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「くるり~誰が私と恋をした?~(第8話)」消えた記憶の中に嘘が上塗りされ、人生の新たなページが開く感じ・・・。

少しづつ生見愛瑠の記憶が戻ってくる中で、追いかける3人の男たちが、皆、元カレではないということがわかってくる。一番、親しげな感じの瀬戸康史でさえ、一緒に部屋に泊まっても、彼女に対して触れようともしない。ある意味、嘘をついてるから、積極的に男になれないのだろう。

というか、だいたい、元カレだったら、生見がもう少し、もう一度恋に堕ちるようなことがあっても良いのだろうと思う。ここ8回目まで、生見にとって彼らは、昔の自分を知っているであろう記憶の手がかり以上にはなっていないのだ。まあ、記憶喪失で恋心が消えるかどうかはわからないが、消えても、好きな男のタイプは変わらないのでは?と私は思うのだがどうでしょうか?

そんな中、今回の最後で神尾楓珠が自分は、生見とは友達でもないと吐露する。同期の中でも縁がほとんどなかったと・・。とはいえ、彼がいい人なのは確かであり、それを生見は記憶を失くしてからずーっと見ている。実家に行くのも付き合ってもらったし、そんな彼を嘘をついていたということで邪険にはできないだろう。だが、彼が好きだと告白したところで、今はそうなる感覚は皆無ということか?

そう、ここで今一度、私が思うのは、「恋」というフラグが人間に立つときに、確かに外見は大事だし、その仕草、優しさとかいろんなものが、気になり出すわけだが、それは、脳の仕事なのか?ということ。確かに相手を認識するのは脳なのだが、いわゆる「キュン」という感覚は脳が司っているの?それともハートということで心臓なの?いや、それは身体の外にある感じの潜在能力なの?そう、恋っていまだ摩訶不思議な世界で、それを説くのは医学ではできていないのですよね。で、面倒だというか、わからないから心理学の領域に入れるわけだが、そんな曖昧なもので、人は皆、恋に堕ちて、語るわけだ。今、量子力学が人間の成功と繋がってるという本がいっぱい出ているが、恋もそんな科学ができるなら、ぜひ、私が死ぬまでに仮の知識としても知りたいのですよ。

で、なんでこんなことを書くかというと、記憶の話と恋の話がこのドラマ混ぜこぜになってるからですよ。そして、男のつく嘘みたいなものも交錯していて、記憶喪失の部分は、なんか、男の嘘がバレないようにするためのフラグにも思え、あまり必要ないようにも思えてきたのですよね。

ドラマは後2回だと思うのですが、そこで、男たちの生見との出会いが明かされ、それを聞いた生見が記憶も戻していき、過去の自分と今の自分が色んな意味で葛藤を起こすような展開?その中で、彼女なりの未来を見つける感じなのだろう。ということで、この3人とは誰もくっつかない感じもするが、最後の着地点は、脚本家のお手並み拝見ですかね?

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