教育のバズワードに気をつけろ!

 休校期間が2ヶ月を超えた。この2ヶ月で見えなくなったものと見えてきたものを考えていく。

1. 見えなくなったもの

 地域の学校には色々な子どもが通っている。裕福だったり、困窮していたり。大勢の家族に囲まれていたり、片親だったり。愛されていたり、虐待されていたり。本やおもちゃに囲まれていたり、ゴミに囲まれていたり。もちろん地域によって様々な傾向はあるが、一人ひとりの子どもを見ると「子どもって大変だな」とつくづく思ってしまう。

 忙しい学校生活の中で、ふとした時につぶやく子ども生活の状況が、休校期間には全く見えなくなってしまった。今までも、夏休みは同じような状況だったが、今回はそれ以上の長期間にわたっている。さらに、先行きが見通せない現状がある。

 テレワークができる仕事では、以前より家族の交流を取ることができるようになる側面もある。しかし、エッセンシャルワーカーの家庭では、一人家に取り残されてしまっていることも多い。しかし、それ以上に見えないのが、コロナウイルスの影響により仕事が減ったり無くなったりして、生活が苦しくなっている家庭だ。

 家庭環境がしんどいとわかっている子どもに対しては、意図的に働きかけを多くするなど、少しでもケアにつながる動きはする。状況が見えない中では、学校の教職員からのケアが全く届かない家庭も存在するはずだ。生活が苦しくなったことをわざわざ学校に連絡してくる保護者はそういないだろう。

 先行きの見えない状況になると、不安を抱えるのは子どもだけではない。むしろ経済状況を勘案することのできる大人の方が、不安や苛立ちを抱えてしまうだろう。そのようななかで、密室のような状況になってしまっている家庭にいる子どもは、一体どのようにすごしているのだろう。

2. 見えてきたもの

 毎日のようにオンライン授業についての情報が、ニュースやSNSを駆け巡っている。日常のツールとして使っている私は、オンラインを活用することに魅力を感じるし、先駆的な取り組みを非常に興味深く見ている。しかし、オンライン授業については、現状ではかなり難しいものだと感じてしまっている。また、授業時間数を確保するための取り組みを見てるいと、行事削減、夏休み短縮や土曜日授業など、生活のゆとりや息つく暇が削られつつあることがとても気になる。

①地域や家庭の差が大きいこと。

 オンライン授業をするためには、個人が自由に使えるデバイスとネット環境が必須だが、スマホはあっても、PCやタブレットPCがない家庭が多くある。また、オンライン授業は動画のやりとりが中心になるが、通信容量の関係もあり、スマホだけあってもネット環境としては不十分である。貸与するという方法も検討されているが、初等教育では渡しただけで使うことは難しく、保護者の協力は欠かせない。(導入さえできれば、子どもの柔軟性はすごいので、どんどん使うことにはなるはずだが)使いこなせる環境か否かで大きく差が出てしまう。

②活用例としてあげられているものの偏りがあること。

 大学などの高等教育では、一気に導入しているところもある。高校でも取り入れているところも紹介されているが、進学校がメインとなっていると感じる。1点目にもつながっているが、学習する環境が整っている集団であれば活用している。できない理由を探すわけではないが、先駆的な事例を真似ようとすれば、こぼれ落ちてしまう子どもがいることは想像に難くない。

③学校には不要なものが多かったこと。でも、不要なものほど大切なこと。

 休校が決定したため、授業日数が削減されることになった。それに伴い、遠足や宿泊学習、ゲストによる体験的な授業など多くの学校行事の中止が決まった。(それでもしぶとく運動会が残るのは不思議だ)即座に決められるということは、法的には必要ではないということ。各教科の授業時間数は確保すべく、夏休みの削減や土曜日の授業が検討されている。このままでは、教室に座って教科学習を詰め込むことのみが残ることになってしまう。教職員にとっても子どもにとっても、行事は負担は大きいが、楽しみにしていることではある。働き方改革で削減できるものは行事しかなかったが、実際になくなると、学校は非常に味気ないものになってしまう。

3. バズワードに気をつけろ

 メディアを賑わせているのは、オンライン授業、九月入学、学力保障。耳障りがよく、飛びつきたくなるのも分かる気がする。しかし、明確な仕組みが整わない中で始めてしまうと、アベノマスクのように、不良品が続出してしまう恐れがある。もちろん何もせずにいればいいとは思わないが、1で述べたような見えなくなったものを見えるようにすることが最優先だと思う。

 そのためにICTを活用することができる。全員に電話をかけるなら、アクセス可能な層はオンラインで一度に顔を合わせてもよい。アクセスできない(したくない)子どもに対しては、個別に電話をしたり、学校での顔合わせをすることも検討してもよいだろう。

 流行りの言葉につられてしまうと、実際には“できる層”ばかりに視線が向かってしまうことにつながる。今の学校では、プリント用のサイトを紹介したり、youtubeで学習内容を配信したりしている。これは、オンライン学習でもなんでもなく、ワークブックの代わりに一枚一枚印刷することになるだけだし、youtubeは学習ではなく娯楽として消費されるのがオチだろう。

4. で、どうしたらいいの?

 コロナウイルス流行に伴う休校で、現在の公教育が機能不全を起こしていることが明らかになった。ICTの活用に関しても、諸外国と比べるとかなり遅れていること。学習指導要領で示されている量が多すぎて、子どもの探究的な学びの時間を確保することが困難なこと。特別支援教育が始まって、診断的に子どもの状態を把握することはうまくなったが、診断的な眼差しや分けることの差別性・暴力性に気づかないこと(むしろ、早期に分けることが“良いこと”と単純に思っている節もある)。

 あまりにも問題が多いが、問題が可視化されることは解決への道が開く可能性がでてくる。しかし、何よりも危惧するのは、学校の現状維持の力学である。前例踏襲、横並び、教育委員会の判断待ち。確かに行き当たりばったりでは困ってしまう。しかし。コロナウイルスが落ち着いたあと、「以前は〇〇だった」「市(区町村)の方針が・・・」など、これまでのような学校像を取り戻そうとする動きが出てくるのは想像に難くない。危機管理を名目に、より管理的になっていくことも予想されてしまう。

 なんだか気が重くなってしまう。しかし、見えてきた問題を見つめ続けること、子ども一人ひとりの学びにとって大切なことは何かを考え続けること、それに添って子どもと関わることしかないだろう。


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