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Day 29 インドに来る前の前のこと

インドに来る前、私は私立高校の事務のしごとしていました。
では、その前は何をしていたのか?といいますと、


いわゆるJICAボランティアの青年海外協力隊の一員として、ネパールに2年間派遣されていました。
いまは、名前が変わっているらしいですね。JICA海外協力隊?


なにそれ?


JICAボランティアは日本のODAの予算で実施する事業です。
各国(主に開発途上国)からのニーズを聞いて、それに見合った人を派遣します。
これまでに50年の歴史のある事業です。
ざっくりというとこんな感じです。

アフリカ諸国、中南米、中東、アジアなど様々な国に行きます。
職種も教育、保健衛生、文化、農業技術、スポーツなどなど多岐に渡ります。


職種:コミュニティ開発

私はコミュニティ開発という職種でネパールへ行きました。
選考段階で職種は選びますが、派遣先は選べません。

私はインドに行きたかったのですが、この職種にインドがなかったので、
インド周辺の国ならどこでもいいやと希望を出していました。
それで偶然にもネパールになったのです。

私は大した専門技術を持っているわけではありませんでしたので、
そういった要件のないものを選んだ結果、コミュニティ開発になりました。

かんたんに言いますと、コミュニティを良くする活動です。
コミュニティ開発の中でも、農業や行政、水資源など様々な分野がありますが、私の場合は、村の女性の生活向上でした。


ネパールに派遣される前

ネパールに行く前は、派遣前訓練といって70日間の合宿を強いられます。
語学はもちろん、感染症や、JICAについて、ファシリテーションの知識など、色々と詰め込まれます。

極寒での毎朝のラジオ体操もありました。おかげで今も第二までからだに染み付いてます、、

合宿については賛否両論ありますが、私は普段出会うことのないような様々なバックグラウンドを持っている人と知り合えたのは、いい経験でした。

さて、そこで培った語学力やもろもろの知識で、いよいよ現地で暮らして行きます。


ネパールでの生活

私はある地方の土砂崩れ等を防ぐ事務所に派遣されました。
全部で10人いるかいないかの小さなオフィスでした。

そこで、オフィサーと村に行ったり、村の女性たちの情報を集めたりしていました。


自分でもよく訳のわからぬまま過ごしており、専門知識もない自分は全く役に立たないと思う每日でした。
他にも、「国際協力ってなに? 本当に援助って必要なの? 自立とは?」など、悶々と考えたり、同期とあーだこーだ話す每日でした。
こちらの問いに答えはないので、今でも考えは続きます。

ボランティア活動についてはずーっと悶々としていたのですが、
ネパールに住むということは好きでした。

インフラが整っていなくて、苦労は絶えなかったです。でも、それも慣れてしまえば驚かなくなります。
停電しても、特に誰も反応しません。
水が止まってもなんとか生活出来ます。


それ以上に、人が温和でご飯が美味しい!
特に村のご飯は美味しく、しかもたくさん食べさせられますので、ネパールで4キロくらい太ったんじゃないでしょうか。
よっぽどネパールの空気に合ったんですね。


帰国

そして、2年の活動を終えて帰国しました。
今思うと、大地震や燃料不足など大変な時期にネパールにいたもんです。

イマイチ自分の人生、行き当たりばったりの感じですが、あの2年間の経験があったからこそ、
今の自分はインドで生活出来ているんだと思います。
日本語教育というものに出会ったのもネパールでした。
不思議な縁ですね。


協力隊の活動を終えてからも3度ほどネパールへ遊びに行きました。
行くたびに変わる街並み、でも、不動のヒマラヤ。

今は、前よりも近くなったのに行けない悲しさ。。
早くネパールの空気が吸いたいこの頃です。


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