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「あの頃、文芸坐で」(映画に恋し、そこが大学だった時代)

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私が大学に行かずに映画を学んだ場所は、旧池袋文芸坐です。その頃のプログラム「ぶんげいしねうぃーくりぃ」から、その時代と、私の映画の思い出みたいなものを書き綴っていきます。お暇なら… もっと読む
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#高林陽一

「あの頃、文芸坐で」【56】武智鉄二監督の狂った映画「白日夢」「紅閨夢」そして高林陽一。

1981年8月8日、高林陽一監督と武智鉄二監督のオールナイト5本立てを観る。その前の4日には、シネマプラセットで井筒和幸監督作品「ガキ帝国」を観る。この作品、ATGと大阪のプレイガイドジャーナルの製作だが、なぜか移動映画館であったシネマプラセットでのロードショーだった。どこに小屋が立っていたかは覚えていないが、映画はとても印象的なものだった。井筒監督作品の中では、今でも一番好きな映画である。紳助竜助と趙方豪の主役3人の中の2人がもう鬼籍に入っているというのは、とても悲しい

「あの頃、文芸坐で」【50】高林陽一監督作品と映画の色「ナオミ」「ザ・ウーマン」

文芸坐で鈴木清順監督のオールナイトを完走した後、その3日後に、日比谷スカラ座で「タイムズ・スクエア」を観ている。週の半ばで大学に行かずに映画館に行っていたということですな。そう、この頃の日比谷スカラ座は好きな映画館だった。旧東京宝塚劇場の上にあった大きな劇場。スクリーンも大きかったが、ロビーに高級感を感じていた。最近は雰囲気のある映画館のロビーというものがなくなった。それは、映画の物語の大事な最初の一歩がなくなった気もする。 そして、続く1981年6月28日の日曜日、文