【余命10年】を障害当時者が読んで

※途中、読書感想と障害当時者の目線としての比率がおかしくなってますが(熱く語りすぎて)、温かく見守って下さい。


映画化も決まり、話題になっている[余命10年]を読んで、障害当時者の私がどう感じたか、個人的に書いていきます。

私はこの本を読み終えて、著者は現代の樋口一葉だと思いました、享年は違いますし、多々違うところはありますが、難病を抱え(明治時代に結核は難病でした)惜しまれながら、亡くなると言う部分に共通点を感じました。

※ここから先はネタバレを含みます。





主人公の茉莉(まつり)が余命10年を宣告され、どう生きるか、を書いた物語なんですが、リアリティがすごい、これでもか!と言うぐらいリアリティがある。それは著者自身が難病者であるからなんです。


前書きはこれくらいにして、本当にリアリティがありますよ、障害(難病)×恋愛ってどこか作り物めいてるんですけど、社会的に生きにくいと言うのを全面に出してますし、社会の当たり前にあえて否、と言っている物語だと私は思っていて、20代をドラマで決めつけると嫌がる描写がありますし、茉莉が全ての治療を終えて、退院し障害者年金が振り込まれている事を知りますが、何を買えば良いのか迷う描写もあります、お金だけ社会で支援されても当時者の生活費の支援であり、それは社会的な支援ではありません。

居場所を見つけても、見つけた時は開放的に感じる茉莉、けれどこのまま、楽しいだけで良いのか

確実な物が欲しいと明確には物語の中にはありませんが、それを手に入れたかったから著者は[余命10年]を自分の考え、生き様を書いたのかも知れません。


茉莉は居場所を偶然見つけますが、本当の意味で茉莉が欲しているのは、家族でも友人でもない第三者。


居場所って障害当時者にはあまりないんです、しかも茉莉は病気の影響で働けない。


私みたいに福祉施設に通うこともなかったでしょうし著者も恐らくそうだったと思われます、だからこそ著者の描く心理描写が光る、思わずハッとする程、孤立し孤独な描写がありました、だから正直お金は生活に必要だけれど、お金の支援だけでは当時者の本来の支援をもちません、居場所も込みで本来は支援だと思う、と言うよりそうなってほしいです。

私は先天性の障害で、著者は後天性の病気ですが、違いはありますが、私と茉莉には共通しているのが、自分は末っ子で姉は優秀だと言うこと。

茉莉には皆に好かれる姉がいます、妹である茉莉も皆に好かれるけれどもそれは、好かれる自分を演じている、とあります。姉は社会人になって今でも高校の時の知り合いとクリスマス会やその他イベントに行ったりしてるので、その心理描写は自分の中では共感できる部分で、他にも色々共感できるような場面はもちろんありますが、妹だからこその劣等感の描写もあるんです。

物語の最後で茉莉は漫画家になり、出版しましたが、それも1度は失敗し、何度も漫画を書いては送り、と言うシーンも著者の体験だったのでは。

実際[余命10年]は自家出版だったと最近、私もネットで知りました。

何かを書き残したい、と言うセリフもあったので、それも事実でしょう。


冒頭にも書きましたが、当たり前だと世間では言われる、恋愛、結婚、妊娠、就職。それらを一掃するような生きるをピンポイントに書いた今回の物語。

だからこそ共感を呼びここまで話題になり、映画化のはこびになったのでしょう。

・私が[余命10年]を読み返す時

それは仕事が嫌になったり、自分にとって当たり前だと思ってた事が当たり前じゃない、死にたいと少し思う時。[死]をテーマにしているからこそ、生きる希望を見いだせる物語だと思っています。

今回は読書感想でしたが、上手くかけてるか自信がありません。

それでも誰かにとって当たり前が当たり前じゃない事実、障害者年金だけでは本当の意味では暮らせない事。それだけでも伝われば幸いです。

もっと[余命10年]について知りたい方は、検索すると憶測や感想もかなりあります、(最後まさかの投げやり的執筆)それでは。



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