坂本龍馬がご近所さんになった話 1

異世界転生物のようなものを期待していた方には申し訳ないが、これは私の怠惰な大学生活を振り返ったエッセイである。

すこしまえ、住んでいたアパートを引き払った。

いろいろ思い入れのある部屋だったし、もう時効だろうし書いてみようと思う。

そもそもの話。
アパートを探しだしたのは学校に脚が向かなくなったのが始まりだった。
入学一年目、めくるめく輝かしいキャンパスライフを思い描きつつ京都にやってきた私は、2週間ほどでその幻想を打ちくだかれた。(3年時にも心を折られるのだがそれはまた別の時に話すつもりだ。)

私は関東の生まれであったからそもそも言葉が違う、これが大きく災いした。



大学一年生。嫌でもたくさんの「ビラ」をもらう。
「ビラ」がなにか分からない人に説明すると、サークルのあれこれがかかれたチラシのことである。
一年生向けの「新歓」の日にちや、活動内容、先輩の連絡先やかわいいイラスト等が書いてあるのだが、これを基本的にはミメウルワシイ先輩が配っている。
大学生になったばかりの高校生に毛のはえたような、あるいは浪人を繰り返したモヤシのような新入生は「これが未来の自分か」と浮き足立ち、ミメウルワシイ先輩へ足がふらふらと向くのが常である。

そうでなくとも辞書もかくやといわんばかりのビラを校舎にたどり着くまでの至るところでもらうはめになる。

そこで私の心を射止めたのは演劇部であった。
正確には部ですらない。
正式な演劇部があるにも関わらず、有志で立ち上げようとしていると書かれていた。

大学一年生なんてものは「この四年間でなにか大きなことを成し遂げるに違いない」と大志を抱いているものだが、私も例に漏れなかった。
旗揚げ公演 この響きに心踊らせ、入部届けにペンを走らせた。

しかし、先に言ったように私は関東の生まれである。
私の大学は全国津々浦々からの生徒が集まるが、演劇部においては関西の人間が多かった。
演劇をするからには話さなければならない。
話すからには当然方言が関わる。

私のアクセントを先輩や同級生の関西人がこぞって指摘した。
いやいや、関西弁の人が関東のアクセントを指摘するなんて、と私も思った。

もし彼らがNHKのアナウンサーのニュースに、
いちいち首をかしげながら耳を傾けていると言うなら文句はいわない。

実際私はアナウンサースクールに通っていたし、ラジオCMに出たこともあった。話し方や方言を指摘されようはずもなかった。
(関西の方にヒンシュクを買うかもしれないが、こらえてほしい。)
だらだらと話す「会議」も、私を叩くだけの「読み合わせ」も徐々に億劫になってくる。唯一いた関東出身の同級生もここぞとばかりに私のアクセントや訛りを指摘する。

だんだん、いやでも 部員 対 私 の構図ができてきた。
ひねくれた見方かもしれないが、新規に立ち上げる部活の手っ取り早い団結方法は共通の敵を作ることだ。

そもそも、既存の部活にケチをつけて自分でやってやろうといいだした人たちが心穏やかな人であろうはずもない。

そんなこんなでサークルに足が向かなくなり、しだいに学校に足が向かなくなり、布団から出られなくなってしまった。
今思えば完全にノイローゼのような状態であった。

しかし、学校に近いからと選んだ下宿先は当然学生の声がする。キャンパスライフを楽しむ声を布団で聞くのは苦痛だった。
私は何日かぶりにジーンズをはき、よれよれのTシャツを着た。
そのままバスに乗り込み、京都駅に向かった。
実家に帰ろうとしたのだ。

ただ、ふと親の顔がよぎる。合格したとき喜んでくれたこと、学費を捻出してくれていること、受験を支えてくれたことなど…
帰れない。かといってあの下宿には戻れない。

京都駅付近をうろうろしていると、不動産屋をみつけた。
ーそうだ、家を変えよう。
突飛な発想ではあるが、これしかないと思った。

かくして、私は新居への第一歩を踏み出したのである。

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