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「天外者」三浦春馬の体温を感じさせる演技に、哀悼の言葉しかない虚しさ

五代友厚という、あまり描かれてこなかった人をメインにした幕末もの。というよりは、この映画、三浦春馬主演作としての意味合いの方が大きいだろう。そして、彼を観に行った人には、まだ、そこに生きていてくれるようなその体温を感じる熱い演技に、涙が出てしまうのではないだろうか?

映画のラストは、彼が亡くなって、多くの人が集まるところで終わる。まさに、三浦春馬の死を悲しく思った人たちは、ここで役柄と本人がシンクロしてしまうのではないか?そして、このスクリーンから伝わる彼の熱から、もう、現実に彼がいないとは思えない虚しさを感じる一作だった。

時は、黒船来航の頃の大阪から始まる。五代(三浦春馬)と、三浦翔平(坂本龍馬)、岩崎弥太郎(西川貴教)、伊藤博文(森永悠希)と、志が高く、日本を変えようと思う若者たちが集う。そう、国が乗っ取られるか、新しく変わるかというときに、若者たちの思いは熱い。そして、海外をなんとか自分の目で観に行こうとする。そして、明治、国の改革が始まる。そんな中で、遊郭の女に恋したりもする。そんな、今まで何度も描かれてきた幕末青春群像を、109分の短い時間に駆け足で描く。ということで、少し端おりすぎと思えるところも多い。幕末ドラマとしては、悪くいえば、スカスカなダイジェストである。

だが、その空虚感を埋めているのが、三浦春馬の演技だろう。五代友厚という天外者のキャラクター、見事に観客に強く訴えてくる。真っ直ぐで、自分だけの思いで突っ走り、ときに、周囲の全てを敵に回すが、そんな現実よりも、未来に目を向けて、明治の初頭に、多くの仕事を成し遂げた人物を、その時代から蘇ったように熱く演じているのだ。

それに呼応するように、若い共演者たちも、良いリズムで無理なくそこについていっている感じ。遊女役の森川葵との話も、それなりに美しく処理されている。そう、映画全体の空気が澄んでいて、あくまでも未来に向かっている感じはこの映画の良きところである。

その流れの中で、多くの説明もなく最後の方で出てくる、五代の妻役の蓮佛美沙子が、とても印象的な演技をしている。そう、姿形で、この人はどういう人で、主人公をどのようにサポートしているのか?というのがわかる演技である。

三浦春馬の演技の温度が、スタッフ、キャストに伝わっていって、こういう映画に仕上がったということだろう。監督も、自分で作ろうと思ったものが、三浦の演技に引っ張られて、明確になっていったというような感じではないか?そういう意味では、三浦春馬の映画として、この映画は長く語られるものになるのかもしれない。

とはいえ、先にも記したように幕末ものとしては、あまりコクがない。時間をあと30分くらい増やして、時代の抑揚も見せるべきだったのかもしれない。ただ、五代友厚という人物が、今まであまりとりあげられなかったということは、そこにあまりドラマになる派手さがなかったということなのかもしれない。あまり、ドラマのなかで時代を誇張してしまうと、五代自体のイメージが薄くなってしまうような…。なかなか描くのが難しい人物ということなのかもしれない。

映画の終わりに、三浦春馬さんへの追悼の言葉が添えられているが、私も、年の終わりに、再度、彼のご冥福をお祈りさせていただきます。


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