[昔のバリアフリーと現在のバリアフリー]

※私が幼少期だった頃の覚えてる限りのバリアフリー環境について書きます、至らぬ点があるかもしれません。

目次
・昔のバリアフリー
・現在のバリアフリー
・まとめ

・昔のバリアフリー

私が生まれた時や幼少期(25年程昔の事)はそもそもバリアフリーと言う言葉があまり存在してませんでした。

青地に白い車いすマークはありました、個別支援級、特別支援級は存在してましたが、それに関して知的障害児の生徒は居ても、身体障害児の他の生徒は私以外当時はいませんでした。
今考えると、障害があっても地域で暮らすと言う考え自体定着していなかったかもしれません。

子供用車いすマーク(バギーマーク)は正直当時欲しかったです、あれがあればベビーカー乗ってるなんて、周囲に思われずに済んだのに、と今でも思います、とても。

バリアフリーとは少しだけ違うかもしれませんが、トイレは和式トイレが当たり前の自体で、それでも私には当時の環境が難しく、当時の小学校の校長先生が身体障害児にどう対応すれば良いか分からず色々専門家の意見も取り入れて対応してくれたおかげで今は色々と過ごしやすいのかもしれません。

・現在のバリアフリー

今は昔より過ごしやすさ、は感じています、昔は障害は隠す、と言うイメージがあり、幼少期の私を隠しながら過ごしてる時期もあったらしいです。

今はネットがありますし、ネットによって恩恵を受けた方も多いと思います、だから私も障害について、発信できるし、他の障害についても知ることができますから。ネットと言うより開発技術の発達やアプリの発達、もしくはそれらが定着したのは、大きな意味を持つと思いますよ。
障害をオープンに(環境にもよるかもしれませんが)言いやすくなってネットが当たり前になってる今、情報交換や情報を集める事も障害によっては集めやすくなったかな?と思っています、昔は本当に発達障害と言う言葉も無かったので、昔はそういった目に見えない障害も、少しだけ理解されやすくなってるそう思いたいです。

・まとめ
・昔はバリアフリーと言う言葉に馴染みがなかった。
・ネットの普及で障害に対する情報交換が可能になった。


今も様々バリアフリー問題ありますが、ヘルプマークや色々な障害に対する呼称など、私達障害者が地域にいるから、障害に対する入口が少しずつ広がっているはずなんです、私が小学校の頃、個別支援機で身体障害児を引き受けた事案がなくても、私が卒業して何年も経って母校は重度の身体障害児の生徒さんを地域に受け入れることができてる、と聞いたことがあります。

昔、障害は隠す物事でしたが、今は周囲の考えも障害を持つ本人や家族も社会に馴染もうと思えるのだと思います、昔はそれをやろうとすれば、無理やりな感じがかなりありましたから。

少しずつで良いから障害に関わる人達が暮らしやすい社会へ。

それでは。

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