八月の短歌
スーパーに20年以上通っています。料理は好きな方ですが、青唐辛子は買ったことがありません。サルサ・メヒカーナを食べてみたい。
蒸篭って、賃貸の台所では場所を取るけれど、本当によくできるこ。最近はポテサラもいっぺんに作れるって知りました。中でもよく作るのが、半分に切っただけの蒸し玉ねぎ。
神々しい玉ねぎが、「いのちを大切にしよう、生活を大切にしよう」と言っている。言葉にしてしまうととても陳腐だけど、シンプルにそれだけなのだと思う。
今日は一歩も外に出ていない。色んな珈琲店を巡って、色んな味に挑戦してみようと思ったけれど、コーヒーの味なんて覚えなくていい今世、と思った。
「々」と打ちたい時、あなたは何と打っていますか。日々でしょうか、諸々でしょうか。私は「佐々木」と打っていました。
一体、今まで何本の注射を打ってきたのだろう? ゆっくり体を起こしてスリッパを履く。本当に「がんばって」と言ってあげれるのは、自分だけ。ゆっくり復活したらええねん。入院中、コンビニの美味しいコーヒーを飲みに行くことだけが一日の喜びだった。
私の体にとって、役に立たなかった「こうすれば不調はよくなるよ」という本。そりゃそうだ。結局は、自分の中から発熱しないと。ひとりで笑える方法を見つけていかないと。病院には色んな思いを抱えた人たちが、それぞれに立っている。
漢字の音がポロンポロン。
西暦が分からなくなり1、2年、書き間違えることはあったけれど、この間10年単位で書き間違えた。私があと百年生きられたら、百の位で西暦を間違えるかな。
娑婆
朝から顔を合わさないように、二両目に乗る同僚を見た。即座にエレベーターの閉じるボタンを押された。そんな方々に買ってき地元のお土産。誰も手をつけない。勇気を出して「お昼行きませんかー?」と聞いてみたが、スルーされた。嫌われているのかもしれない。たまに挨拶もしない人とかいてびっくりするけれど、自分を閉じて<業務>したって何一ついいことない。
結構いい歳になっても「どうして縄文時代みたいに生きちゃだめなんだ」って思ってた。実は、今でも思っている。毎日が自転車操業で、大丈夫なふりをすることで、大丈夫な人であろうとしてる節あり。
申し込んだつもりは申し込んだことになっていたキャンペーン、何ヶ月間も気付かずに何万円も支払っていたサブスク、簡単にはいかないwifi乗り換え。日常に潜むダークデザインに、我々はもっと怒っていいかも。
ぐらぐらに生きていた時代がある。砂に埋もれた体を起こして、何とか「社会人」をにやっていた。今でもしいたけ占いはチェックしているし、他人の生年月日を一の位になるまで足して、分かったような気になったりする。
整体へ。骨はグニャングヒャンにうねり、筋肉が波になる。たたきごぼうみたいだ。体がゆるむと花粉みたいに言葉が溢れる。宇宙にとっていいことだって思いつく。
日曜日は、掃除して洗濯している間に終わる。夕方早めに風呂に入る。Spotifyによって「お気に入り」を体内に留めておく無意味さを知る。人生とは循環。体内も部屋も、日曜日のうちに巡りをよくしておくこと。
とにかくストレスは溜めないように、生きていきましょう。
フォントはモリサワの「美風」です。
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