太め姫様と魔族の王 (後編)
その6 太めな魔王の妃と国境のいくさ
寝屋で疲れた私は、人の形をしたフロード様の御胸に寄り添ってうとうととしておりました。
温かくて、わずかに獣の匂いのする、安心する御胸です。
幾度か寝屋を共にさせていただきました。
私には…そして、フロード様にとっても初めての体験は、痛かったり気を遣ったりで、正直しんどうございました。
しかし、気を遣ってくださるフロード様の気高いお心を傷つけてしまうことは、妃たる私の意図するところではありません。
「どうすれば其方が気持ちよくいられるのか、俺にはわからぬ…」
そうおっしゃってしょんぼりとなさる魔王様(そう、彼は魔王様なのですわ!)に「夢のような気持ちでおりますわ」と、例えそれが嘘でもお伝えしなくてはならない…。
でも、嘘だと思われるのは本意ではありませんので、どう心を込めてお伝えするか、そして…私はどうしたら気持ちよくいられるのか、色々考えてしまう毎日です。
…寝屋のことなど話すとは、私、はしたのうございますね。
今日は、うっとりと過ごしていた私に、フロード様が頭を掻きながら、言いづらそうにお言葉を紡ぎ出されました。
「リーリン」
「はい」
「俺は、しばらくの間、ここへは来られぬ…其方がいてくれるのに、俺としてもつまらない思いをすることになるのだが、しばらくのことだ、勘弁してくれ」
言葉を選んでいらっしゃいますが、その眉間に険しいものを感じた私は、つい言葉を返してしまいました。
「…どうされましたか?国に何かあったのでしょうか?」
フロード様は、パッと目を見開き、私をご覧になりました。
「わかるか」
「何がわかっているわけではございませんわ。ただ、貴方様のお顔が険しくていらっしゃったから」
「そうか」
苦笑いをなさって、彼の方は一度入れた肩の力を抜かれました。
「人の国との境で戦が起きている」
「いくさ、ですか!」
私が目を大きく見開いたので、フロード様は落ち着けるように背中をそっと抱いてくださいました。
「まあ、焦るな」
優しく私の背中を撫でながら、魔族の王は出来る限り優しいお声をかけてくださいます。
「住民同士の小競り合いだ。国境の優れた森林の伐採を巡って争いが起き、我が民が人の武器によって殺された」
「まあ…」
私はどうしていいのかわからなくなりました。少し前まで我が民だった人の国の民が、フロード様の大事な魔の国の民を…!
「なんと、申し訳のない…」
「其方のせいではない。あの場所ではたびたびこういうことが起きていた」
魔族の王様は、再び眉間に険しさをまとわれました。
「今回は俺があの場所に向かい、双方の話を聞いて仲介をしてみようと思う。しかし、激昂した魔の民に噛み付かれるかもしれぬし、怯えた人間に武器…銃といったか…あれで傷つけられぬとも限らない」
そして目を伏せられます。
「そうなれば、小競り合いは大きな戦になってしまう」
そんなことが、私のいた国と、私のいる国の間で起きていようとは…!
「現地を抑えるのと同時に、俺は其方の父王と話をしなければならない」
「お父様と」
「そうだ」
フロード様はご自身の手のひらを見つめられ、そしてぎゅっと握りしめられました。
「これは、王としての俺の初めての外交となる」
私は…
「私には、何かできますでしょうか?」
私は、政略結婚で魔の国にやってきた者。私とフロード様の婚礼については我が故国にも伝わっていようかとは思いますので、食べられてしまったわけではないとお父様も理解されていることでしょう。
私にも、できることがあるのかもしれません。
「…そうだな…」
フロード様は、私の頬にキスをされました。
「俺にもしものことがあったなら、国王の妃として、この戦を鎮めてもらうことになろう」
そして正面から、裸の私をキュッと抱きしめられました。
「其方を危険に晒すのは、俺としては許せぬ。だがしかし、其方も国王の娘、その役割がどんなものかは存じておろう」
「はい」
そうでなければ、私は命懸けで魔の国に来ることはありませんでしたわ。
「私は、貴方様のためなら、できることは全てさせていただきます」
私はふわりと、フロード様の裸の御胸に頭を寄せ…
「私のことは、貴方様の妃として…貴方様の片割れとして、頼りにしてくださいな」
「頼もしい」
フロード様は、私の頭を優しく柔らかく抱いてくださいました。
それからすぐに、フロード様は戦のある地へ赴かれました。
人間は武器を持っている…下々の者まで、銃を持つことは普通です。そしてそれは、獣から…そう、熊などから身を守るために使われます…。
彼の方は彼の軍隊を連れていらっしゃるそうですが、現地の者どもをおどかしてはならないと、人数は少ないのだとか。
人間とは、弱い者です。
常日頃から、フロード様のお爪を見るに思います。あのお爪で掻かれようものなら、私の肌など簡単に切り裂いておしまいになります。
人は弱く、力を持たず、魔力もありません。それが故に知恵を働かせて参りました。
それが、強度に進められた文明であり、その結果としての武力です。
その力は…魔族の持つ力と、どちらが強いのでしょう?
私は、どうにもそのことが頭から離れずに、嫌な妄想に囚われてしまうのでした。
その7 太めな魔王の妃、働く
嫌な予感というものは当たるものです。
血相を変えたルピが私に、執務棟に来るように伝えにきました。
執務棟は魔王様の執務のための城で、妃たる私が入ることは今までありませんでした。そこに私が赴くということは…
王の代わりを求められている
ということに他なりません…。
私は、持っているドレスの中から、できるだけフォーマルなものを選んで着替え、ルピのあとをついて執務棟に出向きました。
「リーリン王妃様」
ルピとウィーガルが寄り添ってくれて、私は玉座に座ることを促されました。
「王不在の今、この城では王妃様が魔王様の代理でいらっしゃいます」
私は、覚悟を持ってそこに座りました。私の大きなお尻でも小さく感じるほど、玉座は大きく、そして冷たく感じました。
「王妃様に申し上げます」
騎士団長のガラは、狼の顔をしている美丈夫です。その頭部には美しい毛並みが光を照り返していました。
「魔王フロード様、戦のあるカーカナ地方にて負傷され、療養のため戦線を離れていらっしゃいます」
「お怪我をなさったのですか」
「はい。大変申し訳ありません」
ガラは、深く首を垂れました。私は「顔をあげてください」と伝え、ガラを見つめます。ガラは、私が何を言い出すか、待っているようでした。
「ここで私ができることは何ですか?そのために私は呼び出されたのでしょう」
ガラは、ウィーガルの目を見ました。ウィーガルが首を縦に振ると、ガラは少し低い声で私に伝え始めます。
「王妃様におかれましては、人の国に赴き、人の王に現状を話して場を収める話し合いをしていただきたく」
「父王に…ですか」
私を見捨てたお父様…私の話を聞いてくださいますでしょうか?
私は険しい顔をしていたのでしょう、しかし、ガラは話を続けました。
「王妃様はご存知ないことと存じますが、魔族は国境を越えることが許されていません」
ガラは私の目をまっすぐに見つめます。狼の目…僅かに恐怖を感じ、私は背筋を伸ばしました。
「人間も人の国からこちらに来ることは許されていません。王妃様もお輿入れの際、国境で輿を下されたものと存じます。お付きの者共は王妃様について魔の国に入ることができなかったのです」
…そういうことでしたの…私はてっきり、あの時捨てられたものかと…。
「魔の国から人の国に魔族が入る場合、人の国から魔の国に人間を交換で受け入れるのがしきたりです。互いの民を傷つけぬよう、丁重に扱う約束の元に行われている習俗です」
ガラが続きを話し始めました。
「つまり、人質交換…というお話かしら」
「そういうところです、王妃様」
ウィーガルが補足を入れました。
「王妃様、貴方様は婚礼の儀式によって魔族の一員となっております。王妃様は基本的にはもう故郷のお国には帰れない御身でいらっしゃいます」
「つまり」
私は納得して続けました。
「私が人の国に父王を説得しに行くのに、交換で人質を取るということでしょうか」
「言葉を選ばずに申し上げれば、そのようなことです」
ガラが頷きました。
「手筈はもうついております。人の国の方でも国境の騒ぎは把握されており、我が王を傷つけたということもあり、交換でお迎えする方の準備もできているとのこと」
私は、深呼吸をして、ガラに問いました。
「で、私の代わりに誰がこの国に来るというのですか?」
ガラは、少し目を伏せて、そしてまた私の目を見ました。
「王妃様の姉君、王女ジェナス様」
…ああ。
お姉様がいらっしゃるのか。
お姉様は、死地に赴く覚悟をなさっていることでしょう。国として見捨てた妹は魔族に取り込まれ、その妹と交換で魔の国に出向かなくてはならない…。
魔の国では、人は食われるものと思っているのですもの…お姉様、さぞや私に恨まれていると思っていることでしょうし、自分も食われてしまうとお思いでしょう。
おいたわしや。
お姉様は何も悪くありません。
私が太っていて醜く、政略結婚の手駒に向いていなかっただけですわ。「魔物の餌」として差し出されたのが私だったのは…人の国のためであって、お姉様のせいではない。
どうにか説明できないものでしょうか?
あの山の頂上に、私の輿と人の国からの輿が並びました。
山の上は寒く、風が強く吹きつけていて、びゅうびゅうと音を立てています。
私は輿から降りて、国境を越えないように歩みを進めると、空に向かって手をかざしてみました。
(ひょっとしたら、魔法が使えるのではないかしら?)
風に祈ると、音を立てていた空気の塊は静まっていき、頬に辛く当たっていた雪もまっすぐ降りてくるようになりました。
輿から降りたお姉様が、それをギョッとしながら見つめられています。
「お姉様、ご無沙汰をしております」
私は、ドレスを上げて礼を申し上げました。
お姉様は…恐怖に震えて、礼どころの騒ぎではなさそうです。それはそうでしょう。お姉様も、私がここに最初に来た時のように、魔物に食われる気でいらっしゃって…しかも、血を分けた妹が、魔法を使うのを目の当たりにしてしまったのです。
「リーリン…」
ガタガタと震えるお姉様に、私は自分が着ていた毛皮のショールを着せ掛けました。
お姉様は「ひっ」と小さな叫び声を上げられます。
「大丈夫、魔の国の者も毛皮は着ます」
美しいお顔のお姉様は…恐怖でその可憐な口元を歪ませていらっしゃいます。可哀想に…。
「お姉様」
ここではそれほど時間が取れるわけではありません。
私は、できるだけ端的に事実を話さなくてはなりません。
「お姉様、魔族は人を喰らいません。私を見てください、こんなに美味しそうなのに、元気でいるでしょう?」
「貴方は…私のことを憎くお思いでしょう?」
怯え切ったお姉様は、私の差し伸べた手を振り払っておっしゃいました。まるで、手負の獣のように…。
「そうは思っておりません。私を信じていただけるのならば、どうぞ安寧にお過ごしください。必ずや、ご無事に人の国にお帰りいただきます」
それしか申し上げられなかったのは、とても悔しく思いますが、お姉様に私の気持ちは伝わったでしょうか…?
その8 太めな魔王の妃、戦う
私は、お姉さまを乗せてきた輿に乗せられ、山を降りました。
輿を運ぶ者共も、私のことを怖いと思っているに違いありません。先日まで姫と慕っていた私が、目の前で魔法を使ったのですから…。
でも、魔法は誰かを傷つけるためにあるものではない、と、我が夫たる魔王様がおっしゃっていました。
魔法は文明を進めるためのもの。平和的解決を助けるためのもの。
それは肝に銘じておかなくてはなりません。
私が使える魔法は、風と空気に連なる魔法、そしてヤマネコの習性を生かした魔法。
魔法を使うことに関しては初心者なので、フロード様のように自在に姿を変えたりするようなことはできません。ヤマネコになることはできるのですが、それは民に接する時など「人間の姿をとっていることで魔族を怯えさせてしまう時」だけ使えばいいと言われております。
あとは、短距離を走ることと、狭いところを通り抜けること、でしょうか…ネコは、太っていても案外狭いところをすり抜けられるものです。
やがて輿は、懐かしい我が生まれ故郷の王城へと進んでいきました。
色がどぎつくて、装飾がたくさんあって、視界が騒々しい印象です…ここで生まれて育って、ずっとこの光景を見てきたというのに…。
そして、私は応接室へと通されました。
私はこの国の王女ではなく、隣国の来賓です。当たり前のことなのですが、なんとなくよそよそしさを感じます…。
そのよそよそしさは、もっと攻撃的なものであることに、しばらくしてから気づきました。
城の護衛が、私のことを見ているのです…ええ、監視をしているのですわ…その腰には、銃が下がっています。
私が変なことをしたら、撃つつもりなのでしょう。
そんなことをしたら、全面戦争です。
まして、戦地を視察に行った王が撃たれて怪我をなさっている。すでに崖っぷちなはず。だからこそ、得体の知れない魔族との会談を受け入れ、大事なお姉様を人質に出したわけですし。
ここで、私が気を悪くすることは望ましくありません。
私に課せられた使命は、両国が平和的に不可侵であることを認め、小競り合いを国単位の戦争に大きくしないこと。
やがて、私は王との謁見の間に通されました。
先ほど見た護衛は、私の目につきづらいところに控えていますが、ピリピリと様子を伺っています。
これは、魔の国に行ったお姉様より、私の方がよほど危険ですわ…もっとも、銃弾の弾道を曲げてしまうことくらいは、魔法でなんとかなってしまいますけれども。風の魔法、便利です。
「リーリン」
お父様は、憔悴しきったようなお顔をなさっていました。
「久しぶりだな。元気そうに見える」
「おかげさまで、魔の国では歓迎を受けました。夫となった魔王フロード様も私に大変よくしてくださいます」
「なぜお前は喰われずに済んだのか…?」
「魔の国では人間を食べるなんて悪趣味なことは、しないそうですよ」
悪趣味。わざと申し上げました。人間などという、あの国の生態系の中にいない存在は、食べない。もし食べたとしたら悪食というものですわ。
「それでは、過去に死んでいった52人の姫君達のことは、どう説明するのだ」
「姫君達は、戻る家がなかったのです。誤った情報を持たされた姫君達は、怯え、震え、喰われも傷つけられもしないのに、逃げられなかったがために…ことごとく、自害なさったのです」
「誤った情報、とな」
お父様はギロリと私を睨みます。
「お前が魔族の者になったということは、聞いておる。魔法まで使うようになったとも…魔族を助け、我が国を侵略するための方便ではないのか?」
「それは違います」
ああ、そうですよね。私は敵国の者なんです。嘘を吹き込んで、人の国を支配することも、私にはできるんでしょう…。
「それを証拠に」
私は、知る限りの情報を頭の中で組み立てました。私は、魔王フロードの代理。威厳を持って真実を伝えなくてはなりません。
「魔の国は、私が知る限り一度たりとも人の国を侵略しておりません」
これは、私がこの国の王女であった頃から知っておりました。
「しかし、人の国は、3回ほど侵略を試みたことがあります。そのことは、お父様もご存知かと」
お父様は、苦々しい顔をなさいました。お父様のせいではありませんわ。過去にそういうことがあった、それだけのこと。
「そのことから、魔の国と人の国は約束事を交わしました。互いに相手の国を侵略しないこと、互いの国に一歩たりとも踏み入らせないこと、そして、必要があるときには交換人質を用意すること」
私は、お父様の目をまっすぐ見つめました。
「そのために、お姉様は魔の国にいらしたのです。私の代わりの人質ですから、傷つけることも、もちろん食べることもできません。私は魔王の代理です。言ってしまえばお姉様は魔王の人質ですから、丁重にお預かりしております」
「私の言葉は、魔王フロードの言葉とお受け取りくださいませ。ここにいるのは人の国の王女リーリンではありませぬ、魔王フロードです」
そして、すっくと立ち上がると、ハンカチを空に投げ上げました。
そのハンカチに手をかざすと、それはふわふわと空を舞いました。意図通りに飛ぶハンカチを見て、お父様は表情をより固くされました。
ハンカチは…護衛の銃に、ふわりとかかりました。
「私を害する者は、魔の国を害する者と心得てください。すでに魔王様は人の銃で怪我をされています。魔王の力を持ってすれば、人など簡単に殺してしまうこともできますが、我が王はそれをいたしませんでした」
ちょっと芝居がかってしまったかしら…。
「魔の国は、人の国を害しようと思っているわけではありません。互いが平和に、侵し合わずに発展していくことを望んでいます」
私は、お腹に目一杯の力を込めて、声を張り上げました。
「そのことをご理解いただけるのであれば、国境カーカラ地方での諍いをお治めくださいますよう」
そして深々と頭を下げて見せました。
「お力添えをお願い申し上げます」
我ながら、本当に、ちょっとやり過ぎだったのではないかしら…。
お父様も、お父様の側近達も、唖然とした様子で私を見ていました。
「それでは…」
お父様が、声を絞り出すようにおっしゃいました。
「ジェナスが無事であるという確約ができるのならば、カーカラに私が赴き戦を治め、ジェナスを確保させていただくというのはどうだ」
「ええ、私も同行させていただき、フロード様にお引き渡し願います」
そのとき。
私の耳に…風が囁いてきたのです。ええ、「風の噂」というものです…。
「…大変」
私は、危惧していたことが起きつつあることお父様に告げなくてはならなくなりました。
「お父様、魔の国から情報が入りました。お姉様がお食事を召し上がれなく、お水を飲むこともままならないという話です」
そして、私は…多少恨みを込めて、申し上げました。
「私のような食い意地の張った娘なら、恐ろしいと思い込んでいる異国でも食事を摂ることができました。しかし、お姉様は違います。このまま事態が長引けば、お姉様のお命が危なくなることでしょう」
水すらも飲まない、とは。
「どうか、早いご決断の程を。お姉様が53人目の犠牲にならないように、どうか、どうか」
「なぜそのようなことがわかる?使いが来たわけでもないのに。詭弁ではないのか?ジェナスはどう扱われているんだ?」
お父様のおっしゃることもごもっともですわ。
仕方ありません。
私は、自らに魔法をかけました。
私の姿は、大きなヤマネコに変化いたしました。
「…私は、魔の国に嫁ぎ、魔族のものとなりました。魔物ですわ。魔法を使いますので、遠くの情報も耳で聞くことができます」
お父様は…護衛が銃に手をかけたのを、やめろと手で指示を出し、私の様子をじっと見つめられます。
私は、人の姿に戻りました。
「これで信じていただけたでしょうか?」
お父様は、
「リーリン…一度は見捨てた我が娘…お前のその心意気、信じてみることにしよう。こんなに強い娘だったとは」
そう言うと、側近に、
「すぐに支度をしろ、カーカラに向かう。そして魔の国に使者を出せ」
と告げられました。
「それには及びません」
私は深々とお辞儀をしながら申し上げます。
「私が魔法で伝えます。お父様がご出陣なさること、感謝に絶えません。私もお供させていただきます」
その9 太めな魔王の妃、両国をつなぐ
風の魔法とは、なんと便利なものなのでしょう。
音は空気を伝います。空気を司ることができれば、遠く離れた…魔の国の近衛隊長ガラの元へ、簡単にこちらの状況を説明することができました。
魔王たるフロード様は、4つの元素の魔法を自在に操れるとのこと。
火の魔法は鉱物を溶かし、体を温め、浄化をし、食べ物を消化しやすく料理することができます。地の魔法は土を耕し、作物を育て、建物を建てるなどができますし、水の魔法は雨を降らせ民を潤わせます。それ以外にもたくさんのことができるのだと思いますが、不勉強でまだ分かりきってはおりません。
私は、失礼かとは存じながらも、フロード様に直接お話をさせていただきました。
「フロード様、私の声が聞こえますか?」
「リーリンか、無事なようだな?」
「なぜお分かりになるのです?」
「水鏡の魔法で様子は見ていた。よくぞ、役割を果たしてくれた。俺が不甲斐ないばかりに危険な勤めをさせてしまった…」
「なぜ」
私は、どうしても聞かなくてはならないと思っておりました。なぜ、フロード様ともあろう方が…
「なぜ、民の銃弾にお当りになったのですか?四元素全ての魔法をお使いになる貴方様が」
「それはな、リーリン…」
空気を伝って、後悔するような苦しげな声が聞こえてきました。
「俺は、油断したのだ。辺境の村カーカラの農民が、武器を持って俺を狙ってくるとは思ってなかった…その油断が、其方と、其方の姉君を苦しめた。大変申し訳がない」
その声は、絞り出すような、お辛そうな声でした。
「俺の統治が、辺境にまで行き渡っていなかったと感じた。あの地方ではどちらの民も憎しみ合っている。資源を巡って…あそこは良い樹が採れるので…諍いが続いていたのだ。我が民も、人に対して攻撃的に魔法を使っておったわ…俺がもっと目を配っているべきだった」
「それは、人の国とて同じことですわ」
私は、人の国の王女として生まれ、魔の国の魔王の妃となりました。その不思議な流転の境遇は…使われて、然るべきなのです。
「私も、父王に従ってカーカラに向かいます。諍いを治めたなら、私は姉と交換され、貴方様の元に戻ります」
うむ、と魔王様は低く唸りました。
「決して、無理はせぬよう。俺のケガも良くなってきたので、其方と父君が到着したときには共に諍いを治めよう」
お父様と私を乗せた馬車は、多くの軍民を従えながら辺境のカーカラ地方に向かいます。
小さないざこざに、両国の王が出向くのは良策ではないのかもしれません。でも、一箇所で起きていることはどこかで起きていることかもしれません。
「辺境を治める気があるのか」
という、辺境の民の…中央と違って情報もなく、なんならすぐに見捨てられてしまうような土地の…声を聞きに行く、というのが、今回の行動の真の目的なのでしょう。
馬車の中で、私はお父様に真実を語りました。
ええ、見たわけではありませんが…魔の国の短い期間に、人の国では何代も王が代わり、約束は伝承へ、そして伝説に成り下がっていき…魔族がどういう種族であるかを確認することもなくただ恐れていたということを。
「魔の国と人の国は、互いに行き来をやめました。その弊害が、互いの国を知ろうとしない態度になってしまったというわけでございます」
「ふむ…」
お父様は、私の話をじっくりと聞いてくださいました。
「これは、次代国王のシュミルに伝えていかなくてはならないことかもしれぬ。魔王殿が成人したばかりの王であるのなら、若いシュミルとも話ができようか」
「どうぞお願い申し上げます。お兄様が魔の国にいらっしゃるのなら、私が人質となってまいりましょう」
お父様は、ふふ、とお笑いになります。
「そうだな、お前の里帰りも楽しみだ」
「強い娘であったな、お前は」
お父様は深々と頭を下げられました。
「実際はそうでなかったとしても、お前を死地に追いやったこの国に、このようにまた命を賭して交渉に来てくれたこと、感謝する」
「やめてくださいませ、お父様」
まずはひとつ、きちんとお役目を果たせたこと、ほっとして肩の力が抜けました。
あとはカーカラを治めるのみです。
その地は、燃えておりました。
人は爆弾を、魔族の者は火の魔法を…それぞれ、相手を攻撃するために使っていたのです。どちらの村も、炎が立ち上り、焦げ、すえた臭いを放っておりました。
フロード様は、大勢の村人が放つ火の魔法が人の国の村に届くことを、水の魔法で防いでいらっしゃいました。
多くの軍民達も、水の魔法で火を消すことに専念しておりました。
そして、時折来る人の国からの攻撃も、魔の国に届かぬように風の魔法で地に落とし、地の魔法で爆発を吸収しておりました。
「両人民よ、静まれ」
フロード様が威厳ある大熊の姿で声を轟かせると、魔の国の民は流石に手を止めるのですが、人の国の民は余計怯えて銃を構えます。
「殺しあうことを我が国は認めない。このようなことは取り決めによって裁かれるべきものだ」
見上げてなお足りないほどの大きな熊のお姿は…魔王、のお姿でした。
「よし」
お父様が馬車から降りて、軍民に囲まれながら最前線に立たれました。
何も最前線にお立ちにならなくても…フロード様もお父様も…。
「我が国の民よ、そして魔の国の民よ、この地の苦しみを中央が知ることなくいたことを謝罪する」
私も馬車を降りました。軍民が私を気遣いますが、私に護衛は必要ありませんわ。風が…空気が、守ってくれますもの。
両国の人民は、何も言えなくなって静かにそれを聞いていました。
ここは、辺境の、中央の声が届かない見捨てられた土地…そう思われているところに、両国の王があいまみえたのですから。
「魔王殿、初にお目にかかる。我が国の民が貴国の民を傷つけた件、謝罪する。しかも、魔王殿にまで銃を向け、怪我をさせてしまったとのこと」
「人の王…来ていただいて感謝します。我が国の方も貴国に敵意を持って魔法を使ったこと、大変申し訳のないことをしました」
戦いは、双方の村の長を交えて話し合いが行われ、双方の国の軍が駐留しながら取り決めを作っていくことで、大きな戦になることを回避できました。
「お若いな」
お父様は、フロード様に語りかけられました。お若い、と申し上げても、フロード様は350年の長きにわたりこの世にいらっしゃるのですが…。
「若輩者にございます」
「成人なさったばかりと聞く」
「その通りです」
フロード様は、これまで見たことがない…丁重な、敬意を持った、美しい姿でお父様に接していらっしゃいます。
大熊のお姿から、人の体を模したお姿に変化なさって、片膝を立てて綺麗な敬礼をなさいました。
「今後とも、ご指導を賜りたく存じます。また、聡明で美しい姫君を託していただき、感謝に絶えません」
「美しい、か」
お父様は私を一瞥なさいました。
「この娘は、強い。我々の国の基準ではけっして見目麗しいとは言い難いのだが、この娘を美しいと言ってくれるのなら、安心して任せられる」
「お父様!」
魔の国方向から馬車が到着すると、転がるように美しいドレスの姫…お姉様が降りていらっしゃいました。
そこにはルピがしっかりとついています。後ろからウィーガルもついてまいりました。
「無事だったか、ジェナス!」
「この二人が、私に話してくれましたわ」
お姉様はルピ達を見やりました。
「魔の国のこと、魔の民のこと、そして魔王様やリーリンのこと」
お姉様は、まるで桃源郷に遊びに行ってきたところのような笑顔を見せられました。花が咲いたみたいな、美しい笑顔です。
「風光明媚な良い国ですわ。二人にとても気を遣ってもらって、美味しいお水と、食べたことのないようなお食事をいただきました」
「猪の出汁をとったただの野菜粥ですけれどもね」
ルピがその様子を見て微笑みました。
「胃の弱っている時に、魔の国の者がよく食べる粥です」
お姉様は、先日話に聞いたような弱った風には見えません。
「それで食欲を出されて、今日のお昼には野禽のステーキをお召し上がりになりましたわ」
「うちの料理長は腕がいいんです」
ウィーガルも胸を張ります。
「リーリン」
お姉様は馬車に戻り、私に花冠を持ってきてくださいました。
「こんなもの、作ったのは幼子の時以来だけど、今朝お散歩をしていたらお城の周りにいいお花が咲いていたので作ったのよ」
そして、それを私の頭に授けてくださいました。
「あの時あなたが『必ず人の国に帰す』と言ってくれたけれども、すぐには信じられなかったの」
そして私をギュッと抱きしめられました。
「でも、ちゃんとあなたは約束を守ってくれたのね。あなたも元気で、私も元気で」
そして、私の頬にキスをされます。
「あなたは私の大事な妹。どうか、この後も互いの国を守ってください」
そして。
人の国には私のお父様、魔の国にはフロード様が、それぞれ国境を挟んで向かい合い…
魔の国からはジェナスお姉様、人の国からは私が、同時に国境を越えて自分の国へと入りました。
その10 太めな魔王の妃と平和な日常
「あの、ですね?」
ウィーガルはまたフロード様に苦言を呈しています。
「いくら王妃様が素晴らしい方だと言え、このように…我々の前でベタベタとなさるのは、威厳というものが…」
「我々、とは誰だ。お前とルピだけではないか」
「そうですけれども!」
…私もウィーガルと同じ意見ですわ…。
何も、食事の時まで私の手を握っている必要は、ないと思いますの…。
「こんなに好ましい妃がいるのに、他人行儀である必要はなかろう?」
本当に、食事の最中ですのに…魔王様は私の手を離してくださいません。
椅子もこんなに近くに配置する必要はございませんわ。隣にピッタリではないですか。
「お食事の時くらいお食事に専念なさいませ!」
…私もウィーガルと同じ意見ですわ…。
ルピが、私のナプキンを整えてくれながら、魔王様にブチブチと文句を申し上げ始めました。
「リーリン様にはゆっくりとお食事をとっていただかないと、お体に障ります。何しろ」
そして私を見て、愛おしそうに微笑みます。
「リーリン様のお腹にはお子が」
「そうなのか」
フロード様は、ガタリと椅子を引き、私の後ろに立たれました。
「本当なのか」
「ええ…先ほど医師に診てもらいましたの。お腹に宿ったところですって」
がばり。
フロード様は…魔の国を司る王たる君は、後ろから、食事中の私の背中をぎゅーっと抱きしめられました。
「お前のことは愛している。どうか、ずっと共にいてくれ」
「はい。愛しい方」
魔族として生まれ変わった私は、寿命もどうやら伸びたみたいです。きっと、何百年も、私達は一緒に生き、困難を乗り越えていくことでしょう。
この方のところに嫁いでよかった。
正直にそう思います。
「でも、フロード様」
「なんだ」
「スープが冷めますわ。せっかくの美味しいお食事が、もったいのうございます。お席にお掛けくださいませ」
私は、やっぱり食い意地の張った、太って丸い妃なのですわ。
出産に向けて、少しダイエットをしないといけないかしら…。
終
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