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「香川1区」政治とは?選挙とは?この世界も汗をかいた方が勝ちにならねばいけないのだ!

「決戦は日曜日」の感想を書いたところで、宣言した通りにこの映画を観る。この前作「なぜ君は総理大臣になれないか」は見ていないが、この作品を見れば、想像がつく。まあ、熱い男を追えば、熱い映画ができるということだろう。そう考えれば、相手候補の平井卓也氏に「PR映画を作って宣伝していてずるい」と言わせるような映画だということだ。ある意味、この発言で、(というか、映画自体を見ていないと彼は最初に言っているのに、PR映画かどうかはわからないはず)彼が追い詰められていたこともわかる。

しかし、156分の長尺のドキュメンタリー。全く飽きずに観ることができた。選挙というものは面白い!ということなのだろう。主役が規格外に熱い男なら尚更だろう。まあ、彼が立憲民主党の党首になれば、少し新しい政治の波が来そうな感じがする。そう私が思うのだから、平井氏が言うように前作も、彼のPR映画?としてはよくできていたのだと思う。そう、平井氏が言うように、今後は皆が動画で自分をPRしていく時代だと思う。さすが元デジタル大臣!と思ったら、彼の選挙戦には「デジタルすごい!」みたいなものはひとつも出てこなかった。街頭演説でQRコード出しているくらい。まあ、それが日本のデジタル庁の現状でしょう。そして、顔が黒い人だなと思ったら、取り巻きはヤクザみたいな人たちで、その人たちとスタッフのやり取りの部分が一番面白かったりする。ここは、スタッフの「なんで私がこんなん人に責められなければいけないのだろう」と言うところなのだろう。しかし、日本映画にはこのヤクザ性があると盛り上がる。とはいえ、自民党=ヤクザみたいな姿も数年後にはなくなっていただきたいものですね。

で、映画本体の話、主人公の小川淳也氏を追って、カメラは6月から決着がついた11月まで、時間軸通りに彼の選挙活動を追っていく。とにかく、「香川1区」で当選することを目指し、多くの人がそのまつりに加わり、彼の人間性に付き合うという映画。そう、悪い人は出てこない選挙ドラマである。敵の平井さんだって、まあ格好よくはないが、悪い人ではない。自民党の慣習に沿った運動しかできない人だと言うことだ。デジタル大臣がパソコンを華麗に操るみたいなところを見せていただきたかったが、それは無理な話なのだろう。維新から出てきた人も、特に何も考えないで自分が目立ちたいだけの人のようだし、このなんかロボットみたいな方々と戦う小川氏は、正義に味方に見えてくる。それが、映画というものだ。

そして、妻と娘二人も、見事な脇役を占めていた。家族愛も含め、政治家としてなかなか好感が持てる。怒ったシーンは、維新の出馬で、田崎史郎に怒るところくらいだ。ここで、怒る相手が田崎というのは、映画として出来すぎている。どのくらいビデオを回したかはしれないが、良いところをつなげた結果がこの長さなのだろう。それこそ、見事な小川淳也のPR映画にはなっていた。そういう意思を持たなくても、主人公が勝つ話なのでそうなるのだ。そして、映像は、本来の人物を、勝手に増幅させる。それは致し方ないこと。だが、時代の揺れみたいなものをこの「香川1区」に見たという捉え方は今は正しいように思える。そして、この映画が数年後にまた皆に見られるようなら、日本はかなりの変化を見せているように感じる。そういう意味で、多くの人に見てもらって考えていただきたい映画ではある。

そう、最後に、この映画には関係ないかもしれないが、河瀬直美監督問題で河瀬監督が「東京オリンピックのドキュメンタリー」について「創作」と言ったことで、「ドキュメンタリーが創作かよ?」と責め立てた人が多かったが、私に言わせれば、「ドキュメンタリーも創作である」と断言する。そう、作り手の思いのバイアスがかからないドキュメンタリーなどないからだ。そこの演出的なものが入らない映像など全く面白くないと思っている。この「香川1区」でも、最初に文句をつけてくる平井氏の応援団が、二度目出てくると、前の人と同じとわかるテロップが入る。ここで、「この人はちょっと変な人」という括りができる。これは見事な演出である。

そう、市川崑監督の「東京オリンピック」も撮り直しのシーンは明確にされているし、創作だからこそ、ああいう芸術的な映画ができたのだ。正直嘘のない映画など面白くもなんともない。もちろん、問題になっている捏造はいけないのだが、「真実」というものは個々で違うと「ミステリーと言う勿れ」で菅田将暉が言っていたが、その通りだ。

映画とは、観た人がそれで洗脳されることもある。そんなこと自由なのだ。「幸福の科学」の映画を見て入信したって、それは悪いことではない。映画とは観る人により、最後の化学反応が起こるものだ。そう言う意味では河瀬監督の新作はすごく興味がある。彼女がどっち寄りと言うよりは、彼女の視点と私の視点の違いを感じることが世の中の面白さなのだと思うのだ。彼女の今回の問題で謝罪がない的な話があるが、彼女の答えはこれから公開される映画なので、それで私たちがどう思うかだと思う。まあ、私はオリンピックを招いた気はないし、開催されて喜んだりもしなかったよ。今だに、開催すべきでなかったと思うし、もう、オリンピック自体やめた方がいいとさえ思っている。

この「香川1区」も小川淳也のPR映画と見ればその通りだし、スタンスも応援団的なものがある。だが、そのスタンスは間違いでなかったし、映画としては見終わった後、私には痛快だった。彼の数年後が本当に楽しみである。


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