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【ロシア留学記】ロシアに呼ばれた気がするから、高校休学して留学してくる!

いまからもう10年も前の2013年、当時高校1年の冬ごろ。「留学行ってみたいな」と思ってしまい、あれよあれよと勢いに乗って留学に行くことに決定。留学先はなんだか呼ばれた気がしたのでロシアにした!ロシアについて知ってることは世界一広い国土と寒いことなど、義務教育で習ったことだけで、ロシア語の挨拶さえも知らない。この【ロシア留学記】は、海外に憧れる普通の女子高生のロシア大冒険の記録である。

ロシア留学記 前書き

ロシアのこと全然知らないけど、本当に隣の国なの?

ロシアといえばなにを思い浮かべるだろうか。わたしはたぶん、大半の人のロシアに対するイメージベスト3を挙げられると思う。

①広い国土:小さな島国住みのわたしたちにとっては想像もできない大きさである。

②とてつもない寒さ:モフモフの帽子をかぶって、モフモフのコートを着る。外でタオルを回すと凍るのがロシアなのでは?

③”強そう”:なんだか敵にまわしてはいけないような、強そうオーラがすごい。でもなぜ強そうに感じるかはわからない。前世からなにか刻まれているのだろうか。

そんなイメージのある国なんじゃないだろうか。あとウォッカやピロシキも。銀座にもロシア料理店があるので、きっとごはんはおしゃれな感じで、美味しいに違いない。

著名人でいえば、文学に詳しい人なら『罪と罰』のドフトエフスキー、科学に興味のある人なら元素周期表を作成したメンデレーエフや「地球は青かった」でお馴染みのガガーリン、スポーツではテニスで活躍したシャラポワ、音楽分野では『白鳥の湖』のチャイコフスキーなど、ロシア出身者は数多くいる。文化的にも優れているようだ。

隣の国だというのに、ロシアについて知っていることはかなり限られていて、韓国へ行きたい話はしても、ロシアへ行きたい話をすることなんてそうそうない。広い国土が謎ベールに包まれている…。

わたしは、高校生のときに、その謎ベールに足を踏み入れることにした。なお、ロシアはよくバレエ留学で選ばれるようだが、バレエは全くできない。

留学に行きたい!

中学生の頃のわたしは全然パッとしないタイプで、よくあるスクールカースト上中下の中で言えば、下にいるタイプだった。そんな自分を変えたくて、高校生になってからはクラスの係に立候補してみたり、部活に入ってみたり、毎日少しの勇気を持って通学していた。…もうちょっと等身大なことを書くとすれば、当時好きだった男の子が好きだったのは、(わたしとは全くタイプの違う)ハキハキした女の子だったので、そういう女の子になりたかったのも、変わりたかった理由のひとつである。

とはいえ、とても内気だったのかといえばそういうわけでもなくて、心の中ではかなり夢の大きいタイプだった。石油王になってみたかったり(人生ゲームで石油王になると圧勝できたから)、スパイになってみたかったり(人知れず素早く作戦を実行する…どんくさいわたしには対極すぎて憧れた)。世界で活躍するかっこいい人になりたい気持ちはいつも持っていた。中学生になると、国連で働きたいと思うようになった。

そしてちょっと変わったものが好きだった。歯磨き粉の形の筆箱、ちょっとヒトクセある先生。きっと、これが留学先としてはちょっと変わったロシアに行く気にさせたのかもしれない。

世界で活躍するのを夢見ていたわたしは、高校1年の秋に募集のあった異文化交流プロジェクトに応募し、スーパーラッキーなことに、アメリカへ行けることになった。

毎日現地の学生と話し、ホームステイをしたりする中で、夢はよりキラキラしたものになり、なによりも自分と育った国も文化も何もかも違う人と、友達になれるんだ!ということが嬉しくて、帰った後に、もっといろんな国の人と出会って話してみたいと思うようになった。

年明けに、偶然にも高校生海外留学説明会が開かれると知って、電車で1時間近くかけて足を運ぶことにした。ここでわたしは高校2年の夏から行けるプログラムがあることを知ることになる。いいな〜という軽い気持ちで両親に話すと、両親からはわたしよりも軽い気持ちで「いいじゃ〜ん。行っちゃえば?」というアンサーが返ってきた。え、行ってもいいんですか?
じゃあ行きたいです!

運命の人がロシアにいたので行ってくる

留学先は、希望順位を出すことができた。ただ、わたしは応募が遅かった。募集は出発の1年ほど前から始まっていて、わたしが応募したのは出発半年前の最終募集だった。アメリカやヨーロッパといった王道は締め切られていて、残っていた候補は中国、マレーシア、シンガポール、エクアドル、ボリビアなど。その中にロシアがあった。ロシア…とりあえずヨーロッパ感があって、おしゃれ、なのかも。どんな国かはよくわからないけど。

さて突然だが、高校生の二大神器があるとすれば、それはスマホと電子辞書だと思う。スマホは言わずもがなだが、唯一欠点だったのは、学校で使用禁止だったことだ。一方の電子辞書は、わからないことをすぐに教えてくれるし、何よりも授業中に使用可だった。わからない英単語を調べても、こっそり絵を描いてもよくて(本当はだめだが)、日本史の授業では個人的描きやすさナンバーワンの北条政子を友達と描きあったりしていた。あるとき、やっぱり授業中はどうしても眠いので、自分の名前でも調べてみた。

そうしたらなんと。自分の名前にコフがついたロシア人がヒットした!サトシならサトシコフ、ハルカならハルカコフといった感じだ。え、誰これ〜〜!?ルンシカコフ!?

ページを開くと何やらすごいらしいルンシカコフの説明が書かれている。しかも、どうしたことか、ルンシカコフは隣の誕生日だったのだ!

え、もしかして、運命の人!?

これはもうロシアに行くしかないじゃん!!!

完全にこれは呼ばれた確定なので、ロシア語なんてひとことも(挨拶さえも)知らないがロシアに行くことに決めたのだった。

はじまりはひょんなことから

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