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居酒屋「よりみち」商売繁盛記〜失敗から始まる新たな人生〜2/5



ナオトはメニューを考えながら、今日は少し頭を抱えた。
「何かもう一品、加えておきたいなぁ。」
アイデアが思い浮かばないようだった。
ハルカは思わずつぶやいた。
「あのう、参考になるか分からないですけど、僕があちらでアルバイトしていた居酒屋では、『悪魔の半熟煮卵』っていうのが人気でしたよ」
シンヤが驚く。
「魔族の料理が人気だったのか?」
これには、逆にハルカが驚いた。
「もしかしてここには本物の悪魔もいるんですか?オニだけじゃなく?」
「いや、この界隈では滅多に魔族にはお目にかからないが…それよりその悪魔の半熟煮卵ってのはどういうやつだ?」
ナオトは興味をひかれたようだった。
「悪魔のっていうのは、あちらの世界では、悪魔的に美味しいっていう意味です。すごく美味しいけどカロリーが高い料理に『悪魔の』、とか『禁断の』という名前をつけるのがあちらでは流行っていたというか…。ええと、悪魔の半熟煮卵は、僕も作れるのでやってみましょうか?ニンニク醤油とニラのタレを作って漬け込むだけだから簡単です。」
そうしてハルカが試しに作ってみせた「悪魔の半熟煮卵」のタレの味見をしてみて、ナオトは目を輝かせた。

「うまそうだ!」
「これに半熟卵の殻を剥いて一晩漬け込むだけです。ラーメンにのせても、白飯にも合います。」

「おお。余ったらこのタレに肉を漬け込んで焼いてもいいな。ハルカちょっと付き合え」
ナオトが立ち上がった。
「どうした、ナオト?」
シンヤが聞いた。
「ちょと、卵を買ってくる。今の在庫じゃ足りない。」

ハルカはナオトに従って市場へ買い出しに出かけた。
この世界はハルカにとっては前の世界のローカルな田舎のような街並みだが、時折不思議なことがある。壁の絵が動いたり、通行人にネコミミや尻尾がついている人がいる。
ゲームの世界に入ったようだ…とハルカは思った。
火事があったようで、煉瓦造りの家の窓枠のところが黒く煤けていた。
「火事だな…最近多いみたいだ。ウチも火を扱っているから気をつけないとな」
まだ、オニがどこかに潜んでいるのではないかと物陰に視線を走らせるハルカにナオトは笑って言った。
「あいつらは、昼間は出歩けないよ。それと店長の店には悪いモノは入れない。親父さんの時代からの結界が張ってあるんだそうだ」
そして続けた。
「『悪魔卵』はお客さんも喜びそうだからたくさん作ってまずは突き出しにして反応を見ようと思う。今日のハルカの仕事はゆで卵の殻むきになるぞ。」
「ハイっ」
ハルカは煮卵をナオトが気に入ってくれたのが嬉しかった。そして、自分の働きぶりをきちんと見ていてくれるシンヤも。あの居酒屋はハルカにとって居心地がよかった。
元の世界ではやりたいことが見つからず、卒業後の進路について悩み、そんな状態だから就職活動でも失敗ばかりで自信もやる気も無くしていた。熱意を持って自己PRをして希望の職種の内定を手にしていく級友たちが眩しく、羨ましかった。自分だけが取り残されたような気持ちでだんだん内向きになっていくのを止められなかった。そして、とうとうそんなどうしようもない自分に舞子が愛想をつかしたのだ。

道端に、黒猫がいてナオトを見ると、「ニャァ」と鳴いた。
「お、テツか!さくらさんは元気か?」
ナオトが猫に声をかける。ナオトは動物好きだった。動物の方でもナオトの気持ちが分かるのか、ナオトは界隈のネコに懐かれていた。
テツは、シンヤたちの店からさらに5分ほど先へ歩いた住宅地の飼い猫だ。古い一軒家に一人で住んでいるさくらお婆ちゃんが可愛がっている。さくらさんはもう一匹、白猫の「ハク」を飼っている。ハクの方はもっぱらさくらさんのそばにいることを好む。いつもさくらさんの膝の上にいることが多いため、外では滅多に姿を見かけない。一方黒猫のテツの方はこの辺りを自分の縄張りとしてよく見回りに歩いていた。
テツがチラリとハルカを見た。そいつは何者だ?という視線だった。
「こんにちは」
ナオトが声をかけたので、ハルカも猫に挨拶してみた。
テツはハルカを見て目が合うと、フイッと視線をそらし、そのまま行ってしまった。
「ハルカはテツに気に入られたみたいだな…」
ナオトが言った。
「そうでしょうか?スルーされたような気がしますが…」
「アイツはこの辺りの猫のボスだ。あの通り体もデカいし、喧嘩も強い。気は優しいいい奴なんだけどな」

……それは、ナオトさんのことではないですか?
ナオトのテツに対するコメントを聞いて、ハルカは心の中でそう呟いた。ナオトには周囲にいるものを安心させる不思議な雰囲気がある。あちらの世界では、自分になんの価値もないように感じられて自分のことがすっかり嫌になってしまっていたハルカが元気を取り戻したのはナオトのおかげだ。この世界では分からないことだらけで自分の生活もおぼつかないし、この先どうなるかも分からないのに、ナオトのそばにいるとなんとなく居心地良く感じるのだ。ナオトが認めてくれたという一つのことだけで心の奥に小さな灯が灯ったようだ。ナオトに懐く猫たちの気持ちが分かるような気がした。

「ところで、ハルカは困っていることはないか?」
ナオトが唐突に聞いた。
シンヤの手前、店内では聞きにくかったのかもしれない。
「あっちとこっちでは金も違うし、いろいろなルールも違う。まぁ、金は店長に言えば前借りさせてくれるだろう。ハルカは店の即戦力になりそうだし、きちんと真面目に働きそうだからな。」
さりげなくハルカが嬉しくなるようなことを言う。
「ありがとうございます。まだ分からないことだらけですが、皆さんのおかげでなんとか生きていけそうなので、あとは少しずつやっていけばいいかなと思っています。」
ナオトの目が優しくなった。
「…あちらに帰りたいか」
「帰る方法があるんですか?」
ナオトは首を振った。
「いや、残念ながらなさそうだ。そんな方法があるとは聞いたことがない。それに…」
「それに?」
「言いにくいんだが、こっちに呼ばれるヤツは、あちらの世界にもういたくないって思うような事があったヤツだと言われている。だからとても強い陰の気を帯びているからオニに目をつけられる。」
「えっ?」
「オニは陰の気が好物なんだ」
「じゃぁ僕が陰の気でいっぱいだったから狙われた…ってことですか?あいつら、僕に「アレを渡せ」って言ってたけど、アレって陰の気ってこと?」
ナオトはまた首を振った。
「オニはアレを渡せって言ったのか?それは陰の気の事じゃないな。」
そして続けた。
「確かに「気」を渡すというか意図的に送ることはできる。でもオニは陰の気だったらわざわざ渡せと言わない。勝手に食っちまう。ヤツらにとっては襲われた被害者の恐怖も美味いらしいからな」
ハルカはオニが言っていたことが分からなかった。
「「アレ」ってなんだろう。あの時はてっきり拾ったスマホの事だと思っていたんですけど」
「そのスマホはどうした?」
「それが、殴られたはずみで落としちゃったみたいなんです」
「そうか」
そして、あの日シンヤの店へ飛び込んだ経緯について話した。

「僕、あちらで就職活動に失敗して毎日グジグジしていたんです。そしたらとうとうカノジョにも振られて…。あの夜、舞子を見かけた気がして追いかけたら、その人がスマホを落としたんです。舞子じゃなかった。…ホント、未練がましいダメな奴ですよね。」
相手がナオトでなかったら口に出せていなかったかもしれない。ここのところつかえていた塊が胸からするんと出た気がした。
「だから、確かに僕は陰の気でいっぱいだったんだと思います。それでオニを呼び寄せちゃったならそうだと思います。」
ナオトは、ヘンになぐさめたりせず、あえて何も言わずに黙って聞いていた。
そのほうがむしろハルカにとって気が楽だというのがわかっているかのように。

ハルカは気を取り直したようだった。
「でも今は、知らない世界に来て、店長やナオトさんに拾ってもらって、なんだか気持ちのスイッチが切り替わったというか、分からない事だらけすぎて余計なことを考える暇もなくなったというか。」
ナオトは、ハルカがニコリと笑ったのを見て安心した。
そして一言だけ言った。
「そうか」
ハルカは気持ちが軽くなった一方、ふと気づいてナオトもあちらの世界にいたくないと思うようなことがあったのだろうかとぼんやりと思った。


#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

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