坂本龍馬が土佐弁で話す訳 時代背景編

「坂本龍馬」をイメージしてほしい。
彼はどのように話すだろうか。

おそらく「私は坂本龍馬です」とは話さないだろう。
自身を「わし」と呼称し、「〜ぜよ」と言う。

もちろん令和に生きる我々は実際の坂本龍馬の話し方を聞いたことがあるわけではない。
ではこのイメージはどこから来ているかといえば後世の創作物に他ならない。

創作物の「坂本龍馬」が、土佐弁を話し始めたのはいつだろうか。
 坂崎紫瀾によって明治16年、高知の地元新聞『土陽新聞』に投稿した連載小説『汗血千里駒』。
 『龍馬伝』にも登場したこの小説こそ龍馬を主人公とした初の小説とされているが、ここで注目すべきは、『汗血千里駒』では龍馬が土佐弁を話す人物として描かれていない。
 地元土佐の新聞であり、筆者も土佐弁ネイティブであるにも関わらず、『汗血千里駒』では意外にも龍馬は共通語(書生語)で話している。

次に坂本龍馬で思い出す人も多いであろう『竜馬がゆく』だが、最初の頃の龍馬はやはり共通語で話す。

しかし物語が進むにつれ、次第に龍馬は土佐弁を話し出す。
龍馬を初めて土佐弁ではなす男として確立したのは『竜馬がゆく』で間違いないだろう。

ともに新聞小説であった両者を分けたのは何であろうか。

1つは時代背景である。
『汗血千里駒』が書かれた当時は明治政府による標準語政策が推し進められており、方言を使うことはタブー視されていた。

一方で『竜馬がゆく』が書かれた頃には人々の方言へのコンプレックスはなくなりつつあり、
新聞小説であったことも相まって、読者の反応をみつつ、小説に方言を入れ込むことが可能であった。
こうして坂本龍馬の土佐弁キャラは確立されていったのである。

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