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ABEDON「山形PP 1st、2nd 」現地ライブレポ in文翔館(22.7.30)

阿部さんの誕生日、7月30日。1st、2ndに分けられているものの、1日しか見ることのできないステージ。

 
チケット争奪は激戦も激戦。かくいう私もFC先行で落ち、SMA先行で落ち、キョードー東北、チケットぴあ、ローチケ全てで落ちに落ちまくり、ついにチケットは獲得ならず。

 
しかし、本当に素敵なフォロワー様方から多数のお声がけをいただき、無事母と2人で1stに参戦できることに。その後、山形PP前日に急遽2ndのチケットを譲ってくださる方がいらして、2ndも参戦できることに。本当に大感謝。
(チケットを譲ってくださったお三方、声をかけてくださった皆さん、いいねしてくださった皆さん、励ましのリプをくださった皆さん、本当にありがとうございました!!)

  
去年ファンになり、人生初のライブをユニコーンに捧げ(言い方)、その後スピンオフツアーにも参戦し、ユニコーンライブへ2度の参戦を経て、今回初の阿部さんソロライブを見ることになった。

 
配信もされていたが、現地でしか伝わらないこともきっとあるはず、というわけでレポを書いていこうと思う。


 
まずは個人的な話となるが、この後この出来事が山形PPのレポに深く関わってくるので書いておこうと思う。

 
私は岩手県で生まれ、小学5年になるまでの約11年間を岩手で過ごした。その後、愛知県に引っ越し、今に至る。

 
東北生まれで東北が大好きであるにもかかわらず、この6年、一度も東北に帰ることなく愛知で時を過ごしていた。

 
今回、阿部さんのライブに行くことが決まり、山形まで1日かけて車で移動していたときのこと。


何時間も高速に乗ったまま、あまりに暇すぎる車内。私と母の2人で、特に話す内容もなくなってきたので、若かりし頃のユニコーンのCDを聴きながら移動することにした。

  
 
まだ若い民生さん、阿部さんの声が聴こえ、曲が始まっては終わり、また始まっては終わり、そうしてあっという間に最後、「素晴らしい日々」がかかり始めたときだった。

 
長いトンネルの中、ボーッと窓に反射する道路照明の光を見ていると、急に視界が明るくなり、目の前が拓けた。


トンネルを抜けるとそこに見えたのは、青く、高く、雄大な山々。


私の目の前いっぱいに、広がる美しい景色。

 
たかが山がなんだ、と思うかもしれない。なんなら自分でもそう思っている。
しかし、現在、山がほぼない、あったとしても竹林がほとんどな愛知の田舎町に住む私にとって、雄大で高く、青々とした山々は本当に懐かしいものだった。


久しぶりに見る美しい山々に、懐かしい気持ちでいっぱいになっていると、自然と、流れている「素晴らしい日々」の歌詞が耳に入ってきた。


懐かしい歌も 笑い顔も
すべてを捨てて僕は生きてる
それでも君を思い出せば
そんな時は何もせずに眠る眠る

朝も夜も 歌いながら
時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから
そうすればもう すぐに君に会いに行ける


自然に、驚くほど自然に、その歌詞が切なく心に染み渡り、少し泣きそうになった。


ひねくれ者の私は、いわゆる「いいことを言ってる歌詞」が苦手で、そもそも歌詞が心に響くなんてことがほとんどなかった。
それでもこの時は、やけにその歌詞が、「素晴らしい日々」という曲名が、懐かしい東北の山々とともに心に染み渡り、溶けて消えていった。


 その後は、どこまでも続く雄大な山々をずっと見ていた。本当にずっと。
見たくて見ていたわけではない。かと言って仕方なく見ていたわけでもない。
移り行きながらも、あまり代わり映えしない山々を、なんとなく、ただずっと見つめていた。ただずっと見つめていられた。


そうして無事山形へ到着し、ホテルにチェックイン。1日かけての移動だったので、夜ご飯はコンビニ。山形らしさの欠片もない1日だったが、先の体験があったので、もうすでに「大満足。なんか自分でもよくわからないけど山に感動したし、山形来て良かった。」状態だった。
しかしこの体験が、山形PPに大きく繋がることとなる。

 

迎えた7月30日、阿部さんの誕生日であり山形PP。
早めに文翔館に着き、Twitterで知り合った方々とお話をし、いよいよ1st。

 
 
配信もされていたため、セトリに関してはあまり触れずにおく。
1stは、Lゾーン、阿部さんが出捌けする側の席だった。
ソロライブへの参戦が初めてだったこともあり、1stに関しては、ソロだからこそ感じ取れる距離の近さや仕草などに目が行った。

 
 
冒頭、阿部さんが入場し、ピアノの椅子に腰かけた時のこと。
一度座ったものの、位置が微妙だったのか腰を上げ、もう一度座り直した際に、ギッと椅子の軋む音がした。配信で音が入っているかわからないが(確認したところ注意深く耳を澄ませば聞こえるほどの小さな音が入っていた)、割と離れた席だったにもかかわらず、その音がしっかりと直で耳に入った。

 
その後も、曲の合間にマイクを通さずする咳払いや、歌い出す瞬間の息の音など、生で、この距離で、ソロでなければきっと聴こえないであろう様々な音が聴こえてくる。
それが、「空気と時間を共にしている」事実を証明しているようで、しかし今この瞬間だけという制限付きの刹那的なものであることも確かに感じられて。
夢見心地の不思議な感覚に囚われそうになり、慌ててステージへと意識を集中させた。


登場する際にこちら側の客席横を通った阿部さんは、画面で見るより細く華奢で、思っていたより街中にいそうな普通の人だった。
その飾らない姿が、なんだか嬉しかった。


1曲目「Beautiful Day」、その「生」をよく感じることができた一曲だった。


Beautiful Day
Beautiful Day
So Beautiful Day


サビの最後、「So Beautiful Day」の部分、そのたった一節。
低く囁くような吐息混じりのその歌声に、背中がゾクゾクした。ホテルに戻って、配信も確認したが、身体の芯から震えるようなあの声と艶のある深い息は、やはり配信の音には入っていなかった。
生で、この距離で、その空間にいるからこそ全身で感じることができる、儚くて贅沢な一節だった。


その後ゾーンに入った阿部さんは、しばらく歌うことも忘れ、演奏に没頭。素人の私には機材の名前などほとんどわからないが、モジュラーやその他機材を自由自在に操り、受話器マイクで「M&W」を歌い出した。


消えない愛はどこにある?
衰えない体はどこにある?


そこまで歌うと受話器マイクを置き、ピアノへ向かって座り直す阿部さん。
その手が、M&Wの前奏を弾き出した瞬間。

 

まるで、垂らした一滴の絵の具が水中で広がるように、じんわりと、それでいて強烈に、ピアノの低音が、深く身体全体、指先まで響き渡り、脳が揺れた。
天井に当たっては跳ね返り、一層深みと重みを増したその音が、私の身体に響き、静かに浸透していった。


M&Wが終わり、最後の曲「白い虹」。恥ずかしながら阿部さんソロにあまり詳しくない私は、この曲もここで初めて聴いたのだが、「風と太陽」「晴天ナリ」などのような、どことなくOasisっぽい雰囲気を感じる、いかにも阿部さんらしい素敵な曲。
ピアノに向かって歌う阿部さんの背中をじっと見つめながら、その歌声に耳を傾けた。


本編が終わり、一度舞台から捌け、アンコールで再び登場した阿部さん。
ハッピーバースデーが流れ、ケーキが運ばれた後、緑ポロシャツを着ているヨッシーさんのお話に。


阿部さんの分のポロシャツもあるとわかり、着替えるためにもう一度捌けようとする阿部さん。客席の横を再び通る際、


(´.レ_ ` ) ここで着る??笑
(´.レ_ ` ) おれこの下何も着てない!


歩きながら笑顔で話すその生声(もちろんオフマイク)がハッキリと直に聞こえ、大好きすぎる阿部さんの話し声を、近距離でマイクも通さずこの耳に入れられることが本当に嬉しかった。


アンコールで50/50の56歳バージョンを歌い、割れんばかりの拍手で1stが終了。初の阿部さんソロライブを存分に堪能し、すでにホクホクの状態だった。
しかしこの後見る2ndのステージが、冒頭に書いた、東北の懐かしい山々に感動した体験と結び付くことを私はまだ知らない。



そして迎えた2ndステージ。今度の席は1stとは真反対のRゾーン、後ろから2番目の列だった。
後ろの方ということもあり、正規の椅子ではなく、増席のため簡易的に設置されたパイプ椅子だったが、他の椅子と横幅が違うせいか、前の列の席達の丁度間から綺麗に、ピアノを弾く阿部さんのお顔が見られる良席だった。この好運も、後の感想に結び付くこととなる。


2ndが始まり、「Beautiful Day」「ことば」と続き、またもやゾーンに突入した阿部さんが機材を使って演奏に集中し出す。


受話器マイクで歌う「ことば」が終わると、ピアノの音が流れ、それに合わせて阿部さんは機械をいじり、演奏をする。
その間、私は不思議な感覚になっていた。


1stでは、前の席の間から微妙にチラチラと遠く見える阿部さんの姿を必死に目で追い、その仕草や音を懸命に焼き付けようとしていた。それなのに。


激しく心を揺さぶられるわけではなく、世界観に魅せられているわけでもなく。
音は聴こえている。阿部さんの姿も見えている。
しかし、もはや阿部さんを「見よう」とはしていなかった。「聴こう」とも。


阿部さんの奏でる音楽に耳を傾け、ぼんやりとあれこれ考える。歌もいらなかった。ただそこにある音楽を、穏やかに波打つ心で感じるだけだった。


心地良いその音楽に身を任せながら、阿部さんの音は「自然そのもの」だと思った。
川のせせらぎや鳥の声、ざわめく木々、吹き抜ける風、そして東北に帰ってきたとき見た、青く雄大な山々。


見ようとはしていない。聴こうともしていない。それなのに、ずっと見てしまう、聴いてしまう。見ていられる、聴いていられる。


車からずっと眺めていた山々に感じた不思議な感情が、そっくりそのままここにある。
そのことが私の心を穏やかに震わせ、並々と心いっぱい、満ち足りていく感覚になった。


演奏の途中で身体はピアノを、頭は客席を向き、シャンパンを喉に流し込む阿部さんを、背後のライトが照らし、反射して一瞬、グラスが光った。
きっと、簡易設置された私の席の角度からしか見ることのできない光景だったと思う。


照明が生み出す赤い世界の中、柔らかな髪の毛が光を受け、ふわふわと淡く輝く。真っ白なスーツが赤みを帯びて、右手に持ったグラスが傾き、阿部さんの喉が動いたその一瞬。


黒光りするグランドピアノ越しに見えたその光景は、そのまま写真に残したいほど、本当に美しかった。
きっと私以外、誰も見ていない、誰も見ることのできない、刹那的で儚く、息を飲むほどに美しい瞬間だった。


不思議な感覚のまま、M&Wが始まった。
1stのときは、あんなに一音目のピアノの低音に感動したのに、ここでは違った。
先ほどまでの穏やかな気持ちのまま、阿部さんの奏でるピアノと歌声に身を任せ、ゆらゆらと柔らかく、打ち寄せる波のように。


そしてあっという間に最後の曲、「白い虹」。ここでも、さっきまでの穏やかな気持ちが続き、そして静かに終わるのだと、そう思っていた。


しかし、阿部さんが一音歌い出したその瞬間、全身にぶわっと鳥肌が立った。なぜなのかはわからない。わからないが、それを皮切りに、じわりじわりと鳥肌が止まらない。


美しいピアノの音と、阿部さんの、1stより明らかに熱の入った、伸びやかな歌声。
今まで穏やかに揺れていた心が、並々とグラスいっぱい注がれた感情と感動で、一気に溢れてしまったらしい。


さっきまで阿部さんを見ようとすることすらなく、心地良い音楽に身を任せていたが、この時ばかりは阿部さんの姿を記憶に焼き付けようと、涙の滲む目を必死に凝らした。


しかし、もともと目が良くないうえに席が遠く、メガネをしても、ぼやけてしまってどうしようもない。


もう、諦めよう、そう思った時だった。





どこまでも 続いてる
白い虹を 駆け上がり





サビに入ったその瞬間、滲んだ涙で阿部さんにピントが合った。時が、止まった。




あんなに目を凝らして一生懸命見つめても、ぼやけてよく見えなかったのに。
今はハッキリと、その表情を、動きを、歌うその姿を、この目で捉えることができている。
ぼやけることなく、ブレることなく、くっきりと。


まるで映画のワンシーンのように鮮やかで、全ての色彩と光が輝き、世界が明るく見えた。


その時間は長く続かなかったが、この数秒間に渡る奇跡のような体験を、忘れることはきっとない。


白い虹が終わり一度捌け、アンコールで再度入場した阿部さん。お茶目にブロワーを使いながら笑いを交えたトーク。そのトークの流れで、こんな言葉があった。


「半分みんながわからないくらいが良いと思ってるんですよね」
「今日は本当にあの、このライブに皆が付いてきているのかと思いながら、私は1人ゾーンに入っておりましたけども」


間違いなく、私は付いていってる方だと思った。正確に言えば、「共にしている」。



おこがましいことは重々承知しているが、歌うことを忘れてゾーンに入る阿部さんと、あの場にいた多くの人は、同じところにいたと思う。
「時間」というよりは、「時空」と言った方が正しいかもしれない。


あの場にいても、「時間」に取り残された人が沢山いたと思う。しかし、造り出された刹那的な「時空」を、阿部さんと共に過ごした人もきっといたはずだ。
もしかしたら阿部さんの言う「半分」より、もっと多くいたのかもしれない。


なんだか哲学的な話になってしまったが、あの「わかる人にしかわからない世界」は、生で見てこそ体験し得るものだと強く思う。あの経験はなかなかできるものではない。一生の財産になるであろう、貴重な時間だった。


アンコールで歌った、「50/50」の56歳バージョン、あれだけ「フィフティーシックスで行く」と言って雰囲気もちゃんと作っていたのに、二度に渡って歌詞を間違え、笑い声が漏れる会場。


先ほどまでの、涙が出るほど感動的な体験から一転、楽しく穏やかな気持ちでその歌声を聴いていた。


散々トチりながらも、やはり最後は伸びやかな美しい歌声で曲を締め括り、「ありがとう」「皆さん元気で」の言葉には手が痛くなるほど拍手をした。


阿部さんが捌け、会場を出る頃には、ユニコーンのライブが終わったときと同じ、心いっぱい満ち足りて、スッキリとした晴れやかな気持ちになっていた。


阿部さんの奏でる音は、「自然そのもの」だった。
穏やかで雄大な、心安らぐ音。
私にとっては、山形へ向かう途中に見た懐かしい山々が壮大な伏線だったらしい。


あの時山を見て「素晴らしい日々」の歌詞に感動していなければ、こんなに豊かな体験はできていなかったと思う。不思議な巡り合わせに心から感謝している。


阿部さんがいつもRECやVIPでやっていることを、この日初めて、本当の意味で理解することができた。
そして同時に、「ABEDON」としてではなく、「阿部義晴」として、1人の人間としての、彼の感受性の高さと豊かさ、そして繊細さに、改めて気付かされた。


阿部さんは日々、あんなにも多くのことを感じながら生きているのかと、驚嘆すると共に、なんだか切ない気持ちになった。
感じるものが多ければ多いほど、その分余計なものまで入ってくる。それらを全て受け止め背負って、何事もなかったかのように笑っている華奢な背中が、どうしようもなく愛おしかった。

 
 


たくさんの方々のご厚意で行くことができた山形PPは、私にとって、とても有意義で、貴重な体験となった。一生忘れることはないであろう、素晴らしい思い出の数々。




7月30日、日差しが照りつける暑い山形。
由緒ある美しい会館のホールに響く美しい音楽。
そこにいたのは、皆に穏やかな豊かさを与え、にこにこ笑っている「幸せ様」だった。



あなたの世界に付いていきたい。またいつか、あなたの造り上げる「時空」を共にできることを祈って。













 

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