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9.病気とお金と、想い

病気になった時、天秤にかけられることが多いのは、治療に対する「お金」だ

父が病院から「もう手立てはありません。あとは死を待つだけですね」と言われた時、家族は何としてでも道がないか探し続けた

免疫療法などは病院まで話を聞きに行って、カウンセリングを受けた。驚いたのは美容皮膚科の中で、免疫療法の施術ができるようになっていることだ。

何病院か回って、資料もたくさん取り寄せた。文庫本のような本を送っていただく病院もあった。でも結局、父は受けなかった。

1回あたり、数百万円単位で動くこの仕組み。高すぎる金額と、本当に治るか分からないハイリスクな賭け。

大富豪で、もう命が助かるならいくらでも払います!という方であれば、すぐにでも受けるのかもしれない。

でも現実は異なる。

そして父はこのように話した。
「ここでお金を使うなら、俺は子供に残したい」と。

もしかしたら、免疫療法を受けることで何か変化はあったのかもしれない。そして、本当は父も受けたかったのかもしれない。全部、仮説の中で感じる、揺れ動く感情である。

ただ、私は振り返って思うことは、
「信じるものは救われる」ということだ。

救われるの意味合いは、病気が治るとかの結果論ではなく「皆で信じた方向へ進めば、精神的に安定して心のざわつきが少なくなり、救われる」という言葉を補足したい。

大事なポイントは「皆」という、自分が所属しているコミュニティの仲間が応援してくれること。それは家族かもしれないし、恋人かもしれないし、友達かもしれない。

病気を一人で戦うにはきつすぎる。
何がきついのかというと、心の、精神の安定性が保てない。
病気を有する人はふとした瞬間に落ち込むことがある。だからこそ、信頼できる人が寄り添い、一緒に前を向く体制を整えていかなくてはならない。

免疫療法がいいのか悪いのかは分からない。
抗がん剤が良くない、という人もいる。意見はたくさんある。どれも否定できないし、肯定もできない。何がその人に合うのかは分からない。

でも、1つだけ確実に言えることは、
自分が納得感を持って決断し、かつ周りが応援してくれる道であれば、自信を持って歩みを進めていくことができる、ということだ。

病気の人だけではなく、私にも当てはまる、学びになった考え方である。
何かに迷って、何かを手放したり、選ばなくてはいけない時、まず大事なのは自分が決めること。自分以外の誰かの意見を聞くのはOK。でも、決断は自分ですべき

後から誰かのせいや、環境のせいにできないためにも、自分で責任を持って決めるべきだ。そうして、その後、周りの人と議論しながら進めていき、同じ方向をみるために擦り合わせることが、一番後悔の少ない方法だと考える。

答えが出るのは時間がかかるかもしれない。
でも、自分で決めなかったという後悔は一生残り続けて、たとえ良い結果や答えが舞い込んできたとしても、純粋な気持ちで喜べないこともある。

私は、どんな選択をしたとしても、
自分が失敗だと思わない限り、
挑戦し続ける限り、は間違ったことではないと考えている。

それは自分で選ぶことに誇りを持って、強さを持って、常に挑んでいるからだ。

父はある意味、病気を通して、選択することの難しさと、選択することへの責任と、そして自分で選択する素晴らしさを伝えてくれたのだと感じている。

もちろん、父から相談を受けることもあった。
抗がん剤の治療をするかどうかも、体力の衰えを感じた父は悩んでいた。

その時、私が大切にしていたのは、自分の意見も述べた上で、父がどのような表情をして、何を考えているのか見守ることだった。選択する中身にこだわるのではなく、父が何を求めているのか向き合うことに努力した。

病気はやはり人を弱くさせてしまう。
それはそうだ。体の中で細胞が戦っているんだから、強くあり続けるのは難しい。

でも、その中でも、本人が大切にしたい想いや考えは確実にある。
その、想いを見つけて、語りかけることが家族にできることなのかもしれない。
寄り添うというよりは、向き合うというのが正しい言葉である気がしている。

人生は本当に選択の連続だ。
選択したことがゴールなのではなく、そこからどうアクションするのかが大事だと学んだ。

だからこそ、自分が大切にしたい価値観や指針を忘れることなく、自分にも向き合い続けながら前に進みたい。

私の中で生きる父は、きっとそうやって生き続けるだろうから。


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