スポーツの価値とは〜フジワラコウヘイの場合〜
” スポーツは、明日をつくるものだ ”
2020年に作成したRUNBRIDGEのCONCEPT BOOK。
2021年の今年作成したCONCEPT BOOK。
いずれも、「明日」というタイトルです。
改めて、私にとってスポーツとはなんなのだろうか。
スポーツの価値とはなんなんだろうか と考えました。
今、おもえたことは「スポーツは、明日をつくるものだ。」ということです。
自分自身が、競技者としてスポーツと向き合っていた時は
「どうしたら、もっとうまくなれるだろうか」「どうしたら、もっとはやく走れるだろうか」「どうしたら、もっと役立てるだろうか」...と思い考えて、明日の自分を探していたような気がします。
さて。自分とスポーツとの棚卸し。
・水泳 1989年〜1995年(小学校)
・サッカー 1997年〜1999年(中学校)
・フットサル 2002年〜2006年(大学)
・ランニング 2015年〜(社会人)
・ブリッヂ 2021年〜(社会人・今)
水泳をやっていた時は、交友関係が広がることはありませんでした。
サッカーをはじめてから、広い意味の社会性が拡がってきた気がします。
大学生時に参加していたフットサルサークルは名の通りサークルとしての役割でした。
ランニングは、ピーク時は月間250kmくらい走っていました。
ランニングをきっかけに、生まれたご縁はいくつもあります。
ブリッヂは、かっこよくいえば自己研鑚の習慣づくりな感覚です。
数字的でしたり、論理的にことばにすることが難しいのですが
スポーツを通じて、「思考」「思想」も育まれているとおもっています。
水泳をしていて、水と過ごしていた時間
スイーパーというポジションで、ボールを追いかけていた時間
ランニングではじめての土地を走ったり、自分の鼓動と向き合ったする時間
「時間」を栄養と考えた場合、しっかりとそこにはなにかしらの栄養素があるとおもったりしています。
また、昨年からRUNBRIDGEをきっかけに競技者ではない形で、スポーツと対峙することになりました。
コーチをされている方、チームを経営されている方、選手の人生を導いている方、様々ある、壁や差を越えようとしている方、などなど。
このご縁もまた、自分の明日をつくってくれている気がします。
何もスポーツをやっていなかったら。
どんな生き方になっていたのでしょうか。
想像するのは、難しい。
改めて、調べてみたのですが
スポーツの語源は「あるところから別の場所に運ぶ・移す・転換する・追放する」「気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶ」の意味を持つラテン語「deportare(デポルターレ)」とされているそうです。
自分自身を、次にくる明日に移す・転換する。楽しむ。
そんなことなのかもしれません。
#明日
#スポーツの価値
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?