見出し画像

今ここの地獄から天国へ♪

50歳を節目に、心地よい環境が現実化し始めた理由
〜人生で大切なたったひとつのこと〜

はじめまして、KYOKOです。
私は、マインドの転換によって心地よい環境を作り上げる、「感情セラピスト」として活動準備中です。

いるだけでマイナスイオンが発生する、おっとりした雰囲気がある、と人からよく言われる一方で、自分では「熱しやすく冷めやすいチャレンジャー」な面があると自覚しています。

普通の主婦として生活してきた私が、どうしてこのような活動をするにいたったのか。
私のこれまでの人生の足跡を、ご紹介させていただきます。

優しい人間になりたい、「いじめ」を経験して心に決めた願い

私は、幼い頃から3世代家族の中で育ってきました。
父と母は、祖父母から引き継いだ自営業の店を忙しく切り盛りしていました。

幼いながら父と母を助けようと、よく店の手伝いをしていたことを覚えています。私は母のことが大好きで、母の話を良く聞く子供でした。
家庭を持った今ならよくわかるのですが、祖父母との関係や、経済的な問題など、母も含め家族みんな、とても大変な思いをしながら、私や兄を育ててくれました。

母とお風呂に一緒に入るとき、よく泣いていたことを思い出します。母に幸せになってほしい。いつしか、「温かい家庭を持つこと」が、私の夢になっていました。

小学生に上がると、同級生たちに囲まれた集団生活の中に入ります。私は、感情のコントロールが苦手な子供で、高学年になると、一部の友人たちと衝突することも少なくありませんでした。
いじめに加担したこともありますし、いじめられたこともあります。

「なんで、みんなと仲良くできないのだろう? どうしたらうまくできるのだろう?」

この頃の経験が、私の心の傷として、後々まで行動の足かせとなります。
傷つけられるのはイヤ、でも傷つけてしまうのは、もっとイヤ。
とにかく優しい人間になりたい、人間関係の悩みをどうしたら解決できるか知りたい。そんな思いから、心理学や教職に興味を持ちました。

心の限界を突破し、はじめて見えた自分の本音

高校は、母親が行きたかった女子校に入学します。この頃には、家族を重く感じるようになっていました。
母の解決のない悩みを聞き続けるのにも、負担を感じるようになっていたのです。
高校では、失敗しないようにと人間関係に気をつけていたつもりでしたが、またもやうまくいかない問題が出てきました。

私の心が限界に達してしまったのは、進路を決める時期です。

いつしか私の夢は、「生徒の悩みを解決する先生」になることになっていました。
教員になりたい夢を叶えるためには、大学に進学して教職課程を取らなければいけません。
けれど、両親から大学進学を大反対されてしまったのです。

目の前が真っ暗になりました。
家庭の事情はわかっています。決して余裕のある家庭ではありません。
頭ではわかっていながらも、同級生が次々と進学先を決めているのを横目に、自分の運命を呪いました。

そしてある日、学校に行けなくなってしまったのです。
まったく体が動かず、頭では行かなきゃいけないことはわかっているのに、体と心が完全に拒否していました。両親にはひどく怒られました。
それでも、学校に行けない。

そんな時に助けてくれたのが、学校の先生でした。両親への説得や支援で、なんとか大学に進学できることになり、念願の教職への夢の一歩を踏み出すことができました。
今振り返っても、先生には感謝しかありません。私も、悩む生徒の助けになれるような先生になりたい。心に決めて大学に進学しました。

誰かが嫌な思いをするなら、私がやる

大学での教職課程は、たくさんの授業に出なければいけないため大変でしたが、サークル活動も含め充実した時間を過ごしました。
これまでとは打って変わって、男子の方が多い環境。今までよりも人間関係は気楽に感じましたが、女子は女子同士で、男子は男子同士で、やはり人間関係には何かしら気を使わなければいけない部分があるのだなと知りました。

せめて、私の周りだけは、みんな仲良く平和であって欲しい。友人に頼まれたら、授業のノートは積極的に貸したし、出席も代わりにとっていました。そのころは、友人たちから「明るく活発な、世話焼き”おふくろ”キャラ」と認識されていたと思います。
目の前にイヤな思いをしている子がいたら、私が肩代わりしてあげたい。むしろ、誰かの辛さを察して助けてあげないと、罪悪感を感じるようになっていました。

それが、「優しさ」である、と思いつつも、心の奥では、「本当の自分を知られたら、みんな私のことが嫌いになる」とも思っていました。
本当は、勉強はそんなに好きではないし、「相手にイヤな思いをさせたら、自分に必ず返ってくる」から優しくしている……。そのままの自分では人とうまくやっていくことはできない。そんな自分が嫌いだと、いつもどこかで思っていました。

そのような思いもあり、教育原理、カウンセリング、心理学などの講義に、ひときわ興味を持って受けていました。

教職課程が進み、満を持して挑んだ教育実習。
けれど、そこで大勢の生徒たちを相手に指導することに大きな壁を感じました。授業以外にもやらなければいけないことが山ほどあり、まるでスーパーマンのようになんでもこなせる度量が必要だと思い知らされました。

「私のように悩みながら学校生活を送ってきた子」の助けになりたい、との思いはありましたが、自分には向いていないと感じ、別の道を探すことにします。
今振り返ると、この頃はまだ「自分が完全に救われていなかった」から、踏み出す勇気がなかったのかもしれません。
教員とは別の道で、人の支えになるような仕事ができないかと考えたり、社会人経験をしてから教員になること、などを考えるようになりました。

そして、銀行に就職し、社会の仕組みやマナーなどを学びながら働き始めました。

夢を叶えたいのに、大人になってもうまくいかないのはなぜ?

銀行員として数年間勤めた後、結婚します。私の子供の頃からの夢だった「温かい家庭を持つこと」が叶うことになりました。
銀行員を辞めて主婦となった後は、子育てしながらできるパートをいくつか経験します。

家事代行や、子供の預かり、クレジット会社、データ入力、ベビーシッターなど……。
家族を第一に考えて、自分は後回し。
「君はええかっこしいだな」と、主人に言われたこともありましたが、私が背負うことで、家族が守られるならそれが当たり前だと思っていました。

けれど、繰り返し生じる家族の問題に、抱えきれない心の負担を感じるようになります。
すごく頑張っているつもりなのに、結局いつもうまくいかない。

当時、働いていた子育て支援センターに勤めるカウンセラーの先生が、心理療法の一種である「ゲシュタルトセラピー」のグループワークを開催していました。
正直怪しいと思いつつも、ちゃんとした先生だから大丈夫……と言い聞かせ、思い切って参加してみることを決めます。

そこでは、参加者の方々が自分の思いや気づきをお話しする機会があります。私も思っていることを話したのですが、そこでハッとさせられることになります。

今まで私は、人に心の内を話すことに抵抗感を感じていたのです。私は子供の頃に、母から散々悩みを聞かされていました。解決の糸口のない愚痴に、ひどくうんざりさせられました。
そのため、人に内面の悩みを話すことは、人に負担をかけることだと心に刷り込み、人に本音を話すことをいつの間にか封印してしまっていたのです。

ワークがはじまるまでは、やや不安を感じていましたが、いざ話してみると、意外にも話せる自分に驚きました。そして、心が軽くなることを実感したのです。

「もっと、心の変化が体験できるワークをしてみたい」

さまざまな動画や本を探しているうちに、あるセラピーに出会うことになります。

「自分を大切にすること」が、すべてのスタートだった

そのセラピーとは、自分の感情を言葉にしてイメージワークするものでした。
グループで、それぞれ日常で感じた思いを言葉にする。言葉にできない思いをイメージする。自分の内面を出して、参加者たちは、ただそのまま受け入れる。

悩みを口にして、解決でも解消でもなく、ただありのままを見つめていくことを続けていくうちに、日常に変化が現れはじめました。

自分の感情と、人の感情の線引きができるようになり、人へ過剰に気をかけることがなくなったのです。これまで私は、自分が犠牲になれば、相手の不快を肩代わりすれば、平和が保たれるのだと思っていました。それが優しさだと思っていました。
しかし、それは「事なかれ主義」であり、真の意味での愛ではなかったのです。

自分への厳しさに気づき、自分を大切にすることを少しずつ実践していくうちに、相手に対して「嫌われないように」接するのではなく、「相手が大切にしていることを優先」して接することができるようになってきたのです。
自分が好きなことをやることと、相手が好きなことをやることは、同時に成立するのだと知りました。

自立して手に入れた心地よい環境を、さらに広げていきたい

私のように、経済的な自立や精神的な自立をしなくては、と頭で考えながらも、なかなかうまくいかない人は多いと思います。
頑張っているつもりなのに結果が出ず、燃え尽き症候群のようになってしまう辛さは、よくわかります。

本当に大切なのは、ノウハウではなく、自分の心にしたがって生きること。つまり、マインドを転換することが先です。

子供の頃の人間関係の悩みから出発し、紆余曲折ありましたが、私が本当に大切にしていることが「心地よい環境」だということが、やっとわかりました。
苦手なことは得意な人に思い切ってやってもらう。その代わり自分が得意で好きなことで、人を助けたい。そんな環境を作れたら、すごく素晴らしいなと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

一般社団法人 感情セラピスト講座受講中(2021年7月終了予定)家族~夫、大学生の息子を持つ母。
マインドの転換によって心地よい環境を構築するお手伝いをしています。
好きな言葉は、「なんとかなる」「ありがとう」「ごめんなさい」

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?