生きていくのに必要なこと

「はじめに」
この文書は最初
自分の思考をまとめるためにメモとして
書き残そうと思っただけだったので、
文脈や言い回しが分かりにくい点が
あります。

ただ今回の内容的に人に見られることを
意識して補完するより、
思考そのままに近い乱雑な書き方の方が
しっくりくるなと思ったので
そのまま投稿します。

ほぼ自分用の思考メモに近いので
そんな感じで見ていただけたら幸いです。



自分に子どもがいたら自分の考え方の話をいろいろすると思う

どうやったら自分のストレスに対処できるかとか、自分はどうやって物事を決めてるかとか、
全く押しつけではなく、私はこうしてるよというのは伝えてあげたい、そしてそれが正解でないことも伝えてあげたい

正しいことは自分で見つけた方がいいと思うから、ひとつの判断基準として、ひとつの考えとして私はこう考えているよ、こう生きてきたよ、って
話のすみっこに挟むだけでもいいから伝えておきたい

私はそれらが分からなくて苦しんでるし
苦しんでた


ただ 言語化=意識すること だと思うから、
日々を生きる中で行動や思考をどれだけ意識化してるかで伝えられることは全く異なると思う。


分かりやすく言うと、人に物を教えるとき

例えば天才肌の人は意識化せずにやっている事が多いから、人には教えられない、教えにくい(もちろん対象外もいる)

そうではなくてひとつひとつの動作や作業、行動を意識化して行っている人なら細かく細分化して人に教えられることが多いのかな、と思う(語彙力などの伝える能力は一旦省く)


つまり、言語化されていない = その人たちはそこに考えのリソースを割いていない、もしくはあまり重きを置いていない可能性が高いと考えられる。



ということは私が生きづらさを感じているのは、普段 普通の人(普通とは?とか一旦省く)たちがあまり考えない = 意識化していないことを考えているから、という可能性がありそう。


あと今ここ(ひと段落まえ)まで人に向けて書くつもりなくて本当に自分の思考の整理のためだけに書いていたけど、
最後の方で「noteに載せてもいいかも?」と人に見せることを意識した途端書き方も文体も表現の仕方も変わってしまった、
(いや、変わりそうになったのを抑えて必死に思考のまま書いたつもりではあるが多分変わってる、意識し始めた途端変わってる)

人に見られることを意識しすぎるのは文面もなんだな、と感じた瞬間だった。

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