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鈴木英史先生の思い出

私は自らの修行のために神奈川県藤沢市の社会人楽団、湘南交響吹奏楽団グランドシップに参加しています。

楽団は5月17日の定期演奏会に向けて練習を重ねていましたが、COVID-19の影響により練習が困難になったこと(会場の閉鎖)と、感染拡大の防止のため、演奏会は早々に中止となりました。

今回は15回記念というこで、作曲家の鈴木英史先生をゲストにお迎えする予定でした。

鈴木英史先生は、私が高校生の頃に湯沢市雄勝郡吹奏楽連盟(秋田県)にて課題曲講習会等の講師をなさっていました。

そしてご縁あって私が進学した秋田県立湯沢高校の吹奏楽部にも時々教えに来てくださっていました。

25年ほど前の話だから、鈴木先生も大学院を卒業されてまもない頃だったのかなあ。。


そして私が高校2年生だった1996年8月。

その年、鈴木先生が編曲した「舞踏組曲」(B.バルトーク)を自由曲として取り組んでおり、その日は合宿中。わざわざ東京から鈴木先生のもとで合奏練習をしていました。

夕方、帰路につく鈴木先生が意味ありげに副顧問の先生と固い握手をしていたことを昨日のように覚えています。

「ずいぶん丁寧な別れかただなぁ」と不思議に感じていました。

その夜、食後に部員たちが集められて、当時の湯沢高校の吹奏楽部顧問、渡部清先生が亡くなったことを知らされます。渡部先生は前年から入退院を繰り返していました。

吹奏楽コンクールの地区大会(秋田県南大会)の数日前の衝撃的な知らせでした。

鈴木先生も、副顧問の先生もその1日の練習予定が完遂するように生徒たちに知らせずに過ごしたことは、どれだけ苦しかったことかと。

その後、鈴木先生は渡部先生への鎮魂歌として「Awakning〜目覚め」を作曲してくださいました。私が高校3年生の時に演奏しました。

(同作品は1999年第2回21世紀の吹奏楽「響宴」にても発表されました)

その前には、「尖頭から、山々から」という作品も湯沢高校吹奏楽部が演奏しました。

湯沢高校吹奏楽部の同期からは、大学進学で4名と就職で私一人の計5名が高卒で首都圏に出て来ました。この5名で鈴木先生を訪ねていって一緒にご飯を食べたのも良い思い出です。

そんな鈴木先生と20年以上ぶりに一緒に音楽ができる!と楽しみにしていたのですが、今回は残念・・・・

ですが、またきっとどこかでご一緒できると信じてます。

その日まで精進精進。。。。 :)


*この記事は私が書いているアメブロの記事をnote向けに一部編集して掲載しました。

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