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団地の変遷を体験!「URまちとくらしのミュージアム」の魅力とは?

突然ですがあなたは間取り図がお好きですか?
私は間取り図が大好きです。
間取り図を見ながらどんな家なのかなぁ…
などと想像するのが楽しい。間取り図の本まで買っちゃうほどです。
たまに、ものすごくおかしな間取り図の家があったりして…
一体全体なんでこんなことになっているんだろう?とワクワクします。
家の形は人の暮らしを映し出すもの。
時代とともに変わってきた暮らしを実感できる場所があります。
それが東京都北区赤羽に2023年9月にオープンした「URまちとくらしのミュージアム」。
イベントで見学会をやっていたので参加してみました。





(通常、見学はオンラインによる予約制(無料)です

https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/museumguide/ )

この「URまちとくらしのミュージアム」は赤羽台団地の建て替えによって整備された「ヌーヴェル赤羽台」の一角に2023年9月にできた、情報発信施設。集合住宅の歴史とまちづくりの変遷を紹介しています。

上の写真の奥に写っている建物は、「スターハウス」。
パンフレットによると旧赤羽台団地の44号棟とのこと。
JR赤羽駅から歩くこと8分。
ここでは41、42、43、44号棟の4棟85戸が登録有形文化財として保存されています。

このスターハウスは、団地が好きな人の間では知る人ぞ知る建物。雑誌などでもたびたび紹介されています。
このスターハウスの建物内部も見学できるようになっていました。


さて、見学のコースですが、まずは冒頭の施設「ミュージアム棟」に入館しました。
このミュージアム棟の1階のスペースでオリエンテーションを受けた後に最初に案内されたのは「URシアター」です。

ここでは日本の集合住宅の始まりから現在までUR都市機構(旧住宅公団)が取り組んできたまちづくりについての映像を見ることができます。
約7分の映像なのですが、これが大迫力!天井以外真っ白な正面、左右、そして床の4面に映し出されるプロジェクションマッピングが見応えあり!鳥になったような視点で長崎の軍艦島や、戦後の集合住宅、ニュータウンなどを見られる機会は滅多にないと思います。(ただ、乗り物に酔いやすい方は間違いなくぐらっとする迫力です。ご注意ください。)

このURシアターで学んで、まちづくりの工夫やそれぞれの時代の団地の変遷の歴史の中に入り込んだような気分になっていざ、エレベータで4階へ。
上の階には当時の集合住宅の住戸が復元展示されています。
間取り図をみたら、その中に入っていける!これは楽しい!!



スタートの4階にある復元住戸は同潤会代官山アパート。

1923年に発生した関東大震災後の住宅復興のために設立された財団法人同潤会。同潤会が建設したわが国初期の本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅の中で、代官山アパートの単身住戸・世帯住戸を復元展示します。

URまちとくらしのミュージアムHP

HPによると、同潤会アパート(どうじゅんかいアパート)は、財団法人同潤会が大正時代末期から昭和時代初期にかけて東京・横浜の各地に建設した鉄筋コンクリート造(RC造)集合住宅だそうです。
そんなにあちこちにあったことを初めて知りました。というか、青山のところにあったやつしか知らなかったです。(今表参道ヒルズになっています。同潤会代官山アパートは現在は渋谷区の「代官山アドレス」に…)

関東大震災の復興支援のために設立された同潤会。1923年(大正12年)に発生した関東大震災では木造家屋が密集した市街地が大きな被害を受けました。耐震・耐火の鉄筋コンクリート構造のアパートメントの建設が主要事業の1つです。ということで、この同潤会代官山アパートは近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅なのだそうです。
そんなにあちこちにあったのか、と思い調べてみたら、同潤会は1924年(大正13年)から1933年(昭和8年)の間に、東京13か所2225戸、横浜2か所276戸のアパートメントと、コンクリート造の共同住宅1か所140戸を建設したとのこと。震災後のまちづくりをしようという使命感のようなものも感じられました。
そしていざ、復元住戸の中に入って見学すると、住む人のことを色々考えて作られていることがわかります。当時では最新の憧れの住まいだったのかな…

そしてお次は蓮根団地。


蓮根団地は、日本住宅公団初期の代名詞となった2DK(ダイニングキッチンと2つの寝室を持つ間取り)の代表的な住宅です。ダイニングでイス座での食事をする生活を促すため、予めテーブルが備え付けられました。

URまちとくらしのミュージアムHP

集合住宅に「ダイニング」という概念が登場。

住まいに、椅子とテーブルが登場し、そこでご飯を食べるライフスタイルに変化していったのが分かります。同潤会はちゃぶ台だったのが、こちらは机と椅子でご飯を食べる。
「食べる」場所と「寝る」場所が分かれた間取り。
やっぱり、当時の憧れの住戸だったのだと思います。


お次は「晴海高層アパート」
1958年、ル・コルビジェに師事した当時を代表する建築家、前川國男が設計した公団初期の高層集合住宅です。公団初の10階建。ここはエレベーターは1・3・6・9階にのみ停まり、その他の階には階段でアクセスするスキップ方式でした。それがこのように再現されています。

館内のフロアを上下で見せる方式。

室内に入ってみると、窓や欄間が障子の正方形の桟に合わせてデザインされていました。


こちらは多摩平団地テラスハウス

長屋形式の専用庭で遊べる低層集合住宅でした。
それがこのように復元されています。


他にも、住宅のドアノブ、表札などのパーツの展示コーナー、トイレやお風呂などなど、「昔はこんなだったよね」と懐かしく思い出されるものがあり、見ていてとても興味深いものがありました。

さて、この日はスターハウスの中を見学することもできました。
(通常時は内部は公開されていません)

44号棟(スターハウス)の構造はY字型の建物の中央に螺旋階段があり、住戸は放射状に配置されています。お隣と接しておらず、3方向が外気に接しているため、居住環境が優れています。中の間取りは6畳・4.5畳・3畳+台所・バス・トイレ・バルコニーでした。いまのようにエレベーターはないので5階建の5階まで歩いてあがります。

螺旋階段好きとしてはとても楽しい建物です。
階段の踊り場から建物前の広場の緑が目に入って心地良いです。
以前は敷地の取り分がこのようにゆったり贅沢に使われていたのが分かります。



こちらは、旧41号棟(板状階段室型)
全ての住戸に採光・通風が最大限に得られるように南面、南側にバルコニーが設けられています。
前の芝生はワークショップひろば。
白い椅子のようなオブジェは、旧東鳩ヶ谷団地で親しまれていた彫刻家・流正之氏のファニチャーだそうです。
そして41号棟自身は「ラボ41」となっています。
この日は内部も見学できました。4畳半二間と6畳と台所・バス・トイレの当時の典型的な住戸。
(スターハウスとラボ41は常時一般公開はしていません)


各棟の見学を終えて出てきたら、足元にこのようなマークがついていました。さっそくQRコードを読み込むと…

XR CityというNTTコミュニケーションズのスマホアプリが立ち上がり、URまちとくらしのミュージアムを巡ってARスタンプラリーをして遊ぶことができるようになっていました。
(NTTコミュニケーションズとUR都市機構が行なっている共同研究の一環だそうです)

ARナビで赤羽駅からURまちとくらしのミュージアムまでの道のりのナビも入っているようですので、初めて訪れる方は先にダウンロードしておいてこれを利用するのも良いかもしれません。

間取り図を見て、その中に入っていける楽しさと歴史の中にそのまま入っていけるような感覚を両方味わえる「URまちとくらしのミュージアム」。
団地はどの時代にも、みんなの憧れの住居であり、「幸せのかたち」だったのかなと思うとエモい施設でもあるなと思います。
みんなの住宅を、ひいてはまちづくり、都市をつくるという事業は人々の暮らしのデザインであり、時代を形作る壮大なプロジェクトだなと感じました。
それぞれの時代に思いを馳せながら、復元住戸の見学をしてみるのはいかがでしょうか?








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