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衆生済土の欠けたる望月(下)【note版】

前々回:衆生済土の欠けたる望月(上)【note版】

前回:衆生済土の欠けたる望月(中)【note版】

【前書き】今回のこの小説は、僕が小説投稿サイトNOVEL DAYSで現在連載中の連作長編小説『百瀬探偵結社綺譚』の中の1エピソード「衆生済土の欠けたる望月」の分割版です。長いので「上・中・下」に分割して掲載します。今回は特に「混ぜるな危険」なものを混ぜてるように感じる方もいるかと思いますが、エンターテイメント小説ということで、よろしくお願いしますね。


注意:note版ではルビを振っておらず、《 》のなかの文字がルビです。

ルビなどの処理もちゃんとおこなっているシリーズ全話は上のバナーをクリックすると読めます!!

よろしくお願いします。

本編、再開です、1万2000文字以上ありますが、渾身の作品ということです、では、どうぞ。



************************

 ふぐりとくるるちゃんのアパートを出て、僕は外をとぼとぼ歩く。
 二人がDJアイドルユニットを組んでいたのには驚きだし、ちゃっかり〈百合営業〉をベースに活動している抜け目のなさにも感服だ。
 本人たちは、相変わらずなところはあるが。
 それにしても。
 祇園御霊会の祇園祭。
 これを成功させ、ご神体を守らないと国が滅ぶのでそれを防ぐのが今回のミッションだ、というのに僕はそれを知らなかった。
 いきなり学園都市に送り込まれただけで、僕はことの重大さをわかっていなかった。
 あの探偵は……破魔矢式猫魔は今、なにをしているのだろうか。
 今回は総長も出動して、東京支部に在籍する舞鶴めるとと一緒に海外のエージェントやテロリストと戦っているみたいだし、人手が足りてなくて、猫魔は駆り出されているのかもしれない。
 今回は、あいつを頼る気持ちは封じ込めよう。
 これは、僕の事件だ。
 僕が解決しなくちゃならない。
 綺麗に碁盤の目になっている学園都市の区画を歩く。
 整理されすぎていて、どこを歩いているのか、気をつけないとわからなくなりそうだ。
 ぼんやり光る自動販売機で、コーラを買う。
 立ち止まり、プルタブを開けて、炭酸の黒い液体を飲む。
 笑う月が、僕を見ている。

「よぉ、山茶花。お帰り」
 手を振ってこっちに寄ってくるのは西口門だった。
「西口門、なんでこんなところに?」
「ああ? ほれ、そこ」
 指さすそこはファミレスだ。
「ファミレス? 誰かと会っていたのか?」
「違うぜ。微妙に、な。ライブ後、反省会できなかっただろ。だからその埋め合わせをしてたんだ」
「ふぅん……」
「山茶花は、源信の書いた『往生要集』は知っているか」
「知ってるもなにも、高校の国語の資料集にもその名が載ってる古典だろ。一応、知ってはいるさ。文学青年を気取ることはないけどね」
「おれは浄土門の、在俗の民なんだが、そもそも極楽や地獄って考え方は、浄土門の僧たちが広めるまでは日本ではマイナーだったんだ、存在自体が」
「へぇ。宗教といえば天国地獄って考えるけどな。そうじゃなかったのか」
「日本人の浄土観・地獄観を確立した書物が、源信の書いた『往生要集』だ」
「内容的には、どんなだったかまでは、僕は知らなかったけど、なるほどタイトルに〈往生〉ってあるもんなぁ」
「阿弥陀仏の相好《そうごう》を観察する観想念仏の諸相と、口で称する称名念仏《しょうみょうねんぶつ》の本義を説いたのが、『往生要集』の中身だ」
「ふぅん。初めて聞いたよ」
「勉強不足だな。文学青年が泣くぞ」
「そうだなぁ」
「言わずと知れた法然《ほうねん》という僧は、その『往生要集』に出てくる浄土教の大成者、善導《ぜんどう》という唐時代の僧の記述に心を奪われた」
「善導、か。知らないなぁ。僕は自分の勉強不足を恥じるよ」
「ははは! そりゃぁ傑作だ。実はその善導という僧は、自らを罪深い愚衆《ぐしゅう》と断じ、懺悔の思考を生涯、持ち続けたんだ。浄土教の大成者でありつつも、自分を愚かだと思ったんだもんな、こちとらやってられねぇよ。善導が勉強不足の愚か者なら、おれたちはどうなっちまうんだ、って話だぜ。まあ、愚かってのは勉強とイコールではないんだけどな」
「ん? どういうことだい」
「懺悔の意識。善導はキリスト教の〈原罪概念〉に似た思考を持ち続けたことで知られている」
「ああ、今回の話はやっぱりそこに通じるのか…………」
「今回の話?」
「いや、こっちの話だ。続けてくれ」

〈原罪〉ときたか。
 すべては繋がっているのかもしれない。

 西口門は、話を続ける。

 比叡山の西塔にある黒谷《くろたに》の別所《べっしょ》には、無冠の聖《ひじり》が集っていた。
 法然はそこの中心的指導者である慈眼房叡空《じげんぼうえいくう》の門を叩き、それまでの自身の求道遍歴を伝え、遁世《とんせい》の求道者となることを求めた。
 ……比叡山は世俗の垢にまみれていた。
 学問は自分の栄達のための手段と化していた。
 僧兵は権力闘争を繰り返していた。
 そんななか。
 わずかに黒谷の無冠の聖たちのみが、静けさのなかに厳しくも熱い、求道者の息吹を伝えていた、という。
 法然と言えば、念仏を一心に唱えれば、往生できるとした人物だ。
 日本史で習った通りだ。
 阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説いたのが、法然だ、ということだ。
 専修念仏に至るまでの道のりも伝説に彩られているが、称名念仏による専修念仏を説いたことがつとに有名だ。顕密の修行のすべてを難行としてしりぞけ、阿弥陀仏の本願力を堅く信じて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることのみが正行とした。
 余計なものはいらない。
 ただ、唱えれば良い。
 そうすれば往生できる。

 話がズレたな。

 無冠の聖が集う黒谷の別所。
 まるでおれたちの済む三ツ矢学生宿舎のようじゃないか。
 おれたち〈ザ・ルーツ・ルーツ〉は求道者だ。
 間違いなく、な。
 民草を救うために、おれは魚山流声明を覚えた。
 マスターレベルまではほど遠いが、使いこなせている方だと思う。


 おれは「自力」の仏教を離れ「他力」の仏教に行き着いた。
 こればかりは偶然ではない。
 偶然じゃ、……ないんだよ。

 なぁ、山茶花。
 おれは狂っているだろうか。
 それとも、この世界が狂ってるんだろうか。
 世界は是正されることを望んでいる。
 そう思えてならないんだ。
 これがおれの至誠心《しじょうしん》だ。
 至誠心とは、真実の心のこと。
 そしてまた真実とは、心空しくして外見をとりつくろう心のないこと。

 つくろわない、真実の心で、おれは人々に極楽浄土を見せたいんだ。
 なあ、こんなおれはおかしいと思うか、萩月山茶花?

 祇園祭の日がやってきた。
 元・花街から八坂神社まで、ずらりとテキ屋が並ぶ。
 不適切かもしれないが、一応書いておくと。
 よくテキ屋はやくざ屋さんだといわれるけど、一般的に言われる、いわゆるやくざ屋さんとテキ屋が呼ばれるやくざ屋さんは、組織の種類としてはまた別であるらしい。
 組織的に、重複しているひともいるだろうけども。
 警察屋さんや役所屋さんたちに訊いても口を濁すだろうけど、そうであるらしい。
 政治屋さんと仲が良ければ、詳しく聞けるかもしれない。
 僕はそのすべてと仲が良いとは言えないので、本当はなんとも言えない立場なのだが。
 それはともかく。
 祭りは無事、始まった。
 野外ステージでは、学園都市の吹奏楽団が演奏を始めていた。
 舞鶴めるとと珠総長は法術やESP能力でビシバシとエージェントたちを倒し、学園都市の外からの介入は防がれているらしい。
 珠総長が本気を出したら、たまったもんじゃない、と思い知らされる。
 亡国の危機。
 この機に便乗したい奴らを蹴散らすなんて、そうそう出来ることではない。

 今、僕の隣でテキ屋の屋台から買った烏賊焼きをハフハフと頬張りながら、探偵・破魔矢式猫魔は言う。
「〈魔女〉のプレコグ能力で敵の出現位置を予測して、そこに舞鶴めるとの法術で、敵が現れるタイミングでジャストに狙い撃ちさ。そもそも大規模術式でそこら中にトラップも仕掛けてあるし。おれもトラップ仕掛けるのに駆り出されて、大変だったぜ」
「総長のことを魔女だなんて言わない方がいいよ、猫魔」
「だが、ありゃぁ魔女の所業だぜ」
「…………」
「再び、説明しておこう。MC西口門の声明の術式とくるるのDJ及びふぐりの歌が、〈玉〉を〈封じ込める〉。『鎮魂』ってわけだ。これによって、祇園祭は滞りなく終了し、ミッションは成功となる。順番としては、『ソーダフロート・スティーロ』がプレイして、そのあとに『ザ・ルーツ・ルーツ』がプレイすることになってる。トリのバンドは音楽業界での大物らしいが、祇園祭の本来の役目と、今回の牛頭天王と〈玉〉の鎮魂としては、〈お飾り〉ってのが、本当のところだ」
「でも、宵宮は終わっているんだろ?」
 と、僕。
「ああ。総長たちのおかげで、ね。今日は祭りの日。ヨミヤの次の日、ハレの日だ。神霊の顕現したことを示す儀礼として、華やかなんだ。最後にハレを終わらせて、祝祭空間は終了となり、ミッションが達成される」
「僕はそこらへん、わからないんだけどさ、もう一度、説明してくれないかな、猫魔」
「と、言ってるうちにソーダフロート・スティーロの出番のようだぜ。ちょっと冷やかしておこうぜ」
「ったく、猫魔、お前って奴は」

 ステージに設置されたDJブースにいるDJ枢木が往年のジャズのミックスを繋いでいき、ソーダフロート・スティーロの出番が始まる。
 そこからオリジナルの曲に変わっていくと、舞台照明が明るくなった。
 リズムマシンに乗った飛び道具的なサンプリングの音。
 三ツ矢学生宿舎で蔵人くんも使っていた、あのワブルベースが炸裂し、くるるちゃんのインプロピレーションが踊る。
「うっうー! みんなー、愛してるよー!」
 ワブルベースに乗せて、会場に手を振りながらステージに現れるのは、〈神楽坂ふぐり〉。
 いつの間にやらみんなのアイドルになった、プリンセス・オブ・ステージの神楽坂ふぐりだ!
「うっうー! みんなー、踊れー!」
 ふぐりに重ねるように、
「踊るんよー! 楽しんでってやぁー!」
 と、くるるちゃん。
「くるる! 愛してるー!」
「うちも愛しとるわぁ、ふぐりー! みんなも、うちらのこと、愛しとるぅー?」
 ふぐりとくるるちゃんにファンたちが「愛してるー!」と、レスポンスする。
 すごい熱気だ!
「みんなー、ふぐりたちのメロディでメロメロになれー!」
 オーディエンスたちが一斉に「ヒューッ」と叫ぶ。
 ふぐりが両手でマイクを持って、ステージを見て言う。
「みんなの顔が見えるよー! それではまず、この曲から。『夕陽さすとき』ですっ! うっうー!」
 ふぐりのタイトルコールと同時にくるるちゃんのスクラッチノイズ。
 楽曲が始まる。
 楽曲は、くるるちゃんがつくっているというのだから驚きだ。
 まさか、くるるちゃんにトラックメイカーの才能があったとは。

 ふぐりが歌う。
 曲の歌い出しを、僕は聴く。
「君がーあーるー、西の方よりしみじみとぉ~。あわれむごとく~。夕陽さすときぃ~」
 与謝野晶子をリスペクトしたようなリリックと、フックの効いたパンチラインをキメる神楽坂ふぐり。
 この場所全体が、熱狂の渦に包まれていく……。
 独特の世界が今、展開されているのを、僕は目撃しているのだ。


 熱狂の中。
 オーディエンスたちの少し後方、バンドやユニットの物販スペースのテントの前で、探偵・破魔矢式猫魔は、烏賊焼きを食べ終えると串をゴミ箱に捨て、紙コップのビールをぐびっと飲む。
 ビールで喉を潤してから、猫魔は僕に説明を始めた。
 喉を潤す、というと語弊がある。
 ビールで喉は瞬間的にしか潤わない。
 僕は隣に立っている破魔矢式猫魔の言葉に耳を傾ける。
「祭りには本来、二つの側面がある。ひとつは前夜祭。宵宮とかヨミヤと呼ばれるものだ。もうひとつは、みんなの知ってる〈ハレ〉としての、晴れやかな祭りの日のことだ。前夜祭である宵宮では神宮、氏子総代、役員たちのみで神事が行われる。宵宮の根底には、お籠りがあるんだ。お籠りの目的は神を迎える準備過程で、祭りの空間を浄化することなんだよ」
「お籠り?」
「そう。お籠り。コモリと呼ばれる。祭りはよく、日常を指す〈ケ〉に対する〈ハレ〉とされるが、〈ケ〉から〈ハレ〉の移行の間には『〈ケ〉枯れ』……すなわち『穢れ』の累積がある。だから祭りは〈ハレ〉で〈ハラウ〉……〈穢れ〉を〈祓う〉作用がある。〈ケ〉の活力を回復させるエネルギーを充足させるのがハレの状態、つまりは祭りだ。〈マツリ〉ってのは〈タテマツル〉ことでもあるんだな。奉るのは祭神である神霊だな。宵宮の次の日に祝祭空間が生まれるのは、神霊の顕在化を示す儀礼だ。カミが来臨し、ヒトの中に混じる。人間側が祝祭空間を管理して、ここに〈神遊び〉が生まれる」
「神遊び?」
「今のこのステージがそうなのさ」
「は?」
「神前で歌舞を奏すること。その歌舞を、〈神遊び〉と呼ぶ。今回のふぐりのミッションはくるるに手伝ってもらって、ステージで歌い、踊り、演奏することだったのさ」
「まぁ、ふぐりはアイドルステップ踏みながら歌ってるけどね、さっきから。アイドルステップが踊りかどうかは、怪しいもんだな」
 僕の言葉に、猫魔もケラケラ笑う。
 が。
 猫魔の身体がビクン、と震え、身体が一瞬硬直する。
 笑っていた猫魔がいきなりビールの入った紙コップを地面に落としたものだから、僕は慌ててしまう。
 地面がビールの液体を吸い込んでいく。
 一体、なにが起こった?
「くっ!」
「どうした、猫魔?」
 こめかみを指で押さえる猫魔。
「おれがつくった人払いの結界に誰か入ってきた……」
「なんだって!」
「奥の院へ向かうぞ。相手はまだおれの結界に入って迷宮の中だ。間に合わすぞ」
「なにに間に合わす? と、訊こうとしたけど、もうわかるよ。〈玉〉だね!」
「そういうことだ! 走るぞ、山茶花」

 僕、萩月山茶花は、女子高生探偵・小鳥遊ふぐりが言ったことを頭の中で反芻した。


 …………奥の院は相当、その手の〈異能力者〉でもなけりゃ近づけないようになってる。
 …………十年前の〈厄災〉で、将門の力にやられたからね。
 …………と、すると、術者である人間がやってくるわ。


 今のふぐりは、神楽坂ふぐりという名前のアーティスとして、DJ枢木とのユニット、ソーダフロート・スティーロで鎮魂の祈りを歌舞で捧げている。

 ふぐりは、こうも言った。
 やってくるのはテロ組織のトップである人物だ、という意味の言葉を……。

 僕は猫魔とともに、奥の院に到着していた。
 猫魔の結界の先にある扉を開いて、安置されたご神体と向かい合う。
「小さなおにぎりサイズのパールみたいだ……」
「おにぎりってお前……。まあいい。山茶花、敵が来るぞ。しかも一人きりで、な」
 結界が破壊され、奥の院に貼られた護符が一つ残らず燃え尽きた。
 現れたのは当然、こいつだった。
 ほそいつり目に、ニタニタした笑みを貼り付けて。
 僕は、震えている。
 震えながら、敵の名を、呼ぶ。
「孤島……」
「なんですか、山茶花さん。それから、……探偵さん?」
 孤島を、直視する僕。
「まだこんなこと、続ける気なのか、孤島」
「国賊は、討つ。しかし邪魔ですねぇ。消えてください、山茶花さんと探偵さん?」
「続けるのか、多くの人を巻き添えにしながら?」
「革命家は、革命を完遂させるまでが仕事なのですよ。戦後処理や国を安泰にさせるのは、違う人間たちの仕事なんですよ、山茶花さん。だから、さぁ、僕たちはショウを始めましょう。さぁ、殺傷を始めましょう。僕とあなたたちは、殺し合わなければわかり合えないようですからね。身体に刻み込んであげますよ。さぁ、殺傷が始まる……」

 暗くて気づかなかったが、弓を、孤島は左手に固定させて装備していた。
 弓に矢をかけて、放つ。
 ビュン! と、弓がしなる音。
 速い!
 放たれて飛んできた矢を、術式で張った防御壁で猫魔が弾く。
 この弓矢。
 〈ピストルクロスボウ〉と呼ばれる武器だ。
 名前の通りピストルタイプのクロスボウで、フルサイズのクロスボウに比べ非常にコンパクトで軽量、片手でも扱える。
 実際、孤島は片手に装着して操っている。
 そして、どうも電動で引き絞る力をブーストしているらしい。
 モーター音が、微かに鳴っている。
 僕は声を振り絞る。
 虚勢くらい張ってやる!
「2対1だぞ、孤島。もう辞めるんだ、こんなこと」
 言い終えると同時に。
 奥の院の入り口から、奥の院の中に大きな物体が投げ込まれた。
 僕の足下に鈍い音を立てて投げ捨てられたそれは、ここ、三ツ矢八坂神社の神主……、だったモノ。
 神主の、亡骸だった。
 首の頸動脈を切られている。血はほとんど吹き出たあとで、運んできたらしい。
 神主の死体を投げ捨てたその人物は。

「お前……一体なにを?」
 僕は、ショックで自分の頭がどうかしたとしか思えなかった。

「どうしてだ……、西口門?」
 涙が溢れる。
 お前は。
 そう、こいつの名は。
 西口門。
 こいつは、……こんなことをしたかったのか?
「どうしてだ、西口門! なんで神主さんを殺した? 答えろよッッッ!」
「山茶花。『源平盛衰記』にこんな文章があるのを知ってるか? 『もはや往生は願わない。五部大乗経を三年がかりで血書して得た功力《くりき》を地獄・ガキ・畜生の三悪道《さんなくどう》に投げ込み、その力で我は日本国の大魔縁《だいまえん》になって遺恨を晴らしてくれよう』ってな」
「なにが言いたいんだよ、わかる言葉でしゃべれよ、西口門ッ!」
「山茶花。学園都市は鬼神が徘徊し、亡者たちが厄災と結びついている。……おれ、破門されちまったよ」
「なにを言ってるんだ?」
「親はどちらとも学園の上層部からの刺客に殺されちまった。で、刺客はおれのところにも来て……おれはそいつを殺した。自分で言うのもあれだけどよ、無残な拷問にかけながら、な。自分だけ助かろう、自分だけ救われて浄土へ行こうって考えがそもそも間違ってたんだ。人殺しのおれは破門されたんだ、クソ! なにが悪人正機だ。法で裁かれちゃわけねーぜ。裏で助けてくれたのは、ここにいる孤島、だったのさ」
「だけど、信念が、全く違うじゃないか。西口門は信念を持って生きてきた。その信念が揺らぐなんて嘘だ!」
「黙れよ、山茶花! そんなの百も承知だ! 浄土門は悪人こそを助けるし、孤島はおれたちを『念仏往生派』と呼んで侮蔑する! だがよぉ! 軍事協定は結んだのさ! 〈玉〉は、いただくぜ!」
「そんな簡単に心変わりしていいものなのか! 西口門! 衆生済土と孤島のいうところの常寂光土《じょうじゃくこうど》は違うぞ」
「なに知った風な口を聞いてんだ、山茶花。さっきの引用は崇徳天皇の台詞だ。念仏じゃ救われなかったし、功徳を積んでも報われなかった、って話なんだ!」


 聴いていた猫魔は、ふぅ、と息を吐いた。

「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」

「こんなときになに言ってるんだ、猫魔?」

「藤原道長の辞世の句さ。胸の病に倒れてから、藤原道長は阿弥陀信仰にのめり込んで行ったんだ」
「ああ、もう! みんながなにを言いたいかさっぱりだよ! 特に猫魔! お前はなに短歌なんて詠んでるんだよ!」

 猫魔は片目を閉じて、それからケラケラ笑った。
「山茶花。ここにいる西口門くんも、道長と同様に、胸の病なんだ。この学園都市に来る前からね。ずっと胸の病と闘いながらの青春だったのさ。病と闘いながら、西口門くんは親の期待通り、学園都市というこの国が誇る学業の都に入り込んだ。ラッパーは感謝感謝よく言うみたいだけど、彼もまた、親に感謝の気持ちもあったんだろうよ」
「でも、大学受験だけが目的になって無気力になったって言ってたぜ」
「そこで浄土門の僧と出会ったんだろ。自分の命がわずかなのを知ってたから、信仰が欲しかったのさ、西口門は。それで、頑張ったんだ。でも、ね。彼の余命はあと三ヶ月だよ? 両親も学園都市のエージェントに殺されるし、自分は襲ってきたそいつを返り討ちで殺すし、たった今、神主を殺した。救いがあるという心が揺らいだんだろう。疑心が暗鬼という名前の〈鬼〉になってしまったのさ。鬼とは、地獄の獄卒のことを指すね、普通は」
「余命があと三ヶ月……。そうなのか、西口門? 〈鬼〉でも〈獄卒〉でもないよな、西口門?」
 西口門は血走った目で僕を見る。
「亡者は往生せず、無念を晴らすために鬼神の眷属となってあの世からこの世に干渉してくる。それが〈怨霊〉である、って昔の人々は考えた。〈全員〉が〈救われる〉なんて、やっぱり〈無理〉なんだよ! 救われる奴と救われない奴が、いるんだよ!」


 弥勒思想は千年王国救済思想に似て、救われる奴と救われないう奴を選別する、か。


「おれはここの神主も殺したぞ! 次はお前だ、萩月山茶花!」
 西口門は吠えた。
 そこに孤島が付け加える。
「どうですか、SS級の、僕の『僧兵』ですよ、彼は。今となっては、ね」
 ナイフをぐるぐる回してから柄の部分をキャッチし、構える西口門。

 探偵・破魔矢式猫魔は言う。
「酷い星の巡り合わせだよ、ったく。でも、この運命を正当に非難出来る者なんてどこにもいないんだ」

 孤島はうつむき加減で、しかし堂々としたバリトンボイスを出す。
「御託はよろしい。さぁ、殺傷を始めましょう」

 ビュン!
 ピストルクロスボウがしなる音。
 それは〈玉〉をカバーしていた透明なケースを射抜き、粉々に砕いた。
「さて。三本の矢で撃ち抜いて見せましょう。ふふ」
 孤島は余裕の笑みをこぼす。

 一方。
 西口門は僕に飛びかかってきた。
 僕は護身用の特殊警棒を振って、三段の長さに戻して、斜めに構えた。
 西口門のナイフを、僕の持った特殊警棒が受け止める。
 僕はナイフを受け止めた瞬間に弾き、西口門の横っ腹に警棒をぶち当て、警棒についているスイッチを押す。
 スイッチを入れると、電流が流れ出す。
「うぎゃあああああああああああああああ」
 感電して悲鳴を上げる西口門。
 落としたナイフを僕は蹴って室内の端へ吹き飛ばす。
「でかした、山茶花! 喰らえ、牛王宝印《ごおうほういん》だ!」
 猫魔がそう言って牛王宝印という名前の護符を飛ばす。
 護符が西口門の身体に吸い込まれていき、吸い込まれ終えると西口門の瞳から生気が消え失せた。
「さぁて、西口門くん。君はちょっとこの中に入っていてくれたまえ! この『瑞花雙鳥八稜鏡《ずいかそうちょうはちりょうきょう》』の中に、ね!」
 護符をもう一枚飛ばすと、そこに白銅の鏡が現出した。
 西口門を、白銅の鏡、瑞花雙鳥八稜鏡と猫魔が呼んだ〈鏡〉に向けて蹴り飛ばすと、西口門は鏡の中に取り込まれていった。
「チッ! 時間稼ぎにもならなかったか、あのラッパーめ!」
 ピストルクロスボウがしなる。
 矢は〈玉〉に命中した。
 ひびが割れる〈玉〉。
 孤島はなにかぶつぶつ唱えている。
「連発は撃てないようだな、テロリストくん。隙があるぜ!」
 猫魔がネコ科の動物のような動作で孤島に飛びかかる。
 孤島がニヤリと笑んだ。
 ピストルクロスボウを飛びかかる猫魔に向け、〈見えない矢〉を放つ。
 ぐはっ、と嗚咽を漏らし、倒れる猫魔。
 おなかから血が飛び出る。
 次の攻撃を食らわないように、倒れたまま転がって僕のそばまで移動してくる猫魔は、しかし、腹を押さえている。
 血液がドクドク流れている。
「ありゃ、術式の〈法具〉だ。法力も撃てる。そりゃぁそうだよなぁ。クソ、……痛い」
 またピストルクロスボウがしなる音。
 今度は見える矢である。
 放たれた矢は〈玉〉をまた傷つけた。
 僕のそばで猫魔が囁き声で言う。
「山茶花、三本目の矢で、おれたちはゲームオーバーだ……」

 どうする?

 僕の心臓がドクンと大きく脈打った。

 どうする?
 どうするんだ、僕は?

「僕はッッッ」

 吠える。
 顔を天に向けて。
 狭い天井に向けて、吠えた。
「僕はオタクだ! えろげオタクだ! つまり〈豚〉だ! そして、その〈玉〉は、玉座のメタファなのかもしれないけど、僕から見たら…………ただの〈真珠〉だッッッ!」

 僕の叫びに、あっけにとられる孤島、そして、猫魔。

 僕は転びかけながらダッシュする。
 いきなりのことなので二人ともこっちを見たまま動けなかった。
 僕は〈玉〉を置いた台座にドロップキックする。
 台座は木製で、古いこともあり、そのまま横倒しになった。
 転がる〈玉〉。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ」
 ドロップキックの着地失敗で盛大に転んだ僕は飛び跳ね立ち上がり。
 土足で神聖な〈玉〉を、何度も、何度も踏みつける。

 ガッ!
 ガッ!
 ガッ!

 堅い。
 さすが真珠のような〈玉〉だ。

 咆哮するしかなかった。
 勇気を出すんだ、僕!
「『マタイによる福音書』7章6節だぜ! 〈玉〉をいただきまああああぁぁぁぁすッッッ! アイイイイイイエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェェェッッッ!」

 咆哮した僕は、小さなおにぎりくらの大きさの〈玉〉を、口を開けて飲み込んだ!
 やけくそだぜッ!

「うっうー! それでは最後の曲です。ふぐりとくるるが出会った最初の曲で、今日はお別れです。聴いてください。タイトルは『冬にうたう恋のアルバム』!」

 流れ出すミュージック。
 心地よいリズムと、思わず口ずさみたくなるメロディ。
 ソーダフロート・スティーロの、代表曲。
 僕らは、間に合った。
 西口門は行方不明で今頃、楽屋では大騒ぎだろう。
 でも、そんなのどうでも良かった。
 僕にとっては。


 僕は知ってる。
 このプリンセス・オブ・ステージ〈ソーダフロート・スティーロ〉が、きちんと〈厄病送り〉を完遂させてくれることを。

 僕がスタンディング席でステージを見上げていると、背後から声をかけられる。
「こりゃ一杯食わされたわ! 我が輩もびっくりじゃわ! 大きくなったのぉ、雑用係。ふははははあぁー。我が輩、ご機嫌じゃぞ! そう。今回の事件はそもそもその流脈の根本に〈マタイによる福音書〉が関係しているのじゃから、そりゃぁ〈術式〉としての〈豚に真珠〉も、アリじゃよなぁ! 大ありだったわけじゃ! 聖書にある豚に真珠の一節から咄嗟に〈術式〉を発動させるとは。番狂わせもいいところじゃよ、山茶花! 〈道化師〉が〈玉座〉に鎮座する〈キング〉に化けたな! ふははははあぁー! 高笑いが止まらんよ、我が輩は! なぁ、ほっけみりん?」
「はにゃはらぁ~!」
「そうじゃろ、そうじゃろ! ほっけみりんも喜んでおることだ! 今日は宴じゃ、宴!」
 幼児体型でエスニックな服を着こなすこの女性、百瀬探偵結社の総長である百瀬珠は機嫌良く呵々大笑し、屋台で買ったたこ焼きを食べ、紙コップのビールを飲んでいる。
「う~ん! 良い曲じゃのぉ。ふぐりもくるるも成長したもんじゃなー」
 人ごとのように言ってはいるが、ステージを観るその瞳は緩んでいる。
 今にも泣きそうだ。
 こんな総長も、めずらしい。
「『冬にうたう恋のアルバム』……か。デジタルデータだけと言わずに自主制作盤でも、うちの探偵結社から発売するというのはどうじゃ?」
「ちょっ、やめてくださいよ、総長」
「冗談じゃよ。この道化師、冗談が通じないのじゃな」
「どんな道化師ですか、そりゃ」
「我が輩の〈飼い猫〉は孤島と声明使いの少年の二人と共に病院へ搬送され……、雑用係がこうして残った」
 総長の隣でやはりたこ焼きをもぐもぐしている女の子がいて。
 その女の子のセルフレームの眼鏡がきゅぴーん、と光る。
「猫魔さん、大丈夫なんですか、珠総長?」
「ん? ああ、ま、大丈夫じゃよ、心配せんでも。プレコグ能力者の我が輩が言うのじゃから、本当に大丈夫じゃ。財布が痛くなりそうじゃが、な」
「財布が痛いって、もしかして重傷なんじゃないですかぁ?」
「ふはははは。めるとは猫魔贔屓じゃのぅ」
「ち、ち、違いますよぉ! わたしが猫魔さんをす、す、す、好きなのはそういう意味じゃないんですぅ!」
「本当かのぅ」
「本当ですってばぁ! 総長のばかぁ!」
「ふーはははは!」
 セルフレーム眼鏡の女の子、舞鶴めるとは顔を真っ赤にしてふくれっ面をする。

 僕はDJ枢木と神楽坂ふぐりのステージを見つめる。
 くるるちゃんのトランスフォーマースクラッチを挟みながら、ふぐりが歌い上げる。
 高く、高く、天まで届くような歌声で。

 百瀬珠総長が、聖書の一節をそらんじる。

 聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。
    【『新約聖書』(新共同訳)「マタイによる福音書」7章6節】より

「自らを〈豚〉と言い、〈引き裂いた〉な、あの若造の、……孤島の心を。そういえばあの章は【人を裁くな】という章題だったかのぅ、確か。よく咄嗟に思い出して決行したものじゃな、山茶花」
 僕はふぐりがアイドルステップをして歌っているのを観ながら、
「買いかぶらないでくださいよ、総長。今回は総出で迎え撃った。だから、僕もそれこそ相応に、その場に臨まないとならないと考えていた。それだけのことですよ」
 と、珠総長に返した。
「ふふっ、お前らしい答え方じゃの。どうじゃった、マボロシの大学生活は?」
 今度は僕が微笑む番だった。
「楽しかったですよ、一生の想い出になるくらい」
 百瀬珠総長は背伸びをする。
 たこ焼きとビールを持ちながら。
「それは、…………良かった」
「ええ。とっても」
 涙が僕の頬を伝う。
 学生宿舎のみんな、さよなら。

 今回も、いろいろあった。
 でも、変わらないのは。
 僕らは、これまでも、今も、そしてこれからも、最高の探偵結社だってことだ。

 ……余談だけど。
 ザ・ルーツ・ルーツのメンバーがボーカル不在で困っていて、結局はジャムセッションをしてその場を乗り切ったことに対して、神楽坂ふぐりこと小鳥遊ふぐりは、
「なぁに泣いてたのよ、関係者一同困ってたのに! みんな、さよなら、じゃないわよこの雑用係! 一人でナルシズムかしら? やっぱり阿呆は大学で講義受けても阿呆なのが変わるわけないわね!」
 と、僕を大いに罵ったのは、出来ればオフレコにしておきたい、〈今回のオチ〉だった。
 どうせ僕は阿呆ですよー、だ。
 さらに付け加えるのならば、僕がマタイのことを思い出したのは、今回、〈魔女〉がそういう風に誘導したからなのではないか、と思う節があるのだけど、それは黙っておこうと思った。
 蛇足が過ぎるぜ。


〈了〉

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