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太め姫様と魔族の王 (前編)

その1 太め姫様、覚悟する



「そういうわけでな、リーリン」

お父様はなんと残酷なことを言うのでしょう?

「お前に行ってもらうしか、この国を守る方法がないんだよ」



私が歓迎される存在ではないことは知っていましたわ。

だって、ジェナスお姉様に比べてなんとも太っていてみっともないんですもの。

この国の次期当主はシュミルお兄様。残念なことにお父様には子供が3人しかいません。お兄様以外の子供は私とお姉様の女が二人。外交に使える手駒は私達だけなのです。

ジェナスお姉様は私と違って美しく、スマートでいらっしゃる。ドレスもよくお似合いです。手駒として取っておきたいのは、太っている私とお姉様と、どっちでしょう?


分かっていますとも…。

痩せればいい、とおっしゃる方もいらっしゃいます。けれども、今までの習慣とそれを覆す自重というのは、とってもとっても難しいことです。

痩せている方には、太りやすい私達のような者の気持ちは理解できないことでしょう。


私とて、痩せようと努力したこともありましたわ。家族と食卓を異にして、野菜と少しの肉を食べて生活いたしましたのよ。

けれど、やっと人並みに近づいた頃に、どうしてもどうしても食欲が私をねじ伏せてしまったのです。恐ろしいことに、半年もの努力は2週間で水泡に帰したのです…。


それにしても、お父様はひどい方です。

国王として、国を守らなくてはならない。それは私も重々承知しております。けれども、血を分けた娘に、魔の国の王に嫁げとおっしゃいますか…。



魔の国は、我が国の隣国です。

しかし、我が国は人間の国、魔の国は魔族の国です。そもそも共存できるものではありません。魔族は寿命が長く、魔法を操り、獣の力を使いこなします。

圧倒的に力の弱い我が国は、代々魔の国の王と政略結婚を繰り返してきました。そうすることで自国を守ってきたのです。


政略結婚、などというのは美しい言葉に言い換えたもので、実質は…生贄。そう、生贄です。

魔族の現王は御年350歳とおっしゃいます。人間の年齢に換算したらおいくつくらいなのかしら。魔族の方々は、力を借りる獣の種類によって寿命が違うそうで、魔王様がどのような獣の力を使うかたか、そしてその寿命がどれくらいでどんな力をお持ちなのか、我々は存じ上げないのです…。

その魔王様に、我が国から嫁いだ王族の娘の数は52人。300年ほど前から続いていると聞きます。


そして、その娘達は皆、嫁いで早い時期に死んでしまっている…。


人は、娘達は魔王様に殺されたとも、食べられたとも言います。

娘が絶命すると、魔族はまた我が国に「嫁」を希望するのです。


私は、つまり53人目の生贄として、魔王様に嫁ぐことを命じられているのです。

ええ、私はたっぷり肉がついていて、美味しそうでしょう。

「痩せればジェナスをも凌ぐ美しい娘なのに」と言われ続けましたわ。けれど、私はどんなに頑張っても痩せなかった。

美しくなければ、普通の政略結婚の手駒にはなれません。

魔物の餌にちょうどいい、というわけですわね。



私にお父様の命に背くことなどできません。

出来損ないの娘で申し訳ありませんでした。私はせいぜい、餌として華々しく散って参りますわ。

もとより、痩せられなかった時点でこのことは覚悟しておりました。

お父様もお母様も、お兄様もお姉様も泣いてはくださいました。けれど、誰も引き留めてはくださいません。

それが…きっと、私の宿命なのでしょう。

私は国を捨て、命を捨てに参ります。隣国、魔の国へ。



その2 太め姫様、嫁ぐ



ある冬の日、私は美しい輿に乗せられて隣国に旅立ちました。


隣国に向かうためには高い山を越えなくてはなりません。山に登れば、雪が舞い始めます。景色は白く、そして黒く、灰色で、静けさだけが私を包んでおりました。

「寒い…」

美しいドレスを身にまとい、絹のケープに身を埋めながら…獣の毛皮は、獣の力を使う魔の国には着ていけません…私は寒さにガチガチと震えておりました。


果たして寒さに震えていただけでしょうか…恐ろしさに身を縮めていたのかも知れませんが、もう何が何やらわからなくなってしまっていました。

肌に感じる寒さも、荒涼とした景色も、家族や生まれ育った土地と離れることも、そして何者とも知れぬものに嫁ぎ、命を落とすということも…一度に私を襲ってきたのです。私にまともな判断ができましょうか?


国境と思しき場所で、とうとう私は魔の国に引き渡されるべく輿を降ろされました。

「姫君、どうぞ、ご無事で」

ここで仕える者共と別れることとなります。

生贄の「嫁」を差し出すことで触発を避けてきた謎の国である魔の国…

私は一人で立たされ、彼の国から迎えが来るのを待たなくてはなりません。それが嫁ぎ入れの約束なのです。

荷もなく、身ひとつで来るように、というのも昔からのしきたりです。何も持たず…これが仮にも一国の王女の輿入れでしょうか?


風雪の吹き付ける死の世界。冬の山の上には、枯れた木と岩と雪しか見当たりません。何者が迎えに来るのか、私はどうなってしまうのか…自然と涙がこぼれ落ちてきます。

私、怖いんだ…。

その時私は、やっと自らの感情に気づき、その感情に慄き震え、腰が抜けて冷たい地面に座り込んでしまったのです。



空から、大きな羽毛が降ってきました。

美しい白い、そして鳥のものとしては大きめの…私の上にはらはらと降り、まるで包むような白を纏った私は…涙を流したまま、空を見上げました。

するとそこには、大きな大きなワシが旋回していました。くるり、くるりと私の真上で輪を描いて、…どうやら私の様子を伺っている、ようなのです。


魔族は獣の力を使う。

それは、私を迎えにきた…魔族の者の姿なのでしょうか。徐々に高度を下げ、私の隣へと降りて参りました。


「其方が人の国の王女リーリンか」

大ワシが、私に向かって大きな言葉を発しました。

私は、そのような高圧的な物言いをされたことがなかったので、余計怖くなってガタガタと震えました。

「其方がリーリンかと聞いておる」

ワシは、見る間に人のような姿を取り始めました。頭と2本の腕、胴体と2本の足…しかし、顔はワシで、鋭い嘴と眼光がが私の方を向いておりました。


「…はい、わ…私がリーリンでございます…」

立ち上がらなくてはならない、とは思いました。何しろ私は、腰が抜けたまま座り込んでいたのですから。王族の娘として、この姿はあまりにもみっともない。

しかし、怖くて怖くて、足に力が入りません。目から溢れ出す涙も止まらず、それを拭うことすらも忘れておりました。


「ここは寒かろう」

ワシの魔物は腕を広げました。するとその腕は…片方だけですけれども…大きな翼に変化したのです。

その翼で、私をまるで守り温めるように抱きすくめたのです。

「ひっ」

私は殺されるかのような声をあげてしまいました。…が、その魔物が私に危害を加えるようには、正直思いませんでした。翼の中は温かく、穏やかでした。

「俺が怖いか」

魔物は私に優しい声で語りかけました。

「まあ、怖かろうな…どうか、怯えないでほしい」


そして魔物は、私に向き合うと、恭しく頭を下げたのです。

「初にまみえる。俺が其方の夫たる魔物の王、フロードだ」


「…へ…?」

この魔物が…魔王、様?

「この姿は本来の姿ではない。本来の姿では城の者達がここに来ることを反対するであろうから、身軽な姿で城の者の目を盗んで参った」

そして人のように見える方の腕を動かし、手の爪で頭をポリポリと掻かれました。

「王には見えまい。脅かしてしまったかも知れぬ、すまん」


私は…全身の力が抜けて、彼の翼の中にへなへなと倒れ込みました。どのような恐ろしい者がやってくるのかと思ったら、このような…

なんというか、思ったよりも馴染みやすい姿の魔王様が、御自ら、しかも一人で私を迎えにいらしたとは…。

「リーリン、どうした、風邪でもひいたか」

「いいえ、ええ、大丈夫…大丈夫でございます…」

魔王様は、両の腕を翼に変化させ、私を柔らかく抱きしめてくださいました。

「決まりに従ってここでの引き渡しとなったが、冬には辛かったろう。申し訳のないことをした」


や、優しい…?

話の通じない、獰猛な魔の者の王…人を喰らう魔王の姿は、どこへ?


「これから俺の城に其方を連れて行く。背につかまっていてくれれば羽毛があって寒くはないと思うが、高いところを飛ぶので怖いかも知れぬ。しっかりつかまっていてくれ」

そして魔王様は、先ほどのワシの姿に変化して、私を嘴でちょいと背中に放り投げられました。

そしてもう一度「つかまれ」とおっしゃるので、羽根の中にある柔らかい羽毛をギュッと握り締めました。羽根の中に入ってしまえば、ほかほかと温かく、山頂の寒い空気を忘れさせてくれます。

「羽根の中に入って、目を閉じていろ。下を見ると怖いだろうから、目を開くな」

魔王様はそう言うと、風の中に飛び立ちました。



「魔王様」

私を連れ帰った彼に、城から出てきた獣…執事でありましょうか、狸の姿をした者が強い口調で嗜めにかかりました。

「なんと、姫君を迎えに、お一人でいらっしゃるとは!共の者をおつけしようと存じてましたのに!」

「大勢で出迎えて怖がられては意味がない」

魔王様は、人型に変化された後、私の手を引いてお城の中に入っていきます。


お城は、山城といった風情で、私の生まれ育った城に比べて簡素ではありますが、大きい建物です。

装飾は少なく、ただ窓は大きく、風がよく通りそうな気持ちのいい感じがいたしました。

「この城のある場所は暑くもなく寒くもない。湖が近くて、良い風が吹く。其方がいた城に比べると殺風景だろうが、我慢してほしい。我が一族は華美を好まぬ」

ワシの姿の魔王様は、キリリとして若々しく見えました。

おいくつくらいの方なのだろう…人間に例えると…。


私は、私の部屋だという場所にて魔王様から一度解放されました。

「ここでは好きにくつろぐが良い。一応必要なものは用意したつもりだが」

魔王様は私の姿を、上から下へ一度視線を走らせられましたね。ええ。

「服が足りぬと思う。採寸をさせて作らせるので、少しの間辛抱してくれ」

案の定、置いてある服は私にはサイズが小そうございました。



その3 太め姫様、魔王にあいまみえる



私は、雪に濡れたドレスを風に晒し、乾く間はなんとか着られるドレスをクロゼットから探し出して着ておりました。

とても疲れてしまいましたし、緊張も解けて、ベッドに寝転がるとそのまま眠ってしまったようです。

良い風が吹き、まるで子守唄のような森のざわめきが耳をくすぐる…

きっと私は、今すぐに殺されてしまうことはないでしょう。そんな、意味のない直感がふわりと眠気を誘ってきたのです。


お腹、空いた…

目が覚めると、私のお腹がぐう、と鳴りました。

全く食い意地の張ったものです。こんなだから、私には用意していただいたドレスすら着られないのでしょう。

しかし、外を見るとすっかり暗くなっており、灯もない城の外には暗い森と湖。

私が故国の城を出たのは朝でした。緊張のあまり、ランチをいただいておりませんでした。


すると、扉がノックされます。

「リーリン様」

「は、はい」

扉を開けると、ウサギの頭をした人型に近い姿の魔族の者が深々と頭を下げていました。

「初めてお目にかかります。私は姫様付きのメイドでルピと申します」

ルピは、動きやすそうな濃紺のドレスに、フリルのついたエプロンをしております。メイドは我が国と似た服装をするものだ、と拍子抜けいたしました。

とはいえ…隣国ですものね、気候も似れば服装も似てもおかしくはございません。

「えっと…どうぞよろしくね」

「よろしくお願いします。お輿入れしたばかりで、不自由も多々おありでしょうが、私に何なりとお申し付けください」

ルピは、真面目そうな黒い目を私に向けました。


そして、

「お夕食の準備が整いました。フロード様が食堂でお待ちになっています、お越しください」

と、私を食堂まで誘ってくれました。



…私は息を呑んで、立ちすくんでしまいました。

たいそう失礼な態度をとっているとは思っております。が、フロード様のお姿を拝見して、今度こそとって食われるかと…。

「リーリン」

私を呼ぶフロード様、であるらしい目の前の…身の丈で私の倍はあろうかという、真っ黒の…熊が…恐ろしげな牙を見せたのですから…。

「驚かせてすまない」

しかし、声は先ほどの、ワシの姿を取ったフロード様のものでした。少し乾燥した、優しげな声。


「フロード様、なのですか…」

私は少し落ち着いて、ルピが引いてくれた椅子に座りました。

「俺は元々、熊の祝福を受けて生まれた者。そもそもの姿はこれなのだ」

彼はまた姿を変えて、熊の頭部を残して人型になられました。人型になると、首から下は簡素な服を着た人間とほとんど同じです。…爪が鋭いことを除いては…。

「こっちの方が其方には馴染みが良いだろう。しばらくの間はこの姿でいるように気をつける」

「あ、ありがとうございます…」

私は、多分…意図せず、怯えていたのでしょう。

目の前にいらっしゃるのは先ほどまで大きな熊…の姿をしていた、熊の顔をしたフロード様…いや、大きな熊…私の国では、熊はお腹が空くと人を襲うこともある猛獣ですから、私が本能で怯えても仕方がないと思うのですが…露骨に怯えるのは失礼なことではないかとも思います…でも、でも…


「やはり、人間にとっては俺は怖く見えるよな…」

フロード様はテーブルの上に乗った晩餐に目をやりました。

「とにかく、飯が冷める。リーリン、食欲はどうだ?」

ええ、怯えた女は食欲をなくすことがよくあります。しかし、私は…お料理の芳しい湯気に、お腹が鳴りました。

「え、ええ、いただきます…」

「それはよかった。食べないで衰弱して死んだ姫もいたもので」

フロード様は…心配そうな声を出されました。

「其方には死んでほしくない」


朝ぶりのお食事は、たいそう美味しゅうございました。

獣の国では肉は食べないと聞いていたのですが、そんなことはありませんでしたわ。

「俺達は、獣の霊に祝福を受けて魔法を使う一族であって、獣自体ではない。獣だって、他の獣の肉は食うしな」

フロード様は私の疑問をあらかじめ知っていたかのように、そんな話をなさいました。召し上がっているのは鹿の肉。

「人の国の王族に比べたら、我々の食べるものは素朴かもしれない。けれど、うちの優秀なコックは其方が食えないものは出さないと思うし、其方の食べたいものはなるべく再現させる」


鹿の肉を焼いて香辛料をかけただけのステーキは、とても良い香りがしましたし、噛み締めるごとに肉の甘い味が口の中に広がりました。

我が王宮で食べるステーキは、大概凝ったソースがふんだんに用意されておりました。お肉自体の味に感覚を向けたことが今まであったでしょうか?

「非常に…美味しゅうございます…」

「それはよかった!」

フロード様が明るい声を上げられました。

「食事を美味そうに摂るおなごは、とても好ましい」


自分の身が危ない時でも、食欲が落ちないのは情けないと言いましょうか、生命力に溢れているとでも言いましょうか…

お食事をすっかり平らげて、体が温まると、私はふわりと幸せな気持ちになりました。

「可愛らしい姫君で、ようございましたな」

狸の執事…ウィーガルという名だそうです…が、主君に楽しげに耳打ちをしました。

すると、主君…フロード様は、慌てた様子で、

「本人の前で、失礼であろう」

とヒソヒソ声で返答をなさるのです。

この国では、主従関係は、私の国よりも若干緩く出来上がっているようです。フロード様は、ウィーガルとは仲が良い様子ですし、ルピに対しても気さくに「ありがとう」とおっしゃいました。


…そんな、悪い国には思えない…。

私の知る魔の国は、魔法を悪用して人の国に害をなす存在であったはず。いつ我が国に侵出して、人を滅ぼすとも知れない存在。

その怒りを鎮めるために、人間の王族の娘との政略結婚を繰り返してきたという…。


しかし、我が国は、私の知る限り…歴史上、一回でも、魔の国の侵略を受けたことはなかったと思うのです。

ただ、事実としてあるのは、政略結婚を繰り返していたことと…その娘達が、みな早期に亡くなっていること…。

…実は、人間の娘の肉が美味しくて、人間を滅ぼさないでくださっているのかしら…フロード様の御代になられてから52人の娘の犠牲の上の平和…そして、53人目の…

そんな怖い考えに至って、私の恐怖はまた足元からゾワゾワと背中を上ってきたのです。



その4 太め姫様と魔王の寝屋



食事が終わると私は元の部屋に戻されました。

素朴な作りではあるけれども、木目の美しい天蓋のついたベッドは、ふかふかとして十分気持ちよく作られています。

この国の文化なのか、それともこの城だけの趣味なのか、フリルやレースといった装飾はほとんどなされておらず、その代わり木でできた家具には美しいレリーフが彫りつけられております。

それはそれで贅沢で、周りの森や湖の雰囲気にしっくりと寄り添っているようで好ましく思えました。


私は、いつまでこの部屋にいることができるのでしょう?


ドアがノックされたので、衣類を整えてお返事申し上げたら、こちらから開けるでもなくドアは開けられました。

そこにいらしたのは…フロード様、でした…。

「其方と話がしたくてな」

熊のお顔をこちらに向けられて、まっすぐと向かい合った私に、膝をついて頭を下げ、最上級の敬意を示されました。

「挨拶をしていなかった。姫君に、失礼なことをすると思っただろう」

「いえ、そんな、お顔をあげてくださいませ」

「色々と気づかぬところがある。俺はどうにもあまり女の扱いがよろしくないらしい。ウィーガルに叱られてきたところだ」

それから、私の手を取り、甲にキスをなさいました。

「人間の娘にとって、俺はとても怖いものに見えると思う。とって食ったりはせんので、怯えないでほしい」


「へ?」

私は、素っ頓狂な声をあげてしまいました。

「とって食いは、なさらないんですか?」

フロード様は待ってましたとばかりに首を横に振られます。

「食わぬ。比喩的な意味で食うことはあろうかと思うが、きちんと夫婦になった暁のことだ。人間の肉を食う悪趣味がある者は、魔の国広しともそうはおらん」

「悪趣味…なのですね、人間の肉は…」

「魔の国には人間はそもそも生存していない。食物連鎖に入らぬものを食うのは、獣の生き方として間違っておろう」


私は…へなへなと、床に座り込んでしまいました。腰が抜けました。今日2回目になりますわ。

「私…とって食われるわけではないのですね…」

「何を言う、失礼な。其方は嫁に来たのであろう。食われに来たのか?」

軽く笑った後、フロード様は真顔で私を見つめました。

「其方が聡明な姫でよかった」

それから、私の肩を優しく、とても優しく抱いてくださいます。

「今まで俺のところに来た人間の王族の娘は、皆俺のことを怖がって死んでいった。食事が喉を通らず衰弱した者、行く末に絶望して舌を噛んだ者、湖に身を投げた者…」


「我々が、人の国に対して魔の国の習俗や歴史を伝えていないがばかりに、誤った知識を植え付けられてきた娘達が次々と…」

フロード様は、泣いていらっしゃいました。

「俺のところに来たばかりに、自国に帰ることもままならず、死んでゆく者ばかりを見てきた」

確かに…魔物の生贄とされた私達が、自国の土を踏むことは決して許されないことでしょう。

この国で絶望したならば、死しか考えられなくなる…そして、王族の娘は辱められる前に命を断つことを誉とする…。

「俺は、幼かったが故に、娘達をこの世に引き留める術を持たなかった。ある朝、我が妻とされた娘の死骸にあいまみえる気持ちが其方にはわかるだろうか?」

「それは…」

それは、お辛いことだったでしょう。おっしゃることが本当なら、この魔王様は妻を娶り、その妻を次々と「ご自身のせいで」死なせてこられたのです。

「だが、俺ももう成人になる。自分の妻となるべく我が国に来た其方を、死なせるわけにはいかぬ。細心の注意を払ったつもりではあったが、それでも怖い思いはしたであろう?」


「なぜ」

私には解せぬことがありました。

「なぜ、魔の国は人の国と政略結婚をする必要があったのでしょう?人の国の側にしてみたら、魔族が怖くて人身御供を出しているわけですが、魔の国にしてみたら人など何の脅威にもならないでしょう?」

「それは違う」

フロード様は、ベッドに腰掛けて、私に隣に座るように促されました。そこに座ると、美しい森と湖と月が一度に視界に入り、少し冷たくなった風とともに凛とした佇まいを見せてくれるのです。

「人は弱い。魔力もない。寿命も短い。そういう意味では確かに脅威ではないかもしれない」

熊のお顔は、とても真面目な風情で、それでいて柔らかな空気も纏っていらっしゃいます。この方の表情を読むことは、私にはできるのでしょうか?


「しかし、人は賢い。それは魔族が圧倒的に人に敵わぬものだ」


フロード様は、ご自身の手のひらを見つめられました。爪の先だけ熊の様子を残していらっしゃいます。

「国境では、魔族を恐れた人間が、誤って国境を超えた我が国民を捉えて殺してしまうことがよく起きている。魔族にはない『武器』で」

その手のひらを、ぎゅっと握られました。

「人の国との政略結婚は、単なる平和的な取り決めでしかない。こちらもそちらに害をなさない、その代わり、そちらもこちらの安全を保っていただく。互いに国境を超えない、それだけのものだ」


「わかっていただけたか」

私は、普通の政略結婚でこの国に来たのですわ…。

「我が国では、そのようには理解していないと思われます。貴方様が、王族の娘を喰らってしまうと思っております」

「…こちらも説明不足なのだ。俺が成人を迎えるまでの350年の間にも、人間は何代も変わってしまっているのだものな。その前からの取り決めだから、其方達にとっては先祖代々受け継いだ伝説とでも思っていることだろう…」


「大変失礼をいたしました」

私はベッドから飛び降り、ドレスを広げて深々と頭を下げました。

「私は、貴方のお夕食にでもなるものと思って参りました。そのような野蛮な方々と勘違いしておりました。どうか、どうかお許しを」

「いや、わかってくれればそれでいいのだ」

どうやら、フロード様は微笑んでくださったみたいでした。

「これからはちゃんと人の国と交流を図ろうと思う。互いに恐れあっているだけでは誤解が誤解を生み続ける」


それから、魔王様はベッドの彼の隣をぽんぽんと叩き、私にもう一度座るように促されました。

「其方がわかってくれる姫君でよかった」

「…私も、貴方様と同じくらいの年頃です。先日18歳になりました。私の国では18歳が成人です。…それが故に、輿入れをしてきたのですが…」


「それでは、寝屋の作法も心得ておるか」

「え」

フロード様は、頭を手で覆うと…人の頭へと、変化なさいました。これで全身、人と変わりのない姿をなさっています。

「この姿は魔族にとって恐ろしいものなので、寝屋でしか化けぬ。しかし、其方にとっては馴染みがあろう。…これが、魔族の王として人の娘を妻に娶る者の作法だ」

そこにいらっしゃるのは、黒髪の、黒い目の、素朴に笑う優しげな青年でした。魔族を率いる王とは思えぬ、柔らかな雰囲気を纏うひとでした…。


「で、でも」

私は、急に自分のことが恥ずかしくなりました。

「私、見てお分かりかと思いますが、たいそう太っております。とてもではないですが…みっともなくて、殿方の前でドレスを脱ぐことはできませぬ…」

「太っている?」

フロード様は、小首を傾げてそうおっしゃいます。

「まあ、確かに、今まできた娘達は細くて折れそうだったか…人間とはそういう種族だと思っていたが、其方は柔らかそうには見える」

私は情けなくて、先ほどとは別の涙を流し始めました。とめどなく流れる涙は、ふくよかな私の頬を伝います。

「私は、こんなに太っていて、美しくないですし、…政略結婚とはいえ妻となる者を選べない貴方様が不憫です」


「何を申す」

魔王様は焦ったように声を荒げられました。

「其方の国では、其方は美しくない方に入るのか。なんとも自己肯定感の低いことだ」

そして、私のことをぎゅっと抱きしめられました。

「人の国では其方のような者を美しくないと申すか。実に美しいではないか。柔らかく見えるのはおなごとして美しいことではないか。この国で、痩せ細ったおなごを美しいと好むのは、…変態だ」

そして私を抱いた腕の力を緩められます。私は、ドキドキしながらフロード様の胸から少しだけ距離を置きました。


「へんたい…なのですか…?」

「ま、時折感覚のズレた者もいる。この国ではさまざまな獣に祝福されて命が誕生する。さまざまな感覚があっても誰も何も言わぬ。…誰かを害したり、迷惑をかけたりしない限りはな」

そしてフロード様は、私の手をキュッと握られました。爪を食い込ませぬよう、優しく。

「だから、其方も自分の姿を否定してはならぬ。世にはさまざまな感覚があるのだ。それがこの国の掟だ」


「…其方のような娘には、朗らかであってほしい」


そう笑うと、白い歯に少し牙が見えました。

「婚礼前でもあるし、寝屋を共にするのは今ではない。俺は自分の部屋に帰るが、もしも不安になったり怖くなったりしたら、向かいの部屋にルピを控えさせているので声をかけるが良い」


そして、真面目な顔にふいっと戻って、確認するように一言付け加えられました。

「くれぐれも、死なないでくれ。其方は俺の妻になる者だ。怖がらないでくれ。俺のことが嫌いなら結婚などしなくても良い。この国で生きていけるように魔法を授けるから、どうにも俺が嫌なら自由になるが良い」


…私は、どうやら本当にこの国に結婚をするためにやってきたようです…。

とてもお優しい、夫となる人がいらっしゃいました。



その5 太め姫様と魔王の結婚



魔族の国は、素朴で、慈愛に満ちておりました。


婚礼までの間、フロード様は忙しいお時間を割いて私のところに来てくださいます。

私に、この国について理解をしてもらいたいとおっしゃるのです。


まず、生まれる時には皆、何らかの獣の霊から祝福を受けるのだそう。これは、身分の貴賤に関わらず…全ての魔族がそういうものなのだそうです。

そして、その霊から魔力を授かります。どのような魔法を使うようになるかは、授かった魔力によって違うのだとか。それにも貴賎はないようで、王たるフロード様はたまたま熊という猛獣の霊から魔力を授かったに過ぎないのだそう。

ネズミが魔王になろうとも、ゾウが魔王になろうとも、それはその時の祝福によるだけのことであるのだとか。


そこにあるのは、身分の違いではなく個性の違いなのだ、フロード様はそれを強調されていらっしゃいました。

この国では、さまざまな生き方を認められている…他者に迷惑をかけない限りにおいては。


私には、それがどうにも分かりませんでした。王は存在して、統治をしなくてはならない。けれど、貴賤の差はない。

民は王の何を尊んで付き従っているのでしょうか?

「それは、多分」

フロード様は言葉を選びながらおっしゃいました。

「俺はこの国の法であるから。正しい法であり続ければ、俺は王であり続けられる。俺の役目は、驕らず、この国の正しさの象徴であること」

正しさの、象徴…?

「魔法を使う者は、簡単に他者を傷つけることができる。それを俺が…俺に繋がった祖先達、父王が…許さぬうちは魔族は繁栄を続けられる」

そして、少し胸をお張りになります。

「正しさが保たれなければ、王族は民によって倒される。そして新たな王族が生まれる。我が一族は3000年の統治を続けている。俺もそれに続かなくてはならぬ」


魔の国というのは、実に互いを尊重し合う、良き人々の国でありました。

魔法は攻撃に使われることなく、移動や生産、文明の発展に使われるとのことです。

見た目は祝福を授けた獣の霊に倣うものだそうなので、ルピはウサギ、ウィーガルはタヌキに祝福されて生まれてきたのでしょう。

魔族の間では、草食動物や肉食動物といった別はなく、それによって争いが生じることもない…争いは話し合いで解決するものと決められているから…ということ。


「全く知りませんでしたわ」

フロード様はニコニコと…熊のお顔をしていらしても、なんとなくそれがわかるようになりました…私をご覧になりました。

「リーリンが聡明であってくれて助かる」


フロード様が魔王の執務を執り行うのはこの城の執務棟で、私がいるのは居住棟のようです。ウィーガルとルピだけで回しているこの建物には使用人があまりに少ないと思っていたのですが、執務棟の方にはたくさんのひとがいるのだとか…。


私がひとりになると、今度はルピがテーラーを連れて私のところにやってきました。

「姫様、ドレスが仕上がってまいりましたので、御試着をお願い申し上げます」

私の寸法に仕上がったドレスは、草木で染めた毛のドレスで、温かく優しい品物でした。

私が故国できていたものよりも、ずっと素朴で、しかしながら柔らかな色のグラデーションは素晴らしい技術で染められていることと思われます。


豪奢でなくても心が温まるもの…それがここには溢れておりました。

「なんて素敵なドレスなんでしょう」

その美しさに気づくと、もうあの色の洪水たる故国の王宮に戻る気がなくなります。

この国の美しさがここに凝縮されてるようです。


そして、テーラーは、特別な一品を私に着せ掛けました。

「姫君、こちらは婚礼のためのドレスです」

「純白を出すには、とても難しい魔法が必要なんですよ、姫様」

ルピも珍しいものを見る目で、キラキラとしておりました。

ドレスは美しく白の光を放ち、私の出ているお腹の存在感をも消し去ってしまうほどの品物でした。

普段は質素な暮らしをなさっている魔王様も、このドレスにはふんだんに布を使って良いとお考えになったのでしょう。パニエで膨らませたスカートは、長く裾を引くデザインになっておりました。

「私は」

試着したドレスを脱ぎながら、私の胸に大きく甘い気持ちが去来いたしました。

「歓迎されているのですね…」

「それはもう」

ルピが楽しげにドレスを受け取り、答えました。

「フロード様が嬉しそうに姫様の元に通う姿は、失礼ながら…とても、可愛うございます」

そして、ニコリと私に笑みを向けます。

「良いご夫婦となられることでしょう」



婚礼は、私が思うものとは少し違っておりました。

獣の霊を下ろす神殿にて、守護の霊に私を選んでいただくことで私も魔族のものとして認められ、結婚を許されるというものであるらしいのです。


私はあのドレスに身を包み、背の丈が私の倍はあるフロード様の本来のお姿に付き従い、神殿を進みます。

私のドレスのスカート周りをウサギの姿になったルピが整えてくれながら寄り添ってくれて、後ろをタヌキの姿のウィーガルが見守ってくれるのです。私にとって、それが親のような存在になるということでしょう。


やがて、神殿を進むと、ヒョウの神官がフロード様に、私のベールを取ることを促します。

ベールを取られた私に、神官が書物を読み上げ獣の霊と交信をしながら光を下ろし始めました。


「ヤマネコの霊が降りてこられました」

神官がフロード様にそう告げると、ホッとするように私の背に手を当てられました。

「霊が降りてこなければ、婚姻は失敗する」

そして、私を見てにこやかにお笑いになりました。

「霊は祝福をしてくれるらしい」

光はヤマネコの形を成して、私の上をくるりくるりと旋回すると、頭の上からじわりじわりと私を包み始めました。

フロード様も少し私から離れて、その様子を見守ってくださっています。


私は、魔族として生まれ変わるのですね…。


「風属性です」

神官は私の様子を見ながらそう呟きました。

「姫君、風を願ってみてください」

…風を、願う?

「風が吹くように心の中で思ってみよ」

フロード様が静かな声で神官の言葉を補足してくださいました。

「風、ですか…」


すると。

空気が動き、先ほど私から外されフロード様の手にあったベールが、ふわっと浮き上がって舞い始めたのです。

フロード様は面白がって、ベールを手放しました。

ベールは白く輝きながら、神殿の高い天井まで舞い上がりました。


「私、魔法を使っているのですか…?」

「その通りです、姫君…いや、お妃様」

無表情に儀式を取り行っていた神官も、私に微笑みかけました。

「おめでとうございます。ご婚礼の成立です」


フロード様が私の元に駆け寄り、その高い位置まで抱き上げてくださいました。

「リーリン、其方のことが好きだ。共に生きよう」

風を失ったベールは、ふわふわと降りてきて私の頭に戻ってきました。


こんなことになろうとは。

こんなに…幸せになろうとは…。

王宮を捨てられて命を奪われると思いながらここにきた私が、このような気持ちで嫁ぐことができるとは。

故国で恐ろしい魔族の王と呼ばれていたフロード様が、私を好きだとおっしゃるとは…。


「私も、フロード様のことをお慕い申し上げておりますわ。どうぞ、よろしくお願いします」

私は、魔王の妃となりました。

幸せいっぱいの気持ちで、魔王の妃となりました。


次 → https://note.com/runadolls7/n/n54ffb377cbd1

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