の隣にもあると思わせる凄み。

借金苦の板谷の元に降りかかる「コロナ禍」の現実。居酒屋が閉まり、クビ。その先に決まった介護の仕事もコロナで採用中止。そんな中、住むところがないと言うのは、友人にも公にも頼めないと言うまじめさからなのだが、そこで、「こうした方がいいよ」みたいな話は一切、映画の筋には入ってこない。そこのところが、アンタッチャブルで良い。

そして、ホームレスたちが自然に近づいてくる。ホームレス役の根岸季衣や柄本明、下元史郎などの造形は、かなり大胆な感じではある。柄本が「新宿交番爆破」の犯人だという設定は、観ていて「そこにきたか!」と思った。そう、高度成長の時の怒りを明確にして、現代の怒りをそこにシンクロさせていく。結局は、何も変わっていないし、生活に潤いはないと言う事実が明確になってくる。そして、そんな時代を知らない板谷は、爆弾を作って復讐したい的な心になるわけだが、ここの部分が、今の若者たちに理解されるかどうかは聞きたいところ。

そして、そんなドラマの中に安倍晋三や、菅義偉のテレビが流す演説が流れるが、その見せ方の無機質な感じが堪らなく、監督の思いを告げている感じだった。そして、もっと無機質に見える、オリンピックの表示、真っ赤になる都庁。マスコットの描かれたバッグ。そのバッグに爆弾を入れるというのも、オリンピックに対する揶揄ですよね。もはや、この国は何をしようとしているのかよくわからないことを如実に感じさせる。

そう、これは、現実に怒りの中にある作り手の映画である。その方向性は明確だ。それを爆破ということで解決するのは良いことではないと思うが、そのくらい庶民の怒りは煮詰まっていると言うことはよくわかる。そう、映画としてのメッセージとして、すごい波動が映画の中に渦巻いてる感じが、なんか懐かしかった。

そう、高橋伴明監督のピンク映画もそんな空気感だった気がする。たまたまだが、今日、映画を観たのは、昔「シネマセレサ」と言って日本のピンク映画を流していた「シネマロサ2」である。そこで、この映画を観たことで、いろんなものが脳裏に浮かんできた。予算の関係だろうが、劇伴があまりないのも、安いピンク映画みたいな感じだし、監督の人間の捉え方のスタンスは当時からあまり変わっていないのも再認識した。結果的に、映画の中でこう言う形でメッセージを送れることの素晴らしさみたいなものに、拍手しかなかった!

本当に、コロナ禍でこんなに皆が苦しんでるのに、映画産業も十分苦しんだのに、この題材の映画がまだほとんど作られていないのは何なのだろうか?海外ではどうなのだろうか?作られても、輸入されないだけか?この、時代の変わり目に見える、この歴史的な出来事をみんなでもっと映画にしてカタをつけてほしいと、この映画を観て本当に思いました。

かなり、ネタバレもしましたが、多くの人に観ていただきたい映画です。


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