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「あの頃、文芸坐で」(映画に恋し、そこが大学だった時代)

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私が大学に行かずに映画を学んだ場所は、旧池袋文芸坐です。その頃のプログラム「ぶんげいしねうぃーくりぃ」から、その時代と、私の映画の思い出みたいなものを書き綴っていきます。お暇なら… もっと読む
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「あの頃、文芸坐で」【91】マキノ雅弘、山中貞雄監督オールナイト。山中貞雄の凄みがわからなかった頃

久しぶりにこの連作の執筆。どうしても、現在の映像に関しての印象をリアルに書き残したいと思うところがあり、昔話は後になってしまう。しかし、そんなことをやっていると、この連作も未完のままに終わる可能性もあり、難しいところである。 時は1982年8月14日この日は前回書いた【90】と同じ日にそのままオールナイトに流れこむということをやっている。ということで、プログラムは割愛。この頃は、同じプログラムが2、3枚あるものが多い。まあ、文芸坐に通うことが楽しかったのは覚えている。そんな

「あの頃、文芸坐で」【90】「ビルマの竪琴」「拝啓天皇陛下様」こういう戦争映画は、もう作られないと言っていいだろう

前回の「戦争と人間」三部作を観た次の日、1982年8月14日に「ビルマの竪琴」と「拝啓天皇陛下様」を観る。そして、その後に「マキノ雅弘監督と山中貞雄監督のオールナイト」を観ているのだが、その話は次回に譲る。まあ、4日連続で文芸地下に来て、締めに文芸坐でオールナイトを観るという、なんでしょうか、夏休みだったとはいえ、体力ありましたね。今では、そんな機会もないですが、無理ですね。で、四日間の費用総額2000円ですものね。 *     *     * まずは、コラム。レーガ

「あの頃、文芸坐で」【89】山本薩雄監督「戦争と人間」を劇場で観るということ。戦争を描くという意義。

1982年8月11日、12日、13日と3日連続で文芸地下で「戦争と人間」三部作を観る。テレビでは観ていたが、劇場で観るのはこの時が初めてで、その後ないと思う。その前8月8日には、日比谷のスカラ座で「ポルターガイスト」を観て、そのままハシゴして、丸の内東映で「大日本帝国」を観る。考えれば、丸の内東映がまだ現在あることは奇跡的ですよね。でも、時間の問題のような気もしますけどね。で、共に結構面白かったみたいです。「大日本帝国」は、「二百三高地」がなかなか面白かったので、封切りで観た

「あの頃、文芸坐で」【88】増村保造監督作品の存在感の強さに圧倒される!

1982年7月31日、オールナイト、日本映画監督大事典、増村保造監督の5本立てを観る。ここで観る前から、テレビでは何本か増村作品を見ていたり、「大地の子守唄」なども観ていたが、それほど得意なタイプの映画ではないなと思っていた。あと、テレビの赤いシリーズの雰囲気の印象もあった。だが、この日、映画館で初期作品を観て圧倒される。その得意でないとしていた、ギラギラしていたところが、増村作品の真骨頂であり、フィルムから発せられるパワーの凄さに魅了されたと言っていいだろう。この日の5本は

「あの頃、文芸坐で」【87】ゴールディ・ホーンとスタートレックと・・・。そして、観客の意識のお話。

1982年7月24日、夏休み真っ盛りに文芸坐で「ファール・プレイ」と「プライベート・ベンジャミン」を観る。そして、28日には、やはり文芸坐で「スター・トレック」を観る。この時、同時上映の「レイダース 失われたアーク」は一度観たのでパスしたらしい。 *    *     * まずは、コラムから。村松友視著「私、プロレスの味方です」の引用から、観るという行為について書いている。そして、映画は、「創り手の技量と見る者の眼力の静かな決闘なのだ」と書いている。私も、ある意味そういう

「あの頃、文芸坐で」【86】怪獣映画は劇場で観ることで興奮するものである

久々に続きを書きます。この連作まだまだ半分も行っていないのです。つい最近は飯田橋ギンレイホールの閉館移転の話があり、はっきり言って、この文芸坐通いをしていた頃に存在していた名画座で今もあるのは早稲田松竹だけではないかと思ったりします。ちょっと前には高田馬場パール座があった西友も壊すというニュースがありましたし、流石に40年も経ち、映画館というものの価値観も存在感も変わったということなのでしょうね。 そんなことを考える秋ですが、まだ40年前の夏の話。1982年7月21日、文芸

「あの頃、文芸坐で」【85】007とロマンポルノをハシゴする映画ファンであった時代

上のプログラムは三枚残っている。1982年7月13日、文芸地下で荒木経惟監督「女高生偽日記」(2本立ての「グレープフルーツのような女 性乱の日々」は以前観てつまらなかったので見ていない」)。7月15日には文芸坐で「007 ムーンレイカー」「007 ユア・アイズ・オンリー」の二本立てを見た後、文芸地下で「Mr.ジレンマン 色情狂い」と「ポルノドキュメント トルコ特急便」の二本立てを観ている。「トルコ特急便」は2度目の鑑賞だ。と言うことで、この5本を一気にまとめて書かせていただき

「あの頃、文芸坐で」【84】ショーン・コネリーから、ロジャー・ムーアへの007イメージの継承について

1982年7月8日、このころ、大学のテストもあったと思うのだが、映画を観る勢いが進んでいる。もはや中毒症状だったとも言える。そして、この日は、文芸坐で007「ダイヤモンドは永遠に」と「死ぬのは奴ら」の二本立てを見る。しかし、あのころ、スマホがあったら、映画館の写真をいっぱい撮っていただろうなと思ったりする。記録の写真がないのが本当に残念である。 *     *     * まずは、コラムから。スーパーSF日本特撮映画大全から、ラドンの話。私も、「ラドン」と「モスラ」が大好

「あの頃、文芸坐で」【83】鈴木清順監督の映画は今もエモーショナルに見える

昨日書いた、007を続けて観た後の7/4に、文芸地下で「野獣の青春」と「東京流れ者」の二本立てを観ている。共に映画館で観る三回目。今でも、時々ビデオで観るが、この当時は、そんな簡単にビデオで見られる時代ではなかった。まだ、レンタルさえなかったし、自分自身は学生で、ビデオデッキを持ってるものなど、ほとんどいなかった時代だ。だから、好きな映画と言おうか、映画として何度見ても発見がある作品は繰り返し観たかったということだ。今は、2番館というものがないから、2度目観るのは、家のモニタ

「あの頃、文芸坐で」【82】007を劇場でまとめて観る贅沢さ

1982年6月30日から文芸坐の007大会に通う。この時の6プログラムのうち5プログラムに通っている。しかし2日〜3日で代わるプログラムによく通ったものだ。つまり、大学など二の次だったのだろう。最初に行ったのが30日、その前の26日には、歌舞伎町の新宿座で小林旭5本立てオールナイトに行っている。「海から来た流れ者」「大暴れ風来坊」「口笛が流れる港町」「渡り鳥いつまた帰る」「渡り鳥北へ帰る」である。この辺をまとめてみると、朝、帰る時には話が混じっていた感じ。まあ、いまだにビデオ

「あの頃、文芸坐で」【81】ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画の絢爛豪華さに、私は何も感じなかったという結末

1982年6月24日、文芸坐で「ルードウィヒ神々の黄昏」と「ベリッシマ」の二本立て。時はヴィスコンティのブームという中にいて、とりあえず見ていかないといけないと思い向かったと思うが、まあ、眠り薬のような映画で、なかなか3時間は辛かったという記憶。「ベリッシマ」は109分という作品だから、まあ、よかったが、合計しても4時間30分超。当時の文芸坐の椅子は、まあフカフカなどと言えたものでなく、その上横幅もなかった。その椅子で眠気が襲うのだから大したものだと思った。 *     *

「あの頃、文芸坐で」【80】柳町光男監督「十九歳の地図」の陰鬱な空気の70年代と80年代の間

1982年6月19日、「十九歳の地図」を見る。この時期、映画を見に行く回数も増えてくる。大学に通っていたのだが、授業には真剣ではなかったということだろう。昨日書いた、藤田敏八オールナイトに行ってから、6月に入って、5日に有楽シネマで「TATTOO(刺青)あり」を封切りで見る。そして、12日にはテアトル新宿でチャールズ・ブロンソン主演の「ロサンゼルス」とブライアン・デ・パルマ監督の「ミッドナイト・クロス」。当時のテアトル新宿は場所は今と同じだが、洋画二本立ての名画座だった。この

「あの頃、文芸坐で」【79】藤田敏八監督特集2「八月の濡れた砂」と秋吉久美子3部作

1982年5月29日、藤田敏八特集のオールナイトの2回目を見に行く。この日は、「八月の濡れた砂」を劇場で見たかったと言うこと。秋吉久美子三部作の再見、そして、見たかった「炎の肖像」が見ることができると言うのが目的で夜のスクリーンに、向かったと思う。 *     *     * まずは、コラム。映画、「レッズ」の話。当時、私は結構この映画が好きであった。今、ロシアが、世界の中で狂気を放っているわけだが、そんな時だからこそもう一度みたい。そして、今だからこそ、各国のロシア絡み

「あの頃、文芸坐で」【78】藤田敏八監督特集に70年代初頭の青春像と刹那を観る

1982年5月22日、オールナイト「藤田敏八監督特集①」を観に行く。その前に前回5月6日から、どんな映画を観ていたかを振り返る。5月13日には、上板東映で「流血の抗争」「関東無宿」「紅の流れ星」「けんかえれじい」の4本立て、入場料、学割500円。昼間の番組で4本立てなど、今じゃ夢のようなお話ですね。この時は「関東無宿」と「紅の流れ星」は初見。ともに映画には興奮するも、赤白映画でしたね。大体、当時はまだビデオで古い作品を見るという習慣もなかった頃、ビデオレンタルよりもレコードレ