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「よだかの片想い」恋愛のフェイドイン、フェイドアウト。そして映画監督は何に恋しているかの一考察

松井玲奈の主演ということで劇場で観ることにする。松井玲奈は俳優として、静かな役も激しい役もコミカルな役もこなせる、なかなかできる女優さんだと思っている。そして、文筆活動もやっているわけで、創作に対する感性みたいなものが、シャープに観客に伝わってくるような演技をするといつも感心している。そして、この顔にアザのあるというマイノリティーの女性の主人公という、内面をどう演じるかがすごく難しい役で、なかなか印象深い演技をこなしていた。

原作は島本理生。脚本、城定秀雄。監督、安川有果という面子の作品。安川監督は、長編2作目ということだが、なかなか丁寧で、画作りが上手い。私の波長と合う感じのリズムの映画で、とても好感の持てる作品に仕上がっていた。あくまでも、彼女は私の知っている「映画」というものを創ろうとしてくれてるところが嬉しい。結果、出演者たちが有機的に動かされている感じだった。

LGBTというものを中心にマイノリティーということが最近はよく語られるが、ここにあるように、身体の一部が他人と違うことで悩む人は、LGBTよりも多いかもしれない。太った、痩せたみたいなものの含めれば、その数はかなりの量になるだろう。そして、それが「いじめ」の第一歩だ。人間という生き物は、そういう部分が実に悲しいほど進歩しない。そう考えれば、顔にアザのある松井の心境は観客皆にわかるわけだ。そして、この映画は、観ているうちに松井の内面が観客にシンクロしてくる。さまざまにマイノリティー的なものを抱えてる人なら尚更だろう。

そして、そのマイノリティー的なものに興味を持つのが映画監督役の中島歩。この二人のそれほどセリフの多くない寄り添い方がなかなかリアルだった。そして、女よりも映画を愛している中島の感覚も、説明臭くなく描き切っているのは、脚本の城定氏の考える映画監督の恋愛観みたいなものが描かれているとも思えたりする。多分、物作りを始めると、女よりも映画という変態監督は少なくないはずだ。それほど、映画創作はエクスタシーを感じる仕事だと私も思う。また、女を抱く以上にエレクトしないと良い映画はできないとも思えたりする。

そういう意味で、確かにここで描かれるのは、松井の勝手な思い込みの片想いみたいなところがある。彼女は大学の修士の学生であり、電磁波などを扱っているというのもわかりやすい設定だ。理系の女子にそんなに浮かれた話はないし、あくまでも、科学的なことが好きな輩たちは、科学の新発見にエクスタシーを感じたりするわけだ。そういう意味では、この二人、似た者通しであり、男女という以外に好きなものがあるわけである。

そんな微妙な人間の感性的なものが上手く描けている気がした。だから、キスシーンもそんなにエロくはない。そして、松井と中島の心が、静かなままで、前に動いていかない感じのもどかしさみたいなものを、映像の時間軸の中で上手く表現できているところが、映画として秀逸であるわけだ。

タイトルは、宮沢賢治の「よだかの星」からの引用だが、松井はよだかほど、醜く、皆から嫌われてるわけではない。自分のマイノリティーを中島との出会いで払拭できるかと思ったが、実際は、その難しさに気づき、自分の生きるプライドを明確にすることができたというところか?ラスト、化粧でアザが落とせることがわかり、新たな気分で街を見渡す松井。その笑顔まで持ってくる映画の力はなかなか心地よかった。安川監督、次作が楽しみです。


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