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正しい泳ぎ方なんて知らない。

待ちに待った夏休み。
海辺の町の小学校の「夏休みのしおり」には
・海で泳いで良い時間 午後2時~4時
・海で泳ぐときは必ず保護者の人の許可を得て、必ず保護者についてきてもらう
・泳いではいけない場所 港の中・港の近く(●●漁港・〇〇フェリーボート)
・体調が悪い時は泳がない
・お天気が悪いときは泳がない

みたいなことがつらつらと書かれていた。

私の育った家は海まで歩いて30秒、子供が走って15秒くらいだ。
それはもうプライベートビーチだった。

そこは名前がつけられた海水浴場ではないけれど
近所の子供たちは皆、夏はほぼ毎日その海で遊ぶ。
当然、海の家の焼きそばや更衣室なんてない。
家でお昼ご飯もそこそこに、水着に着替えて
ビーサンをひっかけて駆け出していく。
トイレにいきたくなっても家に走って帰ればいいのだ。

2時間ほど海で遊んだら、母に催促されて帰らなくてはいけなくなる。
明日も来るのに、毎日名残惜しい。
友達と明日の約束をして、帰ったら家に上がる前に植木に水をあげるためのホースの水で砂をおとして、お風呂場に直行。

お風呂から出てスイカを食べて
母が洗濯物をたたみながら観ている時代劇の再放送をなんとなく観ているうちに、炎天下の海で遊んだほど良いだるさと、少し古い扇風機の羽の音に、知らず知らずのうちに眠りにいざなわれる。
夏休みの午後は、静かに平和に、そして強力な暑さのわりにはやさしく過ぎて行くのだった。

同じ小学校の子はどんなに山側に住んでいても
自転車にのれば私のプライベートビーチと同じような
名もない砂浜と海にたどり着く。

そういうわけだと思うけれど、私の小学校にはプールがないし
小学校も中学校も水泳の授業はない。
多くの小学校にプールがあると聞いた時は、それはそれはプールに憧れた。
何十年経ってもこうして思い出せるような贅沢な環境にいることに気づきもしないで、「先生、学校にプール欲しいわー!」と
謎のお願いをよくしていた。

よく勘違いされるが、海が近いからと言って、全員が泳げるわけではない。
プールの授業やスイミングの習い事がある都会の子の方が泳げるのではないか、と思う。
私はといえば、泳げるか?といえば泳げるけれど
「正しい泳ぎ方」なんて知らない。

低学年のうちは浅瀬でしか遊べないけれど
浮き輪でプカプカ浮かんだり、ビーチボールで遊んだり
キレイな石を見つけたり、わかめや天草を採ったり
クラゲを投げたり(クラゲは子供にかかるといろんな災難にあう)
海ではなんやかんやと忙しい。
2時間なんてあっという間だ。

しかし、私と近所の子供たちにはやがて
そんな平和なことをやっている場合ではない試練の時がやってくる。

それは近所の子供会のキャンプだ。
キャンプといっても遠くへは行かない。
近所の子供会のキャンプなのだから近所でするのだ。

毎日遊ぶその浜辺で、みんなでカレーを作ってキャンプファイヤーをして
低学年の子は公民館に泊まり、高学年はその浜辺にテントを張って泊まるのだ。

代々この地区の子供たちに、受け継がれてきた古いテント。
今の便利なきれいなテントからは考えられない
黄色かオレンジの三角のやつだ。

砂浜だから固定するにはコツがいるし、テントの中もすぐに砂だらけだ。
よし、今夜は、友達といっぱい夜中までしゃべろう!と意気込んでも
決して良い匂いとは言えないその古いテントのにおいと
蚊取り線香のにおいの入り混じった
狭い砂だらけの劣悪な環境なはずのテントの中で
波の音を聞きながら誰からともなく眠ってしまったものだ。

目覚めもやっぱり波の音のその朝。
キャンプの2日目にみんなで海に入る時間がある。

そして
「4年生で泳げないと船で沖まで連れていかれて船から海に放り込まれる」
という行事がある。
(大問題な行事に思えるが、必ず親御さんは来ているし、世話役のお父さんたちが何人もついていてもちろん危険な状態にはない。)

だいたい皆、2年生ぐらいの時にその「放り込まれる」事実を見聞きし
4年生の夏までに泳げるようにならないともうこれは生死の問題だ! 
と思う。
私も幼馴染たちも類にもれず、3年生の夏にはクラゲにかまうのも忘れて
一生懸命、泳ぐ練習をした。

一度泳げてしまえば、なんてことはない。
あんな遠くまで連れていかれるのか、と思っていた「沖」も
大した遠さではなかった。

そんなわけで私の地域の子供は無事、全員泳げるようになる。
当時でいえば逆上がりや、自転車の補助輪を外すのと同じようにやってくる、避けては通れない試練が一つ多かっただけだ。

私たちの地域は学区の端っこにも関わらず・・なのか
端っこだったからなのか
なんとなく独立した集落として成り立っていて子供の数も多く
子供会の行事が活発で大人たちも熱心だった。
あの時代、日本のいたるところでそうであったように
地域の大人たちが皆で私たちを見守ってくれていたとはいえ
大人になった今考えると本当に頭が下がるほど、熱心だったと思う。

キャンプでの海遊びの前には当然、夏休みのしおりにかいてあるような
海の注意事項を聞かされるし
子供会のキャンプであるのにかかわらず、消防署の人や海保の人がきて
人工呼吸を実演してくれたりする。

いっしょに海に入っている大人たちは
泳いでるときに足がつっても慌てずに浮いたまま治す方法や
溺れてる子を見つけても、それが小さな子でも絶対に助けに行かずに大人を呼ぶこと
陸にむかって泳いでも近づかない時は、陸と並行に泳ぐこと
エンジン付きの船にはむやみに近づいてはいけないこと
なんかを遊びながら教えてくれる。

勝手に海入ったらあかんよ。
危ない場所で泳いだらあかんよ。
うちの母は人一倍心配性で、何度も何度もそう言う。
何度も言われて、生返事をしていると、母が決まって言う言葉がある。

「タダシくんとこのお兄ちゃん一人で海行って溺れて亡くなったんやで!
 ほんまに気をつけてよ!」

タダシくんさえ、私よりだいぶ上のお兄さんで、そのタダシくんの更にお兄ちゃんが子供の時の話なので、私はリアルにその事故を知らない。

知らないけれど、3軒向こうに住むタダシくんのお兄ちゃん・・。
タダシくんのおじいちゃんは漁師で、ときどき雑魚をバケツいっぱい
分けてくれたりする。
あのおじいちゃんのもう一人のお孫さん。

会ったこともないけれど、そんな近くの人が海のせいで死んでしまったという恐怖や悲しさ、子供心に周りの人の苦しさまでも想像できたし
その母の言葉は私に海のルールを守らせるには十分すぎた。

そんな悲しい出来事と、大人たちが熱心なあの4年生の海の試練が
私の頭のなかで結びついたのは、ずいぶん大人になってからだ。



今、都会の涼しい部屋のテレビから、水の事故の悲しいニュースが流れてくるとあの頃を思い出す。

私は正しい泳ぎ方なんて教えてもらったことがない。
でも、海辺の小さな町の大人や仲間たちに
海との付き合い方は、ちょっとだけ多く教えてもらった。
あの眩しい数年間があったから
海のせいで心に影をおとすことなく
大きくて豊かでキラキラした時間だけを私の心に残すことが出来ている。


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