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「あの頃、文芸坐で」【84】ショーン・コネリーから、ロジャー・ムーアへの007イメージの継承について

1982年7月8日、このころ、大学のテストもあったと思うのだが、映画を観る勢いが進んでいる。もはや中毒症状だったとも言える。そして、この日は、文芸坐で007「ダイヤモンドは永遠に」と「死ぬのは奴ら」の二本立てを見る。しかし、あのころ、スマホがあったら、映画館の写真をいっぱい撮っていただろうなと思ったりする。記録の写真がないのが本当に残念である。

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まずは、コラムから。スーパーSF日本特撮映画大全から、ラドンの話。私も、「ラドン」と「モスラ」が大好きだ。何度見ても飽きないし、いろんな発見がある。今年は「午前十時の映画祭」でラドンがかかる。楽しみでしかない。そして、この当時日本のSF映画というと、ほぼ怪獣ものだったわけだ。そして、そこには、今公開中のウルトラマンのようなテレビの影響も多分にある。まあ、ここは、他の国とはSFの捉え方の違いみたいなものが見られる大きな点だと思う。でも、ここに書いてあるように、今、当時のウルトラマンを見てもガッカリはしないんですよね。そう、それが私の身体の一部だからだと思うのですよ。

そして、プログラム。文芸坐は、007の後、喜劇映画セレクション。しかし、こういう洋画の乱打上映みたいなものが可能だったのは、本当に今考えるとすごいですな。文芸地下は、清順、ロマンポルノに続いて、先にも書いた「スーパーSF日本特撮映画大全PARTⅣ」。まあ、この企画は、客が入ったのでしょうね。オールナイトは、浅川マキライブに続いて、増村保造監督。まあ、カルトなファンには好まれる監督ですが、私は天才だと思います。こんなパワー全開の映画、今、撮れる人いないですよね。これぞ、演出という感じ。ル・ピリエも、この時期は、映画がかかってますね。

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そして、この日、007のショーン・コネリー最終作「ダイヤモンドは永遠に」とロジャー・ムーアの第1作「死ぬのは奴らだ」の二本立て。まあ、私、007って寅さんほどではないにしろ、色々シリーズが混ざってるのですが、この二本も内容を説明できるほど覚えていない。

特に、「ダイヤモンドは永遠に」は、記憶が薄い。その前のジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」が印象的で傑作だった分、こちらがなんかすごくつまらなかった記憶があるんですよね。とはいえ、古い人には、ジェームズ・ボンドと言ったら、ショーン・コネリー。久々に彼の007を観てみようかなと思ったりする今日このごろ。

そして、ロジャー・ムーア登場なのだが、この映画も、モーターボートでチェイスするようなシーンしか覚えていない。そして、ウィングスのテーマソングですよね。007は主題歌の記憶だけが印象的なものでもある、洋画にしたら珍しいタイプ。そして、ロジャー・ムーアのジェームズ・ボンドは「私が愛したスパイ」が傑作で、その前の2本は、イマイチだったという印象が強い。ただ、「黄金銃を持つ男」はアジアが舞台だったので、雰囲気はよく覚えている。この辺りは、作り手にもショーン・コネリーのイメージがこびりついていたところもあるのでしょうね。そう、こういう主役交代はすごく難しい。でも、このシリーズ、それをモロともせずに今も続いてるのは、ジェームズ・ボンドというキャラクターの格好よさみたいなものなのでしょうね。

まあ、私に洋画を熱く語れと言っても、限度があるところで、最近、また、勉強させていただいているようなものです。この当時、大学生の頃も、字幕を読むのが面倒くさいのと、今以上に英語というものに拒否反応があって、溶け込もうとしなかったというのはありますよね。とはいえ、この後、もう一回、007の特集は見に行っています。その話はまた今度。


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