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la la la 36. 「運」を擬人化する(By ラム子)

こんにちは。今回のワールドカップの日本の試合は、ミラクルゴールもたくさんあったけれど、一番心に響いたのは本田選手のゴールでした。感動した人も多かったと思うし「本田やっぱり持ってる」的なTweetも溢れましたね。わたしは結構サッカー好きなので、先日SUPER SOCCERというTBSの番組を見ていました。
サッカー好きのための番組なので、一般の人が「ラッキー」であるとか「流れの中で偶然生まれた」ように見えるプレイがどれだけ練られて、その瞬間が生まれるための下準備をしていたのかなどが特集されていました。いわゆる昔にブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」も、選手たちはちゃんと狙いすましていて、全く奇跡と思っていない、というような類の話です。そんな中で本田選手のGOALに関することだけは「本田には戦略では語れない何かがある」という、けっこうスピリチャルな語られ方をしていて、そこで本田選手と「運」についての特集がされていました。

その中でわたしが印象的だなって思ったのは、
「”運”て、おるんだと思うんですよ」という本田選手の言葉でした。
おる=居る、のことね。
本田選手の映像は18歳くらいの時のものから使われていて、彼はスーパーゴールを決めると空を指差し「神様に感謝している」とのことでした。
このポーズが実は、セネガル戦の時も捉えられていました。(舌をぺろっと出したのが愛らしく印象的でしたけどね。笑)18歳のインタビュー、23歳のインタビュー、それらが流されていて、一貫して彼が言っていたのは「運というやつはおる」「運がピッチに転がっている」でも「運は向こうからは転がってこない」「こっちから捉えにいかなあかんから、その瞬間を捉えるために、日々万全な準備をしていないといけない」

すごくわかるなあと思ったのですが、特にこれは「東の魔女の暮らし」で上手に伝えられそうだぞ!と思ったのが、本田選手が「運」をある「存在」として、擬人化して捉えていたことでした。

わたしとしてはこの「捉え方」は、ラララ世界においてもっとも重要なことだと考えています。なぜか。
今から順番に話すのですが、まずは、擬人化しておいた方がそれを見つけやすいからです。

運がいいとか、運が悪い、とか、運を引き寄せるとか「運」て言葉は多様されている割に実体がなくつかみどころがないですよね。
皆さんは運の形ってどんな感じをイメージしますか? え? 形?
形なんてあるの? なんかもやあとした漠然としたイメージしかない。
こういう感じが普通であって、なんとなく目に見えないものだから、
”気体” のような雰囲気として扱ってませんか?
そうするとすごく捉えにくいですよね。そうすると多分、同じ場所に「運」というものが転がっていた場合、本田選手のように何かボール状の塊(のような言い方に聞こえた)として捉えている人の方がより「ここにおる!」というのを感じて「運」を捕まえやすいとわたしは思います。
わたしは「星が降る」という感じをイメージしています。いろんなことがマッチした時にそこにパッと光が降りるような感じ。

次に、よく「運」に好かれる人、とか「お金に好かれる」とか「勝利の女神に好かれる人」とかそういう言葉がありますよね。とにかくわたしはラララ法則にしたがって生きていますので逆説的行為としてはお伝えできないので、今の地点から今に向かってお伝えしますが、
神様とか、運とか、お金とか、物とか、そういう存在全てを「人間じゃない」という風に接している人が多くてそれは間違った接し方だとわたしは考えている、ということです。「人間じゃない」つまり「感情や意思を持たない」という風に。

特に神様なんかは崇高すぎて「なんでもできるスーパーハイパーな存在」ということから「願い事のゴミだめ」みたいになっていますね。
神社にお参りにする時のことは大事すぎることなのでまた改めて書きますが、神様は「なんでも屋」ではないし、人間の「使いっ走り」ではありません。逆に神は理不尽であり、神は荒ぶる特性も持っています。恐ろしい存在でもあるのです。だからそこに神社を作り「お鎮まりください」「毎日お祈りしますから」と、そういうことなのです。その内に毎日お参りに来ていると少しずつ場所に打ち解けて来て「お鎮まりください、そしてお見守りください」となり、ひいては「お鎮まりください、そしてお見守りください、まもなく新しい家族が生まれます」みたいなことになって、結果、今はその最後の部分だけを神社で投げ捨てている人が多いと思うのですよね。

毎日「おはようございます」と声をかけてくれる人が「もうじき子供が生まれるんです、無事に生まれるように祈ってやってください」と言われたら「そうなんだ!無事に生まれるといいね!」となるけれど、知らない人がいきなりやってきて「祈ってやってください」って言ってきたら、あなた誰?ってなりませんか。ずうずうしいなと思いませんか?笑

だから例えばあなたの会社の、すっごいオーラあって近寄りがたい上の存在の人に接する時、じぶんがどうしているかを考えたら、神社に行って、
「恋人が欲しいです」チャリーン♪ 「お金持ちになりたいです」チャリーン♪・・・みたいな、要望だけを伝えることはできないと思うし、
もし逆の立場であなたが「神」だったら、あなたはどんな人間の応援をしてあげたくなるでしょうか。わたしが知る限り、仏様はどんな人にも平等で優しいけれど、神は怖いです。好き嫌い、あります。怒らせたら怖いです。
気安い態度は禁物。笑。

もし逆の立場だったなら。
人としてそう考えることが、大きな分かれ道だと思います。
運に好かれる人と好かれない人の。
もし自分が「運」だったら、どういう人にチャンスをあげたいか。
もし自分が「お金」だったら、どういう人の元で過ごしたいか。
結構シンプルです。

悪いたとえで申し訳ないのですが、今の朝ドラのヒロインは「運」も「お金」も見放したくなるヒロインです。(女優さんは素晴らしいです、脚本が本当に今酷い)かつてないタイプの朝ドラヒロインだと思うのですが、
彼女は何1つとして自分自身で向き合い、自身でけりをつけようとしません。いやなことがあると自分の聞こえない左耳のせいにしたり、年齢のせいにしたり、誰かのせいにしたりします。そして自分のために心も時間も割いてくれている周りをその瞬間の感情的な発言でものすごく傷つけます。
けれど今のところ「運」はあって、次々と新しく彼女を支えてくれる登場人物が現れます。でもとても残念だと思うのは、彼女がその「運」の存在に気づいていないことです。だからそのスペシャルな出来事に全く「感謝」ができていません。そうしたら「運」はどうなるか? 通常だと「運」もバカバカしい気分になって離れていくのです。俗に言う「運に見放された」というのは「見放された」んじゃなくて「”運”を失望させるようなことをした」ということです。

これまで朝ドラのヒロインというのは「運」とか「勝利の女神」や「お金」が味方したくなるような人たちでした。だってそもそも見ている人間がみんなその子のことを応援したい気持ちになりました。
応援したくなる。
これはとても重要なことです。
その段階で”気”をもらえるからです。
今、わたしは朝ドラのヒロインを応援したい気持ちに1ミリもなれません。
でもヒロインを演じている永野芽郁さんの仕事の仕方と芝居は素晴らしくて頭が下がります。自身の中で整合性がとれないであろうセリフや言いたくない言葉も、彼女はじぶんの中で咀嚼して精一杯、身勝手なヒロインを愛しく演じています。だから彼女のことはすごく応援しています。パッとしないドラマのヒロインを演じてもそこから運気が下がる人と上がる人がいるのは、きっとそこいらの「取り組み方」が関係しているとわたしは思います。

今の朝ドラを好きで見ている人がいたらごめんなさい。
あの脚本家さんはかつてわたしがもっとも敬愛する脚本家でした。
けれどいつからかああいった流れの作品が多くなり、わたしも少し悲しい気持ちでいます。書いている人の心が健康でないと感じます。残念です。

運やお金を擬人化する。そしてその擬人化した存在にとって魅力的な、応援したい人間になる。人間である。これこそ本物の「クラウドファンディング」だとわたしは考えます。笑。肉体を持っていることが大切です。
そしてその肉体が躍動していること。
彼ら(彼女たち)は肉体を持っていません。
肉体があったらこうしたいな、とか、肉体への何かしらのリスペクトがあると思います。上の存在だからリスペクトというと少しおこがましいですが。

今この世界に「肉体」を持って生まれたわたしたちが、どのような日々を送ると、彼ら(彼女たち)にとって魅力的であり投資したくなる存在なのか。
やはり「行動」は大切なのかなと思います。
行動って肉体がないとできないことだから。
あとはその「存在」たちとの相性でしょうね。
大きな賭けに出る動きを応援したくなる「存在」ささやかなことだけど日々積み重ねている健気さを応援したくなる「存在」、神や運やお金も、個性がありますから、そこはあなたとの相性だと思います。

以前近所の神社の急な階段を、目の見えない人が白い杖をついて登っていました。手前の社殿で「大丈夫でしょうか心配です」とお祈りしたら(だったらお前が助けてやれ)というような流れになり、一緒に社務所に行き、帰りは階段を避け裏門から坂道を一緒にくだりました。
彼女はじぶんのことではなく、親しい友人が目の手術をするのにはるばる遠方から、お守りをもらいにきたのです。近所の神社は、知らなかったけど目の病では有名な神社でした。すごい尊いことだなと思いました。そういう時神は、ちゃんとその時間に暇をしていて、そして結構お人よしの、わたしみたいな人間を、なんとなくその場に呼び寄せています。
運とはそういうことのような気がします。


それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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