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アタマとココロとオトナとコドモ·͜·ᰔᩚ🌈

アタマは男性的で
ココロは女性的と思う

この感覚はワタシだけだろうか

アタマ=脳だから
脳といえば理論的とか

男性的なイメージは確かにある

ココロ=感情ならば
やはり感情優位な女性的なイメージだろうか

ワタシというヒトは
至極シンプルなので

それが顕著に現れるのだろうか

離婚前の昔のワタシは
すごくのんびりというか

ある意味こだわりがなく
どうでもいいと生きていた

だから争いもなく
ただその時を楽しみ生きていた

ワタシも笑っていたし
周りも笑っていた

離婚して
家族を守らなきゃと生きたワタシは

今までやらなかった勉強を一生懸命にして
さらに助産師という医療職についたから

常にアタマはフル回転で
正しいか正しくないかで瞬間瞬間を判断した

バッサバサと目の前の事象を
さばく感覚は心地良さもあった

テンポがよく
モノゴトの展開も速く

生きてる実感が得られた

ワタシは常に生き急いでる感覚で
緊張した職場に身を置き

ワタシは関わる人々には
笑顔を送りながらも

ワタシのココロは笑っていなかった
余裕がなかった

顔はなんだかこわい表情で
家族もワタシの様子を伺ってるみたいだった

家族のために頑張ってるのに
こんなにもやってるのに

仕事はうまくいってても
家庭はうまく回っていなかった


家庭には
まだ小さかった長女と同居の母がいた

母はヒステリックで
ホントに小さなコトで逆上するような

1歩つまずくと全てダメってヒトだった

ワタシが仕事に打ち込むほどに
母は家の事をやらねばならず

母はやりたくないヒトだから
苛立ちはフルMAXで

「あんたのせいでワタシの人生めちゃくちゃよっ‼️💢💢」

なんて突然キレられたり
そのストレスが長女の方にいったり

ワタシは家族のシアワセのためにと
無理してでも頑張っていたつもりだったから

報われない気持ちは
いつもワタシをいっぱいにしていた

家のコトを任せといてと
やってくれるヒトがいれば

ワタシは仕事に専念できた

でも母がそういうヒトであれば
ワタシはずっとアタマを奮い立たせて

助産師を続けていただろうから
やはり任せられない母だったからこそ

病院を辞めて
今の道に入るコトができたのかもしれない

実際に
助産師を夜勤も含めてフルで働いて

家事育児もしてるヒトは
たくさんいる

というか
ほとんどがそうである

でもワタシは
あまりにシゴトに全集中だから

さらに家事育児なんてできなかった

正直
ワタシがそこまでやったら

母ってなんのために存在してるのか

支え合い助け合いじゃないの?

なんてのもある

今は母も70代で末期ガンはあるけど
当時はまだ60代で健康だった

でも働かず家にいて
テレビを観て過ごす

掃除も好きじゃないからほぼしない
洗濯はしてくれる

1番に長女のそばにいてくれる
不規則な職場ではそれが一番ありがたい

でも常に母はキレ散らかしていて
長女はココロに傷を負った

ワタシのせいと思ってたけど
人生設計を知りワタシのココロは救われた

ヒトは人生設計を決めて生まれる

それは葉っぱの葉脈のように
ヒトのカラダの毛細血管のように

いくつも枝分かれするように道があり

でも必ず
本筋に戻る道が用意されている

いつでも
どのタイミングでも

だから歳だからとか
◯◯だからできないなんてコトはない

できないとしてるのは
その自由も許されているから

そんな自分を責めなくてもいい
周りに責められるなら離れればいい

どうであっても
自分を許して愛せばいい

自分が楽しく
ココロからの笑顔で過ごせていればいい

それほどにワタシたちは
自由に生きることができる

全ては恵であり
全ては愛なのだから


ワタシは前から
リンゴ🍎がちらちらと気になっていて

このnoteにも何度か
リンゴ🍎は悪じゃないとハナシをしてる

今朝目覚めた時も
リンゴ🍎のコトを思った

リンゴ🍎と言っても
アダムとイブが食べた知恵のリンゴ

イブが食べてアダムをそそのかした
イブが悪いとされるリンゴ

ヘビがイブをそそのかして
ヘビが悪いとされるリンゴ

食べてはならないよとエデンの園に置いて
そんなことする神が悪いとされるリンゴ

たった一つのリンゴは
誰もを悪にしてしまうみたいな

そんなコトになっている

ワタシたちの日常にも
悪とされるモノは多くある

誰かが被害者意識になれば
対するモノは加害者となり悪となる

自分が不機嫌になれば
それを満たさないパートナーが悪となる

コドモが言うコトを聞かなければ
聞き分けがないとコドモが悪となる

ヒトはすぐに悪を作り出して
自分を守ろうとするのかもしれない

誰かを悪にすることで
周りから責められないようにだろうか

可哀想と自分の味方になってもらい
自分を慰めるためだろうか

でもそうであるならば
誰かがいるコトでそれは満たされる

でもそんな誰かに感謝しているのだろうか

都合よく使っているのではないだろうか

トイレの後に自分で拭くぐらいに当たり前な
自分のご機嫌をヒトによってとるみたいな

そうしてくれない相手は
悪みたいなコトになってないだろうか

誰かに感謝できるなら
被害者意識にそもそもなるのだろうか

おたがいさま
おかげさまであれば

やってやったも
やられたもないのではないだろうか


小さい子どもは聞き分けがないと
怒鳴りつけられたり叩かれたりするけど

多くのヒトは
聞き分けのないオトナには手をあげない

でも小さい子には手をあげる

叩かないとわからないから?

そうだろうか

小さい子ほどに
ちゃんと話を聞いているし

今食べたいとたくさん泣いてても
「明日ね❣️」とされたら最後には諦め

その明日になったら元気に起きてきて
あれ食べたいとしないだろうか

約束を守れとオトナは怒りながら
そのお菓子を食べちゃっててもうないよとか

普段お前が約束を守らないからだとか
お前だっていつも言うこと聞かないだろとか

してないだろうか

オトナが親が
自分は正しいとしていると

そのようなコトは多く起きたりする

コドモは小さいだけで
コトバがまだ未発達なだけで

多くを感じとっている

目の見えないヒトが
聴覚や嗅覚など他の感覚が鋭いように

コトバを上手く伝えられないコドモほど
多くを感じとっているのではないだろうか

コドモのようなオトナは
まるでワタシの母のようで

ただただ不機嫌をまき散らし
悪いことはワタシのせいと押し付け

自分の経験が少ないから
何かあった時の対応力が低く

余計なことになり
それがまた嫌で怒鳴り散らすようなヒトだ

経験を積んで自分を成長させるもいいし
そうでなく今の自分を活かしてもいい

苦手なコトがたくさんある自分を許し
周りに頼ってありがとうと感謝するもよし

やってもらって当たり前
自分を満足させて当たり前

そんな女王バチじゃ
働きバチだって蜜を運んでくれないだろう

赤ちゃんは出来ないコトが多い

感情も未発達で
泣いて訴えるしかない

幼児は出来るコトが増えるも
まだコトバや感情も未熟

上手く伝えられないもどかしさがある

そこを汲んであげられるのは
余裕のあるオトナなんだろう

でも忙しいが常のオトナたちに
そんな余裕はなく

いつも時間に追われてるから
コドモのココロに寄り添うヒマなし

怒って怒鳴って
「いいの❣️」と言うことをきかせる

オトナも余裕がなく
自分のことができなきゃ確かにそうもなる

そうすると
また誰も悪くないとなる

でも確実に
その被害は声なきものに多く行くと思う

対大人に対してなら
怒鳴りつけたり叩いたりしないだろう

でもコドモにはする

悪いのはコドモとする

コドモはきっと理不尽だと感じながらも
すぐに切り替えてまた笑顔を見せる

コドモはいつも許してくれる

親がどんなに理不尽でも

怒鳴り散らして恐怖で縛り付ける
それは鬼のやり方ですよねというモノでも

親のナカにある愛を見ているから
コドモはいつも許す

いつも許して
いつも愛して
いつも信じてくれる

そんなコドモは
やはり神だなぁと思う

そして普段は周りにも優しくできて
余裕があるヒトでもどうにも怒ったりする

蓋をしていたモノ
そうしたくないと抑えていたモノ

そのようなモノも顕にさせる

作り上げた自分を破壊する

そう考えると
コドモは悪魔でもある

神と悪魔は表裏一体

純粋でいいも悪いの価値観がまだない
そんなコドモたちは

まんま神であり
まんま悪魔である

破壊と再生

家族というコミュニティでそれは
行われる

全てをコドモが悪いとせずに
なんであんなに怒ってしまったのかなど

自分を振り返る機会とすると
見えてなかった自分が見えてきたりする

親はコドモを育てるが
コドモも親を育ててくれる

おたがいさまで
おかげさま

小さくても立派な人間

きっとオトナになったワタシたちが
忘れてしまった大切なコトを

思い出させてくれる

尊重して大切にしたい

オトナだからコドモだからではなく
違いがあるからこそ気づきがある

正しい正しくないの視点では見えない
大切なコトがそこにはある·͜·ᰔᩚ🌈

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