0になることに慣れる
こんにちは。ケイコです。
今回は、環境や人生の大きな変化に直面したときに、私が感じた話です。
「大きな変化があるときは、鬱になりやすい」ものです。
それは、変化に適応するのにエネルギーも必要ですし、対処することも多くて、脳が疲れるからです。
それを乗り切るにはどうすればいいか。
結論は、0になることに慣れることが一番です。
それまでの努力や、常識など、かなぐり捨ててしまうことが一番です。
それがなかなかできないと、適応する前に参ってしまいます。
私が、一番そう思ったのは、15歳の時です。
それまでは、経済的には豊かでしたし、勉強やスポーツも頑張っていました。
祖母の介護もしていましたし、家事もある程度していました。
習い事も多くしていましたので、優等生だったと思います。
そこから一転、親の離婚のために、犠牲になると自ら決めたのが始まりです。
母親や妹を守るために、受験も全て投げ捨てて、夜逃げ同然に父親から逃げたのですが、母親は箱入り娘で、妹はまだ善悪の分別もなく、結局私が矢面に立つ形となりました。
母親と妹の生活を守るために、私だけ一人暮らしを始めることになりました。
その時に、生活を維持する大変さに驚きました。
家賃を払うことの大変さに、まず驚きました。
どれだけ勉強ができたとしても、毎日の洗濯がどれだけ大変か、お腹が容赦なく減るか、家賃がどれだけ負担かは、わかっていなかったのです。
身をもって知った時、「生きていくって、こんなに大変なの・・・😭」と絶望したり、「世の中の人って、こんなことを普通にやってるのか・・。もしかして全員?」と、尊敬したりしたものです。
それまで頑張ってきた、ピアノや、水泳、勉強、などは全く役に立ちません。
かろうじて勉強は、普通高校へ入学したら奨学金としてもらえるのに、役立ちました。
でも、普通高校へ入学すると、夜のバイトしかできません。
しかも校則違反です。
入学する前から、校則違反するのが決まっているとは・・・。
ま、賭けのような気持ちで、将来、後悔しないために入学しました。
慣れると、バイトの人が良い人であったこともあり、クラブ活動もできたりしました。
次は、結婚です。
それまで、バリバリ朝から、明け方まで働いていたのに、田舎の静かなところで、一人。
社会から隔絶された、孤独感。
それまでの、スキルが全く生かされない環境。
その他にも家族のために、何度もキャリアを0にする場面が登場しました。
それでも、なんとか生活に慣れると、出産。
出産すると、部屋からも出られず、視界の中に子どもだけという期間があります。
そこでも、またそれまでの自分の生き方など、0になったような気持ちになります。
出産は、まだ子どもがいるので私的には、楽でした。
それ以外は、ハエ叩きで、上から『べしっ』と叩かれて、地べたをはいつくばった気分になったりもしたものです。
でも、だんだん慣れてくると、みずから0になったことを認めて、行動できるようになりました。
新しい環境に入った時にそれまでの努力などを、かなぐり捨てて行動するようになりました。
今ここでは、何もできない人である。
これを、すんなり認められるようになると、とても楽に新しいことが学べるようになります。
その世界では、基本中の基本でも、自分は知らないのだから謙虚に学べるようになります。
知らないことを嘆くより、よっぽど健康的ですし、早いのです。
そして、謙虚に学ぶ姿勢は、教えてくれる人を呼ぶことにもなります。
「常識」といっても、社会はどんどん変化しています。
社会常識自体も、どんどん変わっているのです。
引っ越しをすれば、地方によっても常識は違ってきます。
職種によっても違うのです。
だから、頭を真っ白にしたものがちです。
仕事の資格も、資格自体がなくなることもありますし、新しい資格ができることもあります。
子どもの育て方ですら、社会が変われば子どもに必要なスキルの比率が変わるのです。
だから、私の経験の中で絶対変わらない役立つものがあるとすれば、『0になることに慣れる』です。
新しいことを始めるときは、違う経験があっても「0から始めるつもり」ですると、結構楽しくうまくいきます。
そのうち、経験したことと繋がって、楽しくなってくるのです。
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