拝啓75年前の「ひろしま」

#ひろしまタイムライン
を知っているだろうか?
NHK広島の企画で
『75年前にもし、Twitterがあったら。』
をコンセプトに当時の日記をもとに三人のアカウントとして1日1つ簡単なツイートをする。

シュンくん

昭和六年山形県生まれ、八歳より廣島で過ごす十三歳。廣島高等師範学校附属中学校一年北組の副級長。
七月二十日から、母、父の暮らす廣島市を離れ、賀茂郡原村に農村出動中。北組の皆と教順寺にて共同生活をしている。
よく絵を描き、時には漫画を描く。
#ひろしまタイムライン #広島

やすこ さん

26歳主婦,結婚2年目,初めての妊娠中
女子学習院卒,東京大久保生まれ→結婚で京都左京区→廣島の緑井(夫の実家)に疎開中。軍医の夫つぐおは福岡の折尾に出征。絵を描くことや刺繍が好き、甘いものも好き。宝物は7歳から続ける日記。毎日を丁寧に。日々の記録をつづっています。
#ひろしまタイムライン

一郎さん

中国新聞記者。廣島県庁等で地方行政および軍政を取材。六月、大手町から府中町へ疎開。妻と義姉と三人暮らし。趣味はクラシック鑑賞、俳句。ただ最近は句を詠む気持ちになれない。 記者として世の中を冷静に見ているつもりだが、時にはひと言物申したくなることも…。 #ひろしまタイムライン https://t.co/rnQKkVJuEe

これら三人のツイートで75年前のひろしまを追体験することができる。

プロフィールをみればわかるが、出身は広島でなかったり、結婚で来たり、妊娠中だったりする。

毎日のツイートに戦争の中でもささやかな幸せを感じたり、戦争に先行きの不安を感じたり。

この中でも「シュンくん」に私は注目していた。

シュンくんは唯一疎開していて、広島を離れている。1945年の8月6日に何が起こるのか、今の私達は知っている。

シュンくんはもしかしたら、助かるのかもしれない。
そんな気持ちを抱いていた。

しかし、8月4日。

【1945年8月4日】

朝食の最中、第一回目の帰省者の発表あり。
なんと!
出動回数の多い者として、僕や西川たちが選ばれた!八月六日に廣島へ発って八日に帰寮せよとのことだ。
朝飯が喉につかえるぐらいの喜びだ。

#ひろしまタイムライン #広島
#もし75年前にSNSがあったら

久々に親に会える喜びを綴るシュンくん。

6日。

喜ぶシュンくんに私たちの声は届かない。
シュンくんに訪れる未来は変えられない。

もしタイムマシンがあったら、声が届くだろうか。
なんてチープなことしか言えないが切実にそう思ってしまう。
何かの間違いで帰省が延期したりしないだろうか。

身近に75年の「ひろしま」を感じて初めて、
彼らの8/6日は日常の延長だったこと、
知るよしもなかったことを知った。

拝啓 75年前のひろしまへ。

私は2020年に生きています。

声を届けられなくてごめんなさい。
見ていることしかできなくてごめんなさい。

声を届けてくれてありがとう。

私は明日を見届けます。

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