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【出産レポ】出産予定日1週間前に夫婦で妖精になった話。(後編)

※この記事は、2023年1月、計画無痛分娩で出産予定だった臨月妊婦(初産•33歳•神奈川県在住)の体験談です。あくまでも個人的な記録である点ご理解のうえ、お読みいただけたら幸いです。

↓前編はこちら

入院1日目 
18:30 病院到着、運命の分娩室へ。

というわけでコロナ陽性臨月妊婦(40週1日)は、母の車で夫と共に産院に到着した。防護服に身を包んだ看護師さんが出迎えてくれて、ここで夫とはお別れとなった。

通常であればまず病室に案内され、お産の進み具合にあわせて陣痛室→分娩室と移動していくが、私は隔離のために従業員導線から入り、最初から分娩室(トイレつき)に通された。

用意された入院着に着替え、点滴用のカテーテルを入れてもらった後、これまた防護服に身を包んだ先生がやってきた。怒涛の勢いでめちゃ痛い内診をされ、無痛分娩の麻酔のための管を背中に入れる処置をしてもらった。後になって思えば、陽性者との接触をできるだけ最小限に抑えようとしての対応だったのだろうが、ものすごいスピード感&先生もどことなくいつもよりクールで、すこし戸惑ったのを覚えている。

その後、ようやく落ち着いて荷物を整理し体勢を整えることができた。痛みもまだ弱かったので、今のうちにと思い持参していた朝バナナゼリーをお腹に入れた。(これが出産前の最後の栄養摂取となる…。)

ちなみに室内にはオルゴール調のBGMがうっすらとかかっていて、気が紛れるといえば紛れるのだが、ずっとこれかと思うと正直すこし耳ざわりにも思えた。ちなみにこのときはマツケンサンバのオルゴールバージョンが流れていて笑えた。

記念(?)に自撮りをする余裕もありました。

19:30 院長、登場。

今度は防護服の院長先生が登場し、「こんな格好でごめんなさいね」と添えたのち、今後の方針を教えてくれた。

まず今夜は自然にお産が進むのを待つ。明日の朝から促進剤を投与し、昼までに産まれなければ帝王切開を考える。とのことだった。感染リスクや子への負担を考え、あらかじめタイムリミットを定めておこう、ということのようだった。

そもそも受け入れてもらえただけでも大感謝なので、病院側が決めた方針に異論は無かった。それに泣いても笑っても明日の午後には子に会える、と思うとゴールが見えたようで気持ちも楽だった。

ちなみに陽性妊婦が出産すると、子は産まれた瞬間に濃厚接触者扱いになる。産まれた瞬間に母と子は離れ離れになるのかと思っていたが、むしろその逆で、母と子は同室で2人一緒に隔離される、ということだった。

20:00 助産師さん交代、子宮口3.5センチ。

陣痛は5〜6分間隔できていたが、痛みはまだ耐えられるレベルだった。NST(※)に表示される子宮収縮の数値も微弱だったので、これはまだまだかかりそうだな、という感じだった。

※NST=ノンストレステスト。お腹にセンサーを取り付けて、子の心拍と子宮収縮の数値(≒痛みの強さ)を計測するもの。リアルタイムに用紙に波形が印刷されていく。

夜勤の助産師さんに交代になったタイミングで改めて内診をしてもらうと、意外にも子宮口は3.5センチ(※)まで開いていた。

※子宮口が10センチ(=いわゆる子宮口全開)になると、出産のクライマックス状態となり、分娩の体勢に入る。

去り際に助産師さんが少し照明を暗くしてくれて、あわせてBGMも切ってくれた。グッジョブ助産師さん。

ちなみにこのあと分娩までの間、半日毎に担当の助産師さんが替わってそれぞれ大変お世話になるのだが、なんせ全員防護服フル装備なので全然顔が覚えられなかった。ちゃんとしたお礼が言えずじまいだったのが心残り。

22:00 まだ耐えられる。

無痛分娩のための麻酔をどのタイミングから投与するかは、妊婦の希望に委ねられていた。痛みは強くなってきているもののまだ耐えられると感じたので、もう少し麻酔なしで頑張ってみることにした。

ちなみに陽性者の場合は問答無用で無痛分娩になるルールのようだが、私はもともと無痛分娩を希望していたので、そこは痛手ではなかった。

夫と両親にはLINEでちょこちょこ状況を報告をしつつ、夫とは合間で何度か通話することもできた。

入院2日目 
2:30 ついに麻酔スタート。

日付が変わっても痛みの間隔は相変わらず5〜6分だったが、だいぶ痛みが強くなってきていた。いずれにせよ戦いは明日の昼までと決まっているわけだし、我慢せずに麻酔に頼ろうと思い、ナースコール。いよいよ麻酔の投与がスタートした。

麻酔は、自分で手元のボタンを押すと、背中に繋がれた管から投与される仕組みで、15分以内に押してもそれ以上は投与されないようになっていた。加減が分からなかったので、「これくらいの張りだったら1時間に1回くらいで大丈夫なんじゃないかな」という助産師さんのアドバイスに従った。

3:30頃から麻酔が効いてきた。無痛とはいえ完全に無痛というわけではなく、いま陣痛きてるな、というのが分かる程度に軽い生理痛のような痛みを感じた。そのまま朝まで1時間間隔でボタンを押しつつ、うとうとと眠ることもできた。

ちなみに麻酔中は絶食に加え、水分もあまりゴクゴク飲みすぎないようにと指示をうけたので、用意していたペットボトルのポカリをちびちびと飲んだ。(これが後に痛手となる…。)また入院前から恐怖だった「導尿」は、麻酔が効いていて何も感じなかった。麻酔万歳。

9:00 朝の回診、方針変更を告げられる。

朝、昨日とは別の先生がやってきて方針変更を告げられた。

夜間に思ったよりお産が進まなかったので、今から促進剤を入れても昼までに出産にはならないだろう。帝王切開という方針は一旦やめて、このまま様子を見ましょう、とのことだった。明日になれば隔離解除という点も考慮してくれているようだった。

帝王切開の可能性がひとまず薄れたこと、明日まで粘れば夫の立ち会いが可能になるかもしれないということに希望を感じつつ、今日の昼までに勝負がつくと思っていた分、ゴールが遠のいたようにも思えた。

子は相変わらず腹の中でぐるぐると元気に動いていて安心ではあったが、かといって降りてきている感じもしなかった。

11:30 つづく絶食。

痛みはまだそこまで強くなく、45分間隔くらいで麻酔のボタンを押していた。お産が進まないようであれば、一度麻酔を止めて昼食を摂りましょう、ということになっていた。しかしお昼前に内診をしてもらうと、子宮口が6〜7センチまで開いていたため、昼食は幻に終わった。

昨日から分娩室に籠もりきりのため、フロアの土地勘が掴めず、ひたすら廊下や両隣の部屋の音に耳を傾けて過ごした。左隣もおそらく分娩室で、時折聞こえていた苦しそうな声が14:00過ぎにピークを迎えたかと思うと、程なくして産声が聞こえた。まさに隣の部屋で新しい命が産まれたんだ…と、じんわりと感動しつつ、じきに我が身にも訪れるであろうその瞬間に想像を巡らせた。

ちなみに右隣からは定期的にゴーーという音が聞こえてきていて不思議だったが、後々それがシャワー室だということが判明した。

18:30 日付が変わるまで粘る作戦に。

病院に到着してから24時間が経過した。さまざまな出産レポを読むたびに、数十時間にわたる陣痛なんて長すぎて気が遠くなる…と思っていたが、いざ自分がそうなってみると、時間がすぎるのはあっという間だった。

痛みは午後から少しずつ強くなり、15〜30分間隔でボタンを押すようになっていたが、子宮口は7センチのままだった。あと6時間粘って日付が変われば、隔離解除になる。助産師さんと相談し、もう少し様子を見ることになった。

ずっと仰向けの体勢だったからか腰が痛く、横向きの体勢に変えてもらったら少し楽になった。が、今度は脚の付け根が痛んだ。陣痛そのものの痛みは麻酔のおかげでだいぶ和らいでいたが、骨には麻酔が効かないらしかった。

20:30 ついに子宮口全開!になるも…。

ここにきてまたぐぐっと子宮口が開き、ついに全開と告げられた。高位破水という形で少し破水もしているらしかった。ただ、全開にしては陣痛の間隔があいていて、NSTの数値も弱かった。

もう少し粘って、日付が変わったら産もう!と助産師さんが言ってくれた。立ち会える可能性にかけて、夫には病院の近くで待機してもらうことになった。

ちなみに水分をちびちびとしか飲んでいないことを告げると、「え!もっと飲んでいいのよ!ちゃんと水分摂って!」と言われて拍子抜けした。久々のポカリがぶ飲みが全身に染み渡った。

入院3日目 
0:00 陰性、そして隔離解除へ。

日付が変わった頃を見計らってコロナの検査をしてもらい、無事に陰性が出た。入院から30時間、ついに粘り勝ち、隔離解除である。

「夫呼んでいいですか」と私が前のめりに聞くと、「ご主人呼ぶのは分娩の準備が整って、もう生まれるってなってから!」とのことだった。

まず、私がいた分娩室は隔離部屋扱いのため、隣の分娩室に移動した。防護服を脱ぎ軽装になった助産師さんは随分印象が違って、改めて今までの環境がかなりイレギュラーだったのだと実感した。

痛みがついていたほうがいきみやすくなるからと、ここからは麻酔のボタンを押すのを出来るだけ我慢するように言われた。え、最後まで無痛じゃないの!?と戸惑いつつ、もうなんでもいいから早く産まれてきてくれという思いもあったので、素直に従った。

助産師さんに「いきみたい感覚がきたら呼んでね」と言われ、しばし一人でその時を待った。

1:30 夫登場。

しばらくして痛みは少しずつ増してきたが、「いきみたい感覚」というのが正直よく分からないままだった。子宮口全開になってからは「いきみたい感覚」に任せていきめば産まれるものだと、諸先輩方の出産レポを読んで思っていたのに。今の私は相変わらず2〜3分間隔で腹と脚の付け根が痛むのみだった。

そのうちうっすらと「これかな…?」という程度の「いきみたい感覚」がきたので、まだ弱いとは思いつつナースコールをした。あっという間に分娩台が準備され、夫も呼んで良いと許可がおりた。

こうしていよいよ、さあいきんでみよう!というクライマックスのフェーズに入った。助産師さんに「ここに力を入れる感じだよ!」とアシストしてもらいながら、痛みの波が強くなったタイミングで思いっきり、いきむ。

到着した夫は、いきなりのクライマックス状態に戸惑ったようだが、私も流石に痛みが強くなってきていたので、夫を気遣ったり、細かく状況を説明する余裕はもうなかった。

4:00頃 先生を呼んでもらうことに。

「赤ちゃん、少しずつ降りてきているからね」とは言われるものの、なかなか出産までは至らず時間が過ぎた。助産師さんも、いろんな体勢を試したり、促進剤を入れたりと試行錯誤してくれたが、今一歩だった。

私は昨日からほとんど飲まず食わず寝ずだったため、完全にスタミナ切れで、陣痛と陣痛の間は寝オチ(気絶?)するような状態だった。そんな私を見て、助産師さんがついに「先生呼んで、手伝ってもらおっか」と言った。手伝う=吸引分娩ということらしかった。

程なくして先生がやってきて、一度いきむ様子を見てもらった。先生は「上手、上手!」とべた褒めしてくれたのち、「よし、次(の陣痛)で(赤ちゃんに)会おう!」と言った。

テキパキと吸引分娩の準備が進んだ。おそらくこのときに会陰切開されたが、麻酔が効いていたおかげで何も感じなかった。(ほっ)

いつの間にか助産師さんももう1人増えて、「お手伝いしますね」と言われた。ここで言う手伝うとは、お腹を押すということらしかった。

4:30頃 最終局面はバカボンと共に。

ずっとついてくれていた助産師さんと吸引分娩の準備万全の先生が足元に、横にはお腹を押すための助産師さん、背後を夫に支えられて、もうこれは明らかに最終局面、という体勢が整った。

この時になっても私の陣痛は相変わらず2〜3分間隔だったので、全員がスタンバイできてから、次の陣痛が来るまでの間に短い静寂が訪れた。そのときふと、例のオルゴール調BGMが耳に入る。流れていたのは、バカボンの「これで〜いいのだ〜♪」のメロディだった。同じタイミングでそれに気づいた横の助産師さんが「音楽がこれっていうのも、ねえ…笑」と言ってくれて、場が和んだ。

こうして「これで〜いいのだ〜♪」のBGMに乗せて、ついに次の陣痛がやってきた。私が大きく息を吸っていきむと、横の助産師さんが全身全霊でお腹を押してきた。これが激痛だった。殺される…!と思った。(後ろで見ていた夫も「死ぬんじゃないか」と思ったらしい。笑)「お腹押すから、頑張って押し返してね!」と直前に言われた言葉を思い出し、とにかく必死に力を入れた。

全力でいきんだ後、一度息継ぎをして、そのまま再度いきんだ。次の陣痛まで休憩しようかとも思ったが、お腹を押される衝撃にあと何度も耐えられる自信がなかったので、先生の言葉を信じて、これが最後と思って残りの力を振り絞った。その場にいる全員の「これで産ませるぞ!」という意思がひとつになって、ついに我が子が誕生した。

胸の上にやってきた子は、ちゃんと人間の形をしていて、そしてとても、あたたかかった。あとで記録をみたら、産まれた時間は4:44。なんだか不吉だけど、覚えやすくてまあいいかと思った。

産後のもう一波乱。

(※やや痛い表現があります。苦手な人はそっと読み飛ばしてください。)

「お母さんはもう少しだけ頑張ってね」と先生に言われ、産後の処置が始まった。産後に胎盤を出したり会陰を縫合したりする処置があることは、事前知識で知っていた。

無事に終わった安心感と疲労でボンヤリとしながら処置が終わるのを待っていると、「なかなか胎盤が出てこない」と先生達がドタバタし始めた。器具を使ったり、エコーで画像をみたり、「院長に相談しようか」とまで言いながら、気づいたら先生が腕を直接子宮の中に入れて胎盤を剥がそうとしていた。

これが今回の一連の妊娠出産の中で最大の痛みだった。麻酔がまだ残っていたのに加えて、出産の最終局面で少し麻酔を追加していたとはいえ、腹の中に手を入れられてかき回される痛みはなかなかだった。あとから先生にも「麻酔が入っていてよかった、そうでなければトラウマものの痛みだったはず」と言われた。

あまりに痛いので途中から「胎盤が少し残ってるくらいもう良いよ…そのうち出てくるだろうからもう辞めてくれ…。」と思ってしまった。けれども後で調べたら、大量出血や子宮摘出になるリスクもある「癒着胎盤」というやつで、先生達があれだけ焦っていた理由が分かった。

深く呼吸をしながらひたすら耐えて、無事に処置が完了した。幸い出血量も少なく、事なきを得ることができた。最後にお礼を言おうとしたら、先生の腕が肘まで赤く染まっていて、なるほど肘まで腹のなかに突っ込まれていたのか…と思うとゾッとした。

そうこうしているうちに綺麗になって服を着せられた子が戻ってきた。夫と3人でゆっくり過ごしているうちに、朝がきた。

あとがき

こうしてコロナ陽性から始まり、帝王切開になりかけたり、無痛のようで無痛じゃなかったりと、なかなかのフルコースだった出産が無事に終わった。

ちなみに夫は、最終局面で登場した先生のヒーローっぷりと上記のセリフにえらく感動したらしく、のちに「リアルコウノドリ先生みたいだった」と語っていた。(感動ポイントそこ?笑)

だけど受け入れてくれた産科の皆さんには本当に感謝だし、なんだかんだで麻酔があったからこそ乗り越えられたから無痛でよかったし、何度も無理と思われた立ち会いも土壇場でできたし、結果オーライのドタバタ劇だった。

なにより日付が変わるまで粘って粘って、無事に元気に出てきてくれた我が子に、最大の拍手を。

おしまい。

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