見出し画像

「厨房のありす(第8話)」世の中生きるのも"おでん"の具のようでありたい

横領をしたのは、永瀬廉の父親の竹財輝之助ではないと、大森南朋の口から明確に語られる今回の最初。そして、最後には、その大森と萩原聖人の間で、「横領の話も火事の話も隠し通せるものではない」という言葉が語られる。この辺の真実は最終回まで持っていかれるのだろうか?その一方、木村多江の元には、業者が、データの捏造の話を持ちかけたりしている。こういう製薬会社みたいなところでは、そんな話が日夜されているのだろうか?それでお金が動くことが当たり前で、ある意味、正義などというものがよくわからなくなってる世界ではある。

そんな話の中で、心を沈ませる永瀬廉。今まで、そんなことなかったのに無理に元気がいいふりをする永瀬。門脇が気を使い水族館に誘うも、そんな無理をしている以外は、心ここに在らず。永瀬、この役は本当に面倒臭い人間である。

そんな中で、後半に、門脇麦が開くおでんの屋台での話が出てくる。おでんは、全てでおでんで「卵」「はんぺん」「巾着」「大根」それぞれ一つだけの具では成立しないという話。確かにそういう料理は多く、普通の鍋なども、お互いの素材が旨みを出し合うことで成立している。世の中も同じだということなのだが、ここでは、今回のサブストーリーの大東駿介お父さんが腕の骨が折れてるのに仕事を続け、子供達に格好つけていたのを、放っておかないで、みんなで手伝おうとした話である。

そして、一気に学校のウサギ小屋ができるのだが、こうやってみんなでものを一つ完成させるって、やはり気持ちいいですよね。大東駿介ここまで、ただただ、前田敦子に邪魔者扱いだったが、今回はなかなかいい男に描かれていた。

で、前回、完全に失恋した大友花恋が門脇の店にやってくる。自分の至らなさに憤慨するも、永瀬は諦められない感じ。でも、門脇に出された食事で「負けた」と思う。確かに、男の腹を感動させたら堕ちる的なことは今もあるだろうが、それが絶対な時代でもない。ここでは、大友花恋にエールを送りたくなるが、帰り際に前原瑞穂に引っかかってしまうのはありか?いい男は近寄らないような電池の持ち主にも見える。

確かにASDの娘の恋は、その恋の存在を確認することよりも、持続することのほうが難しいのかもしれませんね。永瀬廉がいい人だけに、本音がわかりにくく感じるのかもしれない。まあ、健常者でも恋の持続のさせ方など、誰もわからないというのが実態ですが・・。

で、萩原聖人がスーツを仕立てる時に見せた火傷の跡が印象的に出てきましたね。彼が悪いやつなことはよくありますが、どうなのでしょうか?

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?