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「最高の教師 1年後、私は生徒に■された(第5話)」自分の好きで調子に乗ることが許される時代に希望を・・。

ここまでの回で、最も共感が集まる回ではなかっただろうか?ラストに詩羽が歌う、椎名林檎「17」がなかなか心に沁みた。私のように、高度成長期の学校というものに、変な集団意識的な洗脳をされた者にも、その自分を生きることを貫くというような、調子の乗り方は最高であり、多分、当時からのモヤモヤが、それが抑えつけられてきたことなのだろうと感じさせられた。そう、最近、やっと私は自分の意思として、調子に乗って生きていいのだと思い始めている。それを、もっと早く気づくべきだったとも思うが・・。

そんなことを考えた今回。話は、クラスの中で異質な姿の詩羽が、文化祭のイベントを仕切ることを言い渡され、彼女の隠していた、いや、「他の生徒とは違う」という思いが、文化祭のステージで開花するという話。

この、なかなか難しい役を演じるのは、水曜日のカンパネラのボーカルでもある詩歌。まだ22歳ながらも、これから役者としても活躍していくだろうものはすごく感じる。役者というのも、「人が勝手に作るイメージ」と戦う仕事である。いろんなアウェイの中でも「私は私よ、最高でしょ」と言えるものだけが残る世界でもある。芸能人が芸能人の役をこんな感じで演じ抜くのはなかなか難しい気もする。彼女の他での演技を期待する一人になった私である。このドラマの中で、生徒を飲み込む中で、視聴者も一緒に飲み込む演出は、ある意味、紋切型なのだが、その紋切型の中で、最高の自分が出せる彼女はなかなか素晴らしかった。

そして、今回は、松岡茉優とその友人たちが彼女に語る言葉がなかなか腑に落ちた。今までは、形を変えた金八先生みたいだったが、今回は今までにないような学園ストーリーに仕上がっていたと言っていいだろう。

そんな中で、クラスを締め上げていた加藤清史郎たちの存在もあまり大きく捉えられてなく、文化祭をめちゃくちゃにしようとクラスを破壊したのは、先週、本田莉子を売ろうとした男だった。高校に忍び込んで文化祭をめちゃくちゃにするというのは、あまりにも小っちゃい奴であるが、こんな奴も最近は多くなってきてるのかもしれないと思ったりする。

で、文化祭に、松下洸平が来ていて、芦田愛菜と接触していたが、彼は芦田を確認しに来たのか?そんな不可思議な感じのシーンがあって、ラストに、松岡が芦田も二度目の人生なのではないか?と疑い出す。結局、このドラマは「ブラッシュアップライフ」の別バージョンなのだろうか?あのドラマの記憶が消えないうちに作ってることも意味があるのか?バカリズムには許可をとったのか?いろんなことが頭の中を駆け巡る5回目。いわゆる、ドラマの折り返し点

このドラマ、最後に、みんなの常識を覆すことができるのか?少し、面白くなってきた。

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