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トイレ掃除を素手でしたら当たり前に気づいた話


はじめに言っておきますが、
いろんな考えもありますので

トイレを素手ですることを
おすすめしているわけではありません。

また、わたしは当時一人暮らしで
汚すのも掃除するのもわたしという状況でしたし、日頃、家族の為にトイレを掃除しているみなさま、様々なトイレを掃除してくださる方々には本当に感謝しかないです。

さらに、昼休みご飯食べている方
タイトルからおわかりいただけるか
と思いますが
トイレの話をしています。



さて、、、

いろんなことが行き詰まり、
巷で流行りの
ありがとうやら、大丈夫やらを呟いて

それでもどうしても
運だとか風水だとか、神様だとか

そんなことに気を取られ(注神様編やら大丈夫、ありがとう編はまた今度。)

たまたま目にしたブログに
『素手でトイレ掃除をしなさい』
というものがあった。

藁にもすがりたいわたしは

素手で掃除にチャレンジ。

実際にブログを読んでチャレンジする人が何人いるのかという話はおいておいて、

totoの便器は冷たくて
水も冷たかった。
最初は、何してるんだろう自分と悲しくなった。
だけど、

汚れやほこりを雑巾や、
ブラシでこするうちに
綺麗になっていくトイレを見ながら

それこそ

ここを汚したのは
他の誰でもなく自分だと自覚した。

そして、

自分から毎日出る汚れたものですら 

自分1人では処理できず
微生物やらなにやらのチカラをかりている。

この、素手で触るのすら嫌だと思っていた
毎日ちゃんと流してくれる
トイレはありがたいなと思った。


なんでもたいていの事は
自分でできるような気でいたけれど、
トイレにだって練習して行けるように
なったわけで、毎日毎日朝から晩まで
オムツを変えて
トレーニングして
というプロセスを踏み
誰かの力をかりていまに至っているのだ。



当たり前じゃないんだなと


本当の意味で、実は見えない何かがそこにはあってまるで神様みたいだなと感じた。

さらに、情けなくも

食べて、出る。についても忘れていた。

そもそも、
わたしという生き物は

食べて→出して→休む
また
食べて→出して→休む

生きてるだけで無駄とか臭いものとか迷惑
を作り出す生き物で

何か成し遂げようとか、
こんな事やろうとか
こんな事できるとか思っていたけれど


あなたも、わたしも
(ウンチ製造機だ)
とまでは言わないが、

それでも、何か成し遂げようとかしなくても
そのままでも価値ある存在として
産まれてきてる。

それってもしかしたら
ショックかもしれないし
わたし、こんなに頑張っているのに
ウンチ製造機なんですか!?
となるかもしれない。


でも、それでも
価値がある存在である。

だって、生き物全てがそうであり、
だれもそれを咎めてはいないのだから。

その生き物たちに

毎日太陽は光を注いで
雨が降り
心臓は鼓動し
食べたものは身体が
寝ていても働いて消化して

今日、この瞬間もあらゆるところで
命を育み続けている。

気分が落ち込んだ日も
泣きたい日も
死にたい夜も

毎日毎日

身体は働いている。

結婚とか
就職とか
受験とか
不倫とか
離婚とか
別居とか

それも胸をざわつかせる事だけれど

大切な事を思い出した。

そんなトイレ掃除だった。

たまには、自分の休みなくはたらくなにかに

感謝することや

考えを至らせることは

全てに通じる愛だと思う。

今日のメッセージ
当たり前に感じていることを
有り難いと認識すれば
怒りのベクトルも向きが変わる。






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