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「LAMB/ラム」不思議な世界に吸い込まれるが、顛末をどう処理するかは観客次第?

予告編を見て、この映画は「羊人間」の映画であることは分かったが、それが何を描こうとするものなのかはよくわからない。そして、観終わった今も、なんかピンとこない。多分、観た人それぞれにどう消化するか?ということなのだろう。確かに世の中には常識ではわからないことがある。しかし、その非常識を理解した気でいると、また痛い目に遭うみたいな映画ではある。(単純な話だからこそ、ネタバレされて見る映画ではない気がする。観る予定のある人は、これ以降、読まないことをおすすめする)

まずこの映画、アイスランド語の映画で、アイスランドとスェーデンとポーランドの合作だ。そう言われると、独特の宗教的な空気感みたいなものがあるようには感じる。映画は本当にシンプルだ。出てくるのは、羊飼いの夫婦と、後からやってくる夫の弟。そして、羊人間の子供の四人という感じ。

まず、冒頭の荒れる草原。そこに飼われる大量の羊たち。そして、羊の飼育、子羊の誕生のシーンが、ほとんどセルフのない中で語られ、それが一つのスイッチが押されるまで紹介される。そう、異端児が生まれる。だが、その姿をカメラは顔しか映さない。観客には何のことだかわからないが、夫婦は、彼を「アダ」と名づけ、部屋で育てる。

それを知った母親羊が外で泣く。そして、アダが脱走し母親とあってるところを夫婦が見つける。このシーンで初めて後ろ姿で、頭以外は人間の身体だということがわかる。ただ、アダを何も考えずに自分の子供のように育てる夫婦はかなり異様ではある。後で、彼らは昔。アダという娘を亡くしており、羊人間は生まれ変わりだということがわかる。

そこに弟が訪ねてくる時には、もう、アダは服を着て歩いている。この瞬間に、当たり前だが、この映画はキワモノ映画に変化しつつある。そこまで、映画にあまりドラマが語られないからだ。この映画でドラマと言ったら、妻がアダの本当の母親を銃殺するところくらいだろう。それをアダが知るということもない。弟は、「何だあれ?」というが、結局はアダと一緒に話をしたりして、仲良くなる。

結局のところ、突然生まれた異分子をどう受け入れるのかということを観客も試されているような映画である。考えれば、彼らがこの異質なものを育てるのが、犬猫と同じと考えれば不思議でもない。そう、よくペットを家族と呼ぶが、羊人間を家族と呼んでもいいじゃないか?ということだ。犬猫が可愛いというのと羊人間が可愛いというのと違いはない。いや、この映画でアダを可愛いとは誰も言っていないか?

ここでは、家畜である羊とアダを違う扱いにしたことで世界の状況が変わる。そして、予算の関係なのか何か知らないが、アダが生まれた後、母親以外の羊たちが一頭も出てこない。これは、もはや違う世界に夫婦が入ったということなのだろうか?そう、映画の冒頭の方で、アダが生まれる前に夫婦の会話の中で「時間旅行が論理的にできるようになった」と語られる。そう、これは、この映画の大きなキーポイントなのかもしれない。彼らがアダを育てた世界は、パラレルにある他の世界ということなのかもしれない。

そして、どうまとめるのかと思ったら、アダと一緒にいた夫は羊人間の親玉に銃殺されるのだ。そして、アダは連れていかれる。まるで、ここは羊人間の惑星だったみたいな終わり方だ。セリフ少なに、異世界に取り残されり妻は、ただ呆然とするだけ。変な映画!

アダの造形は、日本でいえば河崎実監督が作り続けるバカ映画に出てくる造形物に近い。アダが離さないから、そっちの世界にはいかないが、まあ、結果的には似たような映画と感じる節もある。河崎実監督、次は「羊人間」という映画作ってください!お待ちしてます!

アイスランドの草原に2時間自分が存在していた感じは気持ちよかったが、羊人間は最後まで私の美意識には馴染まなかった。いろんな服着せられてオシャレだったけどね。とはいえ、そんなにグロくもなく、こういうの好きな人は好きでしょうね。結局、見せ物的要素で観客集めてる感じですけどもね。


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