闘うという事

この世に生き続ける限り、人間は誰でも苦しみや悲しみや痛みを抱える事が必ずあるだろう。わたしはそれが自分が難病にかかった事だった。わたしは足が不自由だが、他の人から見ると健常者と同じように見えるので、その話をすると大体驚かれる事が多い。そのことによって絶望した事は確かだけれど、そしてそのせいで捨てなければならなかったものが山のようにあることもまた事実だけれど、残ったものの中から光を感じたものを選び取ることでわたしは前を向いてきたと思っている。
わたしは、誤解を恐れずに言うならば、悲しみや苦しみを感じている人が早く立ち直る事が必ずしも正解だとは思わない。苦しみや悲しみの中で生き続けることや答えのない問いを自分の中で繰り返すことにだって意味があると、そう思っているからだ。
この考え方が、すなわちちゃんと暗い事の重要性が理解される事は少ない。私は治らない疾患を抱えた患者の1人であるが、治らない病気を抱える者は誰しも山登りをしていると思う。始めたばかりの時は辛くて、慣れてくると少し楽で、でも疲れが出てくるとやっぱり辛くて…それは半ば人生のようでもあると思う。
でもわたしがそう言う話をすればするほど、ただのわたしの不幸自慢で、私は自分を卑下して相手を不必要なほど高くあげて話しているようにしか聞こえないし、勝手に人間の幸せ不幸せを決め付けているように聞こえるとわたしに言う人がいる。もはやわからない、その人のいう通りわたしは、ただの最低な人間なのかもしれない。苦しいひとがちゃんと苦しめる世の中を切望している様な自分は時代から外れているのかもしれない。それでも悲鳴をあげ続けるしかなかった20年と少々の人生を、そんな言葉で否定される事が正解だとわたしは思わない。それでも闘っても闘っても否定を繰り返されて、心ない言葉を刺し続けられて、それでも今までは満身創痍になっても闘いをやめる事はなかったけれど、逃げるのも勇気だ、と今は思う。逃げてしまったっていいと思う。伝わらない人間にいくら言葉を重ねてもそれは時間の無駄だ。わたしは、わたしが愛している人間たちに愛される人間であり続ける事ができるならそれでいいし、愛するものに軽やかでいられればそれでいいんだと思う。そう思う。

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