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居酒屋「よりみち」商売繁盛記〜失敗から始まる新たな人生〜3/5



3 盗難届

ナオトとハルカが卵を買って店に戻ると、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。常連のケンタが店に忘れものをしたと言って探しに来ていた。
「大切なものなんだ」
ケンタが忘れたと言ったものは小さな猫用の首輪だった。
「お客さんから預かったものなんだ」
ケンタは明らかに動揺していた。
「行方不明になった猫を探して欲しいと頼まれて、その猫の首輪を預かったんだけど…。」
ケンタの職業は探偵である。しかし依頼の大半はこのような探し物や身辺調査で、探偵というよりむしろ「なんでも屋」に近かった。
前日にシンヤの店へ立ち寄ったケンタはもう一度依頼主から預かった首輪を観察してみようとして眺めていたのだと言う。
「それで家へ帰ったらカバンの中に入っていなかったんだ」
「どこかで落としたのではないんですか?」
シンヤが聞いた。
「そう言われると自信がないんだけど…。」
ケンタが情けなさそうに言った。
「でも家に帰るまでカバンは開けなかった。だから中に入れたなら落とすはずがないんだ。最後に首輪を見た記憶があるのがここ。それでここに忘れていったんじゃないかと思って。」
「いや、昨日は忘れ物はなかったですよ」
出勤してきたフロア担当のマリが聞いた。
「その首輪はどんな色と特徴なんですか?」
明るくて愛想の良いマリをケンタが憎からず思っていることは周知の事実だった。
ケンタが毎日のようにこの店にやってくるのはマリがいるからだ。
「赤い首輪で、真ん中に金色の鈴と赤い石がついていました」
「そんな可愛らしい首輪、閉店する時には見当たらなかったですよ」
マリは言った。
「やっぱり、ダメか」
肩を落とすケンタにマリが助け舟を出した。
「もし、どこかから見つかったらケンタさんに連絡しますから。それで探しているネコちゃんはどんな特徴があるんですか?要はネコちゃんを探せればいいんですよね」
ケンタは答えた。
「生まれて3ヶ月の白い子猫。名前はミィちゃん。特徴はオッドアイ」
「写真はないんですか?」
「あ、あるある」
ケンタがマリに子猫の写真を見せる。
「わー可愛い!」

シンヤが割って入った。
「写真があるなら、依頼主さんはなぜ首輪を預けたんです?首輪が何かその子猫探しの手掛かりになるんですか?」
「いや、依頼主さんからミイちゃんを見つけたらすぐに首輪をつけて欲しいと頼まれたんです」
「首輪をつけるのなんか、家に戻ってからじゃダメなんですか?」
「なんだか、お守りだからって言ってました」
ナオトも言った。
「お守り?じゃぁいなくなった時はなんで首輪を外していたのかな?」
「…?」
シンヤが不審そうに言った。
「お守りの首輪をすぐにつけなければならないっていう意味がわからないな…」
「とりあえず、これからミイちゃんのお気に入りのフードを持って探してみます。」
店には首輪がなさそうなことが分かって、ケンタは仕方なく帰っていった。

翌日、悪魔卵の出来栄えにナオトはご機嫌だった。
「上出来だ!これならお客さんが喜びそうだ」
ハルカもお客さんの反応が楽しみだった。ハルカは昨日、大量の熱い半熟卵を壊さないように丁寧に、綺麗に殻をむくのを頑張ったのだ。
そこへ警察がやってきた。九十九と名乗る中年の刑事と後藤と名乗る若い刑事だった。
まだマリが出勤前だったので、ドアを開けて応対に出たハルカを胡乱そうに見て後藤が言った。
「猫の首輪の盗難届が出されています。こちらに忘れた…という話なのですがお心当たりはありませんか」
被せるようにハルカに質問する。
「最近新しい人がこちらのお店に入ったようだと聞いてきましたが…お兄さんですか?お名前は?」
後藤がジロジロとハルカを見る。まるでハルカが何かを隠しているのではないかと疑っているようだ。
異世界からきた自分に何かあるのだろうか?気おされてハルカが少し後退る。
シンヤが奥から顔を出した。
「確かに常連のお客さんが昨日見えましたよ、忘れ物はなかったかって」
言葉遣いは丁寧だが、こんな場所で居酒屋をやってきた店長だけあって余裕がある。
「すみませんね。決まりなんで、仕事がら関係のありそうなところには全てお話を聞かせてもらっているんです。」
いつもそんなふうに言っているのだろう、九十九刑事は柔らかい物腰だったが何を考えているのか全く読めなかった。
「猫探しを依頼されて預かった首輪を無くしちまったって言ってましたけどね、ウチにはなかったのでお帰りになりましたよ」
「そのお客さんはどの辺りに座っていましたか?」
「ええと、そこのカウンターのところだけど」
九十九がカウンターの位置へ移動して店内を見る。
そこはフロアが暇な時にマリと会話しやすいケンタの定位置だった。
「そのお客さんの近くに他にお客さんはいましたか?」
九十九はハルカの方を見た。
「えっ?」
なぜそんなことを聞くのだろう?怪訝に思いながらもフロアを手伝っていたハルカは一生懸命思い出そうとして答えた。
「えぇと…奥のテーブル席にいつも来てくださるご夫婦が座っていましたけど…あの時間はケンタさんの近くに他のお客さんはいなかったと思います。ちょっと早い時間でしたから」
「では、こちらに座っていたお客さんが首輪を机の上に置いて、それを誰かが持っていったということは考えられませんか」
あぁ、そういうことか、と納得したハルカはまた一生懸命記憶を辿った。
「自分もずっと見ていたわけではないので自信はないのですが…。あの日はケンタさんのテーブルから何かを持っていけるようなところにお客さんはいなかったと思います。そっちへ歩いていったら不自然ですから。」
「そうですか。ご協力ありがとうございます。」
九十九刑事が丁寧に言った。
「ケンタさんがどうかしたんですか?猫の首輪を無くしちまっただけでしょう?さっき盗難届っておっしゃってましたよね。」
シンヤが九十九刑事に聞く。
「業務上のことはお答えできないんですよ。」
丁寧だが、断固とした口調で刑事は答えて帰って行った。
人に聞くだけ聞いてそれはないよ…とハルカは思ったが、無罪放免らしいとホットするとともに、ケンタの事が心配になった。
昨日の様子ではケンタが盗難届など出すはずがない。出したとしたら依頼主だ。
「ケンタさん、大丈夫かなぁ」

店が開店するとナオトの言った通り、ハルカの悪魔卵の評判は上々だった。
酒が進む!と言って追加注文する客もいる。
ハルカは嬉しいのと忙しいのとでケンタの事を忘れていた。
そこへマリがお客から話を仕入れてきた。
「ケンタさん、警察が来て連れていかれたって」
ケンタの住むアパートの近所のお客さんからだった。
「依頼主の宝石が無くなったって噂になってるって」
急に心配が戻ってハルカが聞いた。
「あの首輪についてるって言ってた赤い石が高価な宝石だったんでしょうか?」
「そうみたい」
「じゃ、最初からそんなもの預けなきゃいいのに」
「だよねぇ。」
「なくしただけなのに、なんで盗難届なんだろう?」
「だよねぇ。」
「ケンタさん、大丈夫かなぁ」
「別に、悪いことしてないんだから、すぐにわかるわよ」
キッパリと言い放ったが、マリの目は心配そうに曇っていた。

その晩、居酒屋の閉店作業をしているときに、大きく消防の音が響き渡った。
南の空の方角が赤くなっていた。
「また火事か。ありゃあ、二丁目の方だな。最近、火事が多いなぁ」
いつも最後まで居座ってちびちび焼酎を飲んで帰る常連のおじいちゃんが帰りしなに空を見上げてそう呟いた。

翌日、ハルカが半熟卵の殻を剥いている時にアリサが厨房へやってきた。
「ケンタさんの探してた猫見つかってたらしいわよ」
アリサが情報を仕入れてきた。依頼主は大手の薬問屋コルチナ商会の奥方だったらしい。
アリサの本業は占い師だった。アリサは兄の居酒屋の経理も担当しているが、彼女は小さい頃に星読みの素質を見込まれて、依頼ギルドに所属している。ギルドで経験を積んでランクアップしており、若いながらも今ではベテランの域の占い師である。美人で聡明なアリサは人気があり、お金持ちの奥様方のサロンに招かれたり大商人の商売の相談に乗ったり、上得意顧客が多かった。今日もお金持ちの奥様方のお茶会に呼ばれていたようだ。
「ケンタさんの依頼主は、七丁目のコルチナ商会の奥方、フレイア様のお屋敷だったわ。それがヘンなのよ。ネコはいなくなってすぐ自分で戻ってきたみたいなの。だからわざわざ猫探しをケンタさんに頼むのはおかしいんじゃないかって」
噂好きの奥様方の話題はもっぱら七丁目のお屋敷の女主人のことだったようだ。
七丁目の奥方はあまりお茶会のメンバーたちからは快く思われていなかったようだ。
「ちょっと気難しい方で、お子さんがいらっしゃらないでしょう。それで猫を溺愛していたそうよ」
「ただ、猫が突然いなくなったかと思うと、すぐ戻ってきて、高価な宝石がついた首輪だけが結果として無くなった。それでケンタさんに疑いをかけて盗難届を出すのはヘンじゃないかって。」

「普通出すなら紛失届でしょう?おかしいわよねぇ」
少し意地悪なニュアンスを込めて、有閑マダムたちはそう口々に言っていたようだ。
ハルカもそう思っていたので、それには大きく頷いた。
「アリサさん、その首輪、そんなに特別なものなのでしょうか。ケンタさんは依頼主さんから見つけたら猫にすぐ首輪をつけて欲しいって言われていたそうです。お守りだからって。」
「宝石がついていたっていうから何かの守り石なのかもしれないけどね。その首輪は子猫と一緒に最近ご主人からプレゼントされたものなんですって。長く飼っていた猫が死んでしまって、奥様が相当落ち込んでいたからということでご主人が前の猫によく似た仔猫をプレゼントしたんだって。」
「奥様思いの優しいご主人ですね。」
「どうやら、奥様は落ち込むというより少し様子がおかしくなっていたみたいなの。それでお茶会の奥様方と揉め事を起こしたりしていて…」
「ご主人からいただいた大切な首輪だったから盗難届を出したのでしょうか?勝手にプレゼントを探偵に渡したりしたから後ろめたかったのかな」

「それがね、そんな単純な話じゃないのよ。そちらの奥様、最近ご主人とうまくいっていなかったみたいなの。お子さんがいないでしょう?それで、ご主人が外に子供を作っているんじゃないかって」

奥方は、アリサの得意客の有閑マダムたちへも夫の不倫相手としての疑念を抱いていたようだ。初めはおや?と違和感を感じる程度の言い回しだったものが、どんどんエスカレートして彼女たちへも言いがかりとしか言いようのないおかしな言動をするようになっていたという。そのためマダムたちの彼女に対する論評は辛辣だった。
「あちらは入婿だから、お屋敷も、商会もみんな奥様のものでしょう?だからご主人もなかなか強くはおっしゃれないわよね。」
噂話が何より楽しいという有閑マダムたちの話を総合すると今回の経緯はこうだ。愛猫を無くしてノイローゼ気味になっていた夫人へ夫がミイちゃんと宝石付きの首輪を贈った。ところがミイちゃんが首輪を残して行方不明になった。夫人が探偵(ケンタ)へ猫探しを依頼した。その時に探偵へ首輪を渡した。そして探偵が首輪をなくす。ミイちゃんが自分で帰ってくる。夫人が探偵(ケンタ)を首輪の窃盗犯として被害届を出した。ということらしい。
「やっぱり、何か腑に落ちないわよねぇ」
首をかしげるアリサにハルカは大きく頷いた。

ケンタへの疑いは早々に晴れたようだ。
その日、ケンタはシンヤの店に顔を出した。
マリが店に入ってきたケンタをいち早く見つけた。
「いらっしゃいませ。」
「ケンタさんもう大丈夫ですか?心配していましたよ」
ケンタはマリをみて、嬉しそうに笑いかけた。
「いや、今回は本当に参りましたよ」
次にケンタはシンヤに頭を下げた。
「こちらにもご迷惑をかけてしまったみたいで本当にすみませんでした。」

ケンタによるとケンタが首輪を無くしたことを報告にお屋敷に行った時には、もうミイちゃんは戻ってきていたのだという。成果を得られず、首輪まで無くしたケンタが詫びると夫人は
「首輪は大切なものだからできる限り探して欲しい」
とだけ言って、それほど怒っているようには見えなかったのだそうだ。
ところがケンタが帰宅すると、いきなり警察が来た。首輪についていた石が高価な宝石だったということもその時初めて知ったのだという。
「いきなり容疑者扱いですからね、まぁ首輪を無くしたこっちも悪いんですけど。」
「その奥様って、やっぱりちょっと精神的に不安定な感じだったんですか?」
マリがケンタに同情して聞く。
「いや、まぁ依頼主ってのは多かれ少なかれ困り事があるから依頼をしてくるんで、何かしら悩みはあるものなんですよ。お客さんなんてそんなもんです。」
ケンタはさらっと言った。今回は猫探しだったが、一番多い依頼だとケンタが言っていた浮気調査だと、もっと修羅場があるのかもしれないとハルカは改めてケンタの雑草魂を見直した。
シンヤがケンタの前に半熟煮卵を出す。
「何はともあれ、ケンタさんがこうして無罪放免されて良かった。今日はハルカのアイデアで追加された新メニューの『悪魔卵』をぜひ食べていってください、オレからの奢りです。」

マリがビールを注いだジョッキを持ってきた。
「こうしてまたここでマリちゃんのビールを飲めるのは嬉しいなぁ」
ケンタは満面の笑顔で美味そうにビールを飲んだ。

その夜、コルチナ商会のお屋敷が燃えた。


#創作大賞2023

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